その3 追尾班〝主任〟の視点から

 当該マンションから出てきた男性二名は海岸橋交差点を直進すると思われたところを、こちらの予測に反して右折。若宮大路を鎌倉駅方面にむかって北進しはじめた。

 そのため鎌倉市内における慢性的な交通混雑を見越して先行していた車両班は結果として裏をかかれた形になり対象者を失尾、以降は追跡班四名のみで追尾を継続せざるを得なくなる。

 作業本部はこの時点で男性二名を行動確認対象から要警戒対象に格上げ。主導的立場にあると見受けられる猫背気味の男のほうを監視対象者マルタイイチ。長身の見るからにスポーツマンタイプの男をマルタイと呼称を変更するとともに、応援の作業班の派遣を決定した。

 しかしコロナ禍による渡航規制解除後に激増した観光客と、歴史ある〝古都〟鎌倉の街並みゆえの交通事情の悪さを考慮すれば、大船署管内におかれた分屯所から応援が到着するまでに掛かる時間は四〇分から一時間と見られた。

 つまり、この時点でマルタイ一と二の動向とその目的を追えるかどうかは、すべて追跡班四名の肩にかかったことになる。

 追跡班を率いる〝主任〟は、マルタイふたりを確認した瞬間に感じた〝なんとなく嫌な予感〟が、いよいよもって実感を伴ってきたと感じざるを得なかった。


 ──あいつらは普通じゃない。ぜったいにヤバイ輩だ。


 一見すればマルタイふたりは人畜無害な一般人にしか見えない。肩をまるめて歩くマルタイ一は完全に冴えない営業職といった感であるし、二のほうは上背がある割には悪目立ちせず街なかに溶け込んでいる。

 だが、二十年のキャリアを持つ〝主任〟の目は誤魔化されない。マルタイふたりの立ち居振る舞いは、あきらかに訓練を受けた者のそれ、つまりであると如実に語っていた。

 とくにマルタイ一のほうは相当な場数を踏んでいると見てまちがいない。監視下にあった神永のマンションでは、景色を眺める体で建物の周辺を確認するとともに、部屋にはいったあともカーテンの隙間から外部の様子をうかがう様が確認されている。

 さらに決定的なのはマンションを出た直後、通りかかった橋の欄干から身を乗り出すように川面を覗き込んだことだった。一見してなんてことのない自然な動きであったが、このときマルタイ一は尾行の有無をチェックしていたのはあきらかだ。

 もちろん〝主任〟個人はこの時点ではまだ見つかっていない自信はあった。が、他の追尾班のメンバーは存在に気づかれた可能性が高い。とくに、似合いもしていないのにサーファーを気取ったカジュアルファッションに身を包んだ新人は、まず確実に認識されたと見るべきであろう。

 本来、面が割れた新人はそのまま現場から離脱させ、作業から外すのが筋である。が、いかんせん人手が足りない。尾行は対象者ひとりにつき最低三名であたるのが基本であるにもかかわらず、追跡班は新人含めて四名しかおらず、しかも内一名は女手不足のために他部署から借りてきた応援要員で、尾行の経験はおろか基礎的な秘匿尾行の訓練すらも受けてはいないのだ。

 そのため〝主任〟は苦肉の策として新人にマルタイ二のほうを張らせるとともに、距離を置いてそのバックアップについた。いっぽうに偽装させた部下と応援の娘には、マルタイ一のほうを追尾させることにした。

 だが、どうやらマルタイのふたりは、ともにこちらの存在に勘づいている様子だった。そうでなければ、神永の実家に向かうと見せかけておいて、車両班が通り過ぎたタイミングで進行方向を変えるような真似ができるとは思えない。

 おそらく観光客の波にまぎれてこちらを捲こうと言うのだろう。事実たった四人の追尾班では二手に別れられたらお手上げだ。簡単に失尾してしまうのは時間の問題だった。

 ならば、ここはいっそ追跡班全員の人相着衣ニンチャクが割れることになってもマルタイふたりに張り付くべきだと〝主任〟は判断した。

 すでに秘匿追尾に失敗しているのだ。

 ならば現状で出来ることは、応援の作業班が現場到着ゲンチャクするまでのあいだ、何が何でもマルタイふたりの追いかけて失尾しないことである。


「班長から各局、秘匿追尾から強制追尾に切り替えろ。なんだったら向こうから手を出させてもかまわん」


 袖口に仕込んだマイクに囁くと、まえを進む新人がギョッとした顔で振り向く。

 馬鹿野郎、研修で何を学んできたんだ。と、忸怩たる想いにかられる〝主任〟の耳に、髪で隠した骨伝導イヤフォンを通して応答のクリック音が返ってくる。

 その音にようやくわれに返ったらしい新人も、あわてて無線の送話スイッチを二度押しして了解の意を伝えてきた。

 準備は整った。秘匿追尾は失敗したが、これからは正々堂々と姿を晒してマルタイとの追いかけっこだ。もう絶対に負けることは許されない。


 ──さあて、どこのどいつか知らねえが覚悟しとけよ。


 こころの内で気炎を吐き、〝主任〟がつぎの指示を下そうとふたたび無線マイクを口元にもっていった、まさにそのときだ。

 不意に駆け出したマルタイふたりが、若宮大路から左に折れた横道へとはいっていった。

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