第二章 蠢く陰謀(論)?

その1  ヒバサキ探偵事務所のお宅訪問(留守宅編)

 翌日、火箱と先崎は鎌倉に向かった。失踪した神永の手がかり探しに、瑠理の家を捜索するためだ。むろん、児童である瑠理に依頼を受けては動けない。そのためまずは瑠理が預けられている神永の実家に赴いた。

 電話であらかじめ事情を説明したとはいえ、簡単には信用してもらえないであろうと火箱は覚悟していた。当然だ。小学生の子どもの依頼をまともにとりあげて受理したいと名乗り出てくる探偵事業者など、客観的に見れば胡散臭いことこの上ない。


 ところが予想に反して、神永の母、つまり瑠理の祖母はすんなりと火箱たちの申し出を受けててくれた。


「あの子が自衛隊で、何か特別な仕事に就いていたことは薄々は察していました」


 六十代後半、若かりし頃は看護師だったという神永の母は、まっすぐに火箱と先崎を見つめていった。


「けれど、自衛隊を辞めて民間人になったいまも、もしその当時のことが原因で家族のもとに帰れないのだとしたら、こんな理不尽なことはありません。聞けば、そちらの先崎さんはあの子と同じ部隊の出身でいらっしゃるとのこと。でしたら、あの子が巻き込まれたトラブルがなんであるのか、おおよその見当は付いてらっしゃるのではありませんか?」


 たしかに先崎と神永は同時期に特殊作戦群に所属していた。だが先崎が空からの潜入・戦闘を得意とする第一中隊であったのにたいして、神永は群本部第二部(情報担当)の要員だった。野球チームに喩えれば同じユニフォームを着ていても、先崎はフィールド・プレイヤー、神永は球団コーチ陣のひとりといったところか。

 そのため先崎と神永に直接の面識はなく、瑠理から見せてもらった神永の写真を見ても「そういえば本部にこんなひといたかもしれないなぁ」以上の感想は出なかった。

 よって神永が言い残した「部隊の裏切り者」というのが誰のことなのか、そも「裏切り」とは何を指すのかすら皆目見当がついていないというのが実情だった。

 しかし火箱は涼しい顔で「むろんです」と断言していった。


「守秘義務があるため詳しく申し上げられませんが、彼は元同僚、同じ部隊の仲間として息子さんのおかれているであろう事態を正確に理解しています」


 嘘も方便。すべて口から出任せ。テキトーに話を合わせているだけであった。

 だが、そんな火箱の口車に乗せられたのか、それとも、余所行きのスーツ姿で黙っているぶんには知的で誠実な男のように見受けられる先崎の外面に騙されたのか、なにはともあれ神永の母は瑠理の代理人として正式な依頼主になってくれたばかりか、神永の自宅の合鍵まで貸してくれたのだった。

 そして神永の実家から徒歩で向かうこと、およそ三十分。若宮大路を横切り、橋を渡ってしばし進んだ材木座に神永一家が住まうマンションのまえに火箱と先崎は立っていた。

 まずはマンションの駐車場に神永家の車が停まっていることを確認する。次いで郵便受けで部屋番号をたしかめたうえで、エレベーターを使わずに外階段をつかって四階へと向かった。


「あーあ、俺もこっちにマンション買えば良かったかな?」


 共用廊下から望む鎌倉の寺社と山々を一望する素晴らしい景色に、火箱は心底羨ましそうにため息をつくと、身を乗り出すようにしてマンションの周囲を見回した。


「自然はあるし、歴史ある文化財も豊富、おまけに横浜や東京へのアクセスもしやすい。子どもの教育って点からも最高な環境だな」

「は? なに言ってんだ、おまえ? 娘は別れた元嫁さんと船橋の家に住んでんだろう?」

「だから離婚してねえよ! 何回目だ、このやりとり!?」

「あー、すまん。離婚じゃなくて別居だったな、別居。言い間違えた、謝るわ」


 あからさまに適当な態度でいなしながら、先崎は借りた合鍵でさっさと神永の家のロックを解除する。


「あっ、こら!? なーに勝手にドア開けてやがる? こういうときは、まず第三者の侵入の形跡がないかどうかチェックをしてからだなあ──」

「なに言ってんだ。ほんの数日まえまで瑠理ちゃんとお母さんはふつうにこの家で暮らしてたんだぞ? いまさらチェックも何もあるもんかよ」


 そういうなり先崎はドアを開けると、「お邪魔しまーす」と挨拶をしながら玄関脇のラックのスリッパを勝手に借りてズカズカと家に上がり込んでいった。


「……ったくよぉ。〝S〟だなんだと偉そうに言ったって、こういうところが大雑把なんだよ、おまえらは」


 ブツクサ文句を言いながら、火箱も同じようにスリッパを借りて家にあがる。

 神永家は典型的な3LDKのマンションだった。玄関の脇には洗面所と風呂、トイレがあり、そのむかい側には瑠理の子ども部屋がある。対面式キッチンと繋がったリビングダイニングがあり、和室と洋間がそれぞれ一室ずつという作りだ。

 先頭だってリビングに乗り込んだ先崎は、電灯を点けることもベランダに通じる窓にかかる厚手のカーテンを開けることもせず、代わりにいつも携帯しているフラッシュ・ライトを用いて薄暗い部屋の探索を開始していた。


「おっ。家族写真はっけーん。これは瑠理ちゃんが幼稚園の頃かな?」

「おいこら。あんま関係のないもの漁るなよ。プライバシーってもんがあんだかんな?」


 遠慮というものを知らない相棒に注意しつつ、火箱はそっとカーテンをずらして海側に面したベランダを覗き込む。

 吹き付ける潮風のせいだろう。窓はうっすらと潮で汚れていた。おかげでわざわざフラッシュライトで照らしてたしかめるまでもなく、誰の指紋も外がわについていないことが確認できた。それでも習い性で、いちおうクレセント錠と補助錠もチェックしたが、こじあけようとした形跡はもちろんなかった。


「ううーん、やっぱ海の近くは掃除がたいへんそうだなぁ……。自転車とか車も錆びそうだし、そうなるとこの辺りの物件はパスかな、やっぱ……」

「内見に来たのか、おまえは?」


 難しい顔でベランダに溜まった砂を睨む火箱を見て、先崎はあきれたようにいった。


「そもそも、こっちに家買うかどうか悩むより先に、まずは奥さんとヨリを戻せるかどうかじゃないのか?」

「夫婦仲は悪くねえって言ってんだろう!? ……いやま、たしかにいまはちょっと距離おいているけど」


 けれどそれはそれとして云々と、何やらはっきりしない口ぶりでゴニョゴニョと言っている火箱を無視して、テレビ台の下をライトで照らして漁っていた先崎は不意に「ああっ!?」と素っ頓狂な声をあげた。


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