第一章 泣く子にゃ勝てない男親
その1 探偵事務所のよくある昼下がりの情景
「ふたりとも、いったい何をしてるんですかー!?」
半ば悲鳴じみた若い女の声に、来客用の長椅子に寝転がっていた火箱と、空気イスで下半身の筋肉を追い込んでいた先崎は、それぞれ覗き込んでいた手元の有機EL画面から顔をあげる。
「何って、スイカだよ、スイカ。どっちが先にスイカ三つ作れるか勝負してんだよ」
「だけど、スイカ三つってのが意外とハードル高くってさ、なかなか決着がつかないんだ」
「なー? スイカふたつまでなら、まだなんとか行けんだけどなー?」
「そういうことを訊いているんじゃありません!」
きっちりと整えられた眉をキッと逆立て『ファイアー&アサルト探偵事務所』唯一の学生アルバイトである
「いい歳こいた大の大人が、平日の昼間っから働きもせずに雁首揃えてゲームなんかしていて良いのかと、そう言っているんです!」
「はっはっは。ヒバよ、これは痛いところを突かれたな?」
「ほんと、痛すぎて泣いちゃいそうだよ、おじさんは」
火箱はボヤきながら、ふたたびフルーツの結合作業に戻ろうとした。が、その手から京都の玩具メーカーが世界に誇る携帯ゲーム機が一瞬にして消える。
「あ。こら、何をする勤労学生。おじさんのSwitchを返しなさい」
「いけません! 仕事をするまでゲームは禁止です!」
「そんなこと言われたって、その仕事がねーんだもん。仕方ないじゃないの?」
「そうそう。凛ちゃん、あんまり無理をいっちゃあ、ヒバが可愛そうだぜ?」
「所長は開き直らない! そしてトオルくんは所長を甘やかさない!」
凛は厳しい口調でいうと、憮然とする火箱に詰め寄る。
「だいたい所長はふたこと目には、仕事がない、仕事がない、って言ってますけどね? 大手の調査会社さんの下請け依頼ならいっぱい来てるじゃないですか?」
「ああ、無駄無駄。ヒバは大手の仕事は受けないよ」
先崎は、じつにいたたまれないといった顔と声でいった。
「大手の仕事は浮気調査か、離婚調停の素行調査がほとんどだからね。別れた奥さんと娘さんを思い出して、身につまされるんだってさ」
「違う。間違ってる。俺が大手の仕事を受けないのは人様の家庭が壊れていく様を見届けるのが心苦しいからだ。けして自分を重ね合わせてつらくなったりなんかはしていないから、そこんとこ勘違いすんじゃねーぞ?」
そもそも女房とは別れていないし、という火箱の言葉に凛音は怪訝そうに眉を顰める。
「え? でも、所長って
「言ってやるなよ、凛ちゃん。人間、認めるにはあまりにもツライ現実ってものもあるんだよ」
「離婚はしてないけど別居はしてんの! 悪かったな、事務所で暮らしていて!?」
「どうどう。落ち着けって、ヒバ」
怒る火箱の肩をポンポンとたたいて、先崎は手にした携帯ゲーム機をふたつ並んだ事務机の上に置いた。
「けどまあ、凜ちゃんの懸念もわからんでもないだろう? 実際、ウチの経営は火の車なんだし」
「そうだな。どっかの誰かさんが百万円もする借り物のプラズマ・ライトをブン投げたりしなきゃあ、すくなくとも赤字にはならなかったんだけどな」
「まだ言ってるのかよ。だから、あれはもうぶっ壊れてたんだってば」
「……それって、先月末に所長の昔の知り合いから受けた急ぎの案件のことですか?」
肩を竦める先崎を見て、凜音がいぶかしげに訊ねる。
「依頼主の都合でわたしはかかわりませんでしたけど、百万円もするライトを壊すって、いったいどこでなにをしてきたんですか?」
「あー……まあ、なんだ? ちょっと大学サボりがちなヤンチャ学生を家に連れ戻してやっただけだよな、ヒバ?」
「そっ、そうそう! サキの言うとおり! いやぁー、凜音くんは真面目に大学にいかないと駄目だぞう? 悪いオトナに騙されて仕事の片棒なんて担いだ日にゃ、将来が台無しだからな!」
「説得力が皆無な割には、びっくりするほど身につまされる話をありがとうございます」
凜音は深いため息をつくと、この場にいる誰よりも大人な態度で「わかりました」と飲み込むのであった。
「諸般の事情がありそうですから、これ以上は深く追求いたしません」
「おおっ!? さすがは元群長の娘、空気が読める!」
「いやあ、察する能力に長けてらっしゃる。将来、良い嫁さんになるよ、きみは」
「ただし!」
と、あからさまにホッとした態度を示す雇用主ふたりにたいして、凜音は強い口調で迫る。
「わたしにたいするバイト代の支払いの遅れは一日だって認めませんし、つぎの仕事をやりとげて依頼が振り込まれるまで、Switchは没収とさせていただきますからね!」
「うっ!? ううむ……」
「ふうむ……?」
まるでこの世の終わりかのような面持ちで唸る火箱と、ゲームが駄目でも自重トレーニングは許されたことに安堵しているのがバレバレな先崎に、凜音は辛抱強く噛んで含めるように続けていった。
「でも、安心してください。こんなこともあろうかと不肖・鮫島凜音、仕事の依頼主をひとり見つけてきました!」
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