行方不明の先生

「先生が、アメリカに行ってしまったかもしれない。」

有間くんからそう連絡が来たのは元旦の朝、わたしがお雑煮を頬張っているときのことだった。冬休みの初め頃に有馬くんから連絡が来た時もお餅を食べていたことを思い出して、この冬休みで太ってしまっているのではないかと不安になる。そんなことをのんびり考えながら、画面を2度見して、わたしは声をあげた。

「アメリカ?!」

いやいや、先生は英語が嫌いだったはず。アメリカに行くなんてそんな馬鹿なことは……ない、と信じたいのだけれど、誘拐だか拉致だかをされてしまう可能性を考えるとそれが結構有り得てしまう。

「みんな。これからアメリカ行ける?」

今までもこれからもない、1度きりであろう無計画なアメリカ行き。幸いにも、行きの飛行機代は今までこつこつ貯めてきたお小遣いを切り崩せばどうにかなりそうだ。これまでお年玉に手をつけず全て貯金してきてよかったと、改めて思う。帰りは……どうしよう。

「帰りは先生がどうにかしてくれるんじゃない?」

わたしの心を読んだかのようなことりからのメッセージ。5人分いや、先生を含むから6人分の飛行機代を出すなんて大変だろうと思うが、先生を助けにいくわけだし、いずれ返せばいいかと考え直して

「わたしは行きだけなら用意ができそう!」

とメッセージを送ると、次々に行きの分だけなら大丈夫という返信が来た。時来たる、今こそアメリカへ飛び立つときぞ。心の中で呟いて、少しかっこつける。まさか初めての海外旅行が先生の救出になろうとは思っていなかったが、こうなってしまったものは仕方がない。楽しみつつ、先生を救い出してみせよう。


 その日のうちに、わたしたちは羽田空港まで来ていた。大きな飛行機が何台も泊まっていて、迫力がある。幼い頃は週一で飛行場に連れて行ってもらうほどの飛行機少年だったという奏多くんが、色々と解説してくれた。何を話しているのかは理解できなかったが、飛行機がすごいものだということは分かった。検査やら、何やら諸々の手続きをして飛行機に乗り込む。人生初の飛行機にわたしは胸をわくわくさせた……が、もっとすごいのはゆりだった。

「まだ飛んでないのに高い!」

「いつ飛ぶのかな?まだ?まだ?」

とマシンガンにでもなったかと言いたくなるくらいの勢いで話し続けている。

 搭乗してからしばらく経って、うとうとし始めた頃、

「うわぁ、飛んだ!!」

というゆりの声で飛行機が宙に浮いていることに気がついた。飛行機ってアナウンスとかないんだっけ?そう思っていると

「まゆ、ずっと寝てて気づいてないんだもん。シートベルトとか、つけてあげたんだよ!」

とことりに言われた。寝てはいないつもりでいたけれど、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「んー、ありがとう。」

と言いつつ窓の外を見ると、機体はどんどん高度をあげていて、あんなに大きく見えた空港が小さく見えた。

 最初のうちはゆりと一緒になって興奮してみたり、感動してみたりしたが、それもだんだん飽きてきて眠気に支配されていく。


「まゆ、起きて。」

お母さん……の声ではない。そうだ、今飛行機に乗ってるんだった。

「んー、もうアメリカ?」

「違う違う。まゆが寝てたのなんて30分くらい。そんな時間でアメリカに着くわけないじゃん。」

それもそうだ。飛行機が出発したのが午後5時くらいの話。いくらわたしが疲れていて、飛行機の乗り心地がよかったとしてもそんなに長い時間は寝ていないだろう。

「それじゃあ、何?」

「ご飯だって。機内食食べるの、初めてなんだよね。」

ゆりがまた、嬉しそうに言う。

 キャビンアテンダントのお姉さんが出してくれた食事を見ると、美味しそうなハンバーグだった。デミグラスソースがかかっていて、匂いだけでご飯が3杯くらい食べられそう。ぐぅ、とお腹がなった。

「いただきまーす!」

みんなで声を揃えて言って、食べ始める。ご飯はほかほかで、とても飛行機の中とは思えない、普段と同じような食事を楽しむことができた。

 食後は先生救出のための話し合い。有間くんが色々考えてくれるから、わたしたちはただそれに頷くだけではあったけれど。

 1時間に1回必ず先生がいる場所を記録することがわたしの仕事だ。もし、先生に仕掛けたGPSが敵にバレて壊されたりしたら場所が分からなくなってしまうから、候補は絞れるように記録しておいた方がいいとのこと。それはそうと、ほかのみんなは場所を調べるとか、交通機関について調べるとかしているのに、どうしてわたしだけこんな簡単な記録なのか。納得ができない。

「まゆはマメだし、字が綺麗だからさぁ。わたしだったら忘れたりしちゃうもん。」

とことりは言うが、ゆりだって字綺麗だし、丁寧に記録してくれるだろう。たしかに、ことりは記録し忘れそうだが。


 コロラド州デル・ノース C-7……もう5回は場所を確認しているが、1寸たりとも場所が変わらない。面白くないなぁ。初めはそう思っていたが、しばらくして、もしかしたら拘束されているのかもしれないということに思い当たる。もし先生が拘束されていたら。そう思うといてもたってもいられず、後ろの席でいびきをかく有間くんをたたき起こした。

「先生の場所が全く変わらないの。捕まっちゃったりのかなぁ。」

「うーん、寝ているだけかもしれないし、最悪の場合だとGPSだけどこかに放置されているのかもしれない。今はどうにもできないから、記録だけ続けよう。」

「うん。わかった。」

そう答えるが、わたしの心は晴れない。もっと早く出発していればよかったか。もう手遅れだったらどうしようと考えずにはいられない。夜も遅く、明日に備えて体力を蓄えたいので座席で横になる。それでも手には先生の位置情報を表示したスマホを持ったままだった。


「嘘でしょ?!」

次の日、わたしは開いたままになっているスマホを見て叫んだ。

「先生がラスベガスに移動してる!」

コロラドから、ラスベガスまではそう近くもない。一晩で移動してしまうなんて一体何があったのだろう。

「ああ、動いたんだ。だったら敵には気づかれてなさそうかな。」

よかったよかった、と有間くんは言うが、わたしは不安で、そして不思議で仕方がない。どうやって一晩で1000キロメートル以上の道のりを移動したのだろうか。

 日本時間で朝6時。ことり以外のみんなが起きたので今のところの調査内容を発表する。

「えっと……まずいことが起こったんだけど。」

暗い表情でそう話を切り出したのは有間くんだった。

「父さんいわく、アメリカが世界中のあちこちに不審なビンをばらまいていたらしい。それで。」

ここで有間くんは大きく息を吸って言う。

「先生はアメリカがばらまいたビンに入った試薬を使ってしまって、その影響で空を飛べるようになってしまったのかもしれない。そして、今もアメリカに囚われているのかもしれない。」

ガタイのいいアメリカ人に取り囲まれる先生の姿を想像し、みんなで顔を青くする。

「どうして、アメリカはそんなことを?」

浮かんだ疑問を口にしてしまう。

「薬の治験だったら自国でやればいいだけの話だから、アメリカ側の意図は分からない。けど、予測としては……」

ここで言葉を止めた有間くんの顔は蒼白としている。

「世界の国々を混乱に陥れようとしているんじゃないかっていう説があって。」

空を飛ぶ能力を巡って世界が混乱している間にアメリカがなそうとしていることとは――。考えるだけでぞっとする。

「それで、血なまこになって世界中の国々が探している、空を飛ぶ能力の持ち主をアメリカで隠してしまって。どの国が隠しているのか疑心暗鬼になるなかで……っていうのが今のところの予想。明確な証拠もないし、憶測に過ぎないんだけどね。」

有間くんがそう締めくくったところでようやくことりが目を覚ました。

「んー、みんな深刻そうな表情で、どうしたの?」

のんきにそう尋ねることりに有間くんがもう一度同じ説明をする。

「え、それじゃあ先生が飛べるようになった、っていうだけの問題じゃないってこと?」

「そうなるね。」

有間くんが放ったその言葉を最後にわたしたちは沈黙に包まれる。周りの乗客がこれから始まる旅のことを話す、楽しそうな声が夢の中のできごとであるかのように、遠くに聞こえた。


 日本を発つとき、先生がどこに移動するか分からないということで日本に近い太平洋側の空港を選んでいたのが功を奏し、2時間程でラスベガスに来ることができた。飛行機代は嵩んだけれど、帰りは先生のポケットマネーだ。問題はない。

 空港から電車やら、バスやらを乗り継いで先生のいる場所へ向かう。

「ここかよ……」

先生がいる建物にたどり着いたわたしたちは言葉を失った。カジノとネオンで書かれた看板がそんなわたしたちを嘲笑うかのように見下ろしている。

「カジノって、未成年は立ち入りできないよね。」

「うん、考えたこともないけどきっとそうだと思う。」

そう言い合うゆりとことりは魂が抜かれたかのような表情をしている。

「どうしよう?」

分かるわけもないのに、こういうとき頼りになる有間くんについ尋ねてしまう。

「強行突破は無理だろうし、嘘つくにもパスポートか何か見せたらすぐバレるよなぁ。待つ、が確実な手かな。」

しばらく為す術なしか、そう思ったとき見慣れた影が視界に映った。

「あ、先生……?」

最後に疑問符をつけてしまったのには理由がある。背格好こそはわたしがよく知る先生の姿であったが、頭が、違った。金色に、髪が染っていたのだ。

「本当に先生?」

「でも背格好と顔は完全に先生だし……」

そんな話をしていると、先生と目が合った。

「あっ……」

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