冬休み
冬休みまであと一週間。期末試験も終わり、みんなも開放的な気分になっている。先週は調子に乗りすぎた男子が数人先生に呼び出されていた、そんなある日のことだった。彼氏――自分で言うと少し恥ずかしいけど――の奏多くんとおしゃべりしていたら、有間くんが慌てて教室に入ってきた。彼、有間寿人くんは去年のクラスメートで奏多くんの友達。いつもはクールな印象でおどけることこそあれど、慌てるところはあまり見たことがなかった。珍しい。そう思いながら有間くんの話に耳を傾ける。
「大変だ。近田先生が……」
聞けば、想像以上に大変なことが起きていた。
「ゆりとことりには話した?」
「まだ。」
今わたしが呼んだ2人、素都結梨香と床野ことりも去年のクラスメートで、高校生になって最初にできた私の親友だ。ゆりにことり、有間くんと先ほど登場した湯浅奏多くん、そしてわたし初本真友の5人が揃っていつものメンバー。今はみんな別々のクラスになってしまったものの、休みの日や放課後は一緒に遊びに行ったりしている。過去にも同じような近田先生絡みの事件を一緒に解決したことがある。詳しい話は全員が揃ってからでないと。
「わたし、ふたりを呼んでくる!」
と言いながらわたしは教室を飛び出す。ふたりとも教室にいてくれるといいんだけど。
有間くんが事情を話し終えると、ふたりも顔を青くしていた。
「また変なことに巻き込まれて……」
その場にいる全員が思っていたことをことりが口にすると、全員が一斉にため息をついた。
「とりあえず俺は父さんに相談する。みんなも先生に何か起きないか警戒しておいて欲しい。」
有間くんの言葉にみんなで頷く。
それから終業式までの間、近田先生の様子には気をつけていたが、特に宇宙人が降りてくるとか、サングラスをかけたスーツの人に襲われるとかいったことは起こらなかった。一度、先生に頼んで空を飛ぶ様子を見せてもらったのは面白かったなぁ。よろよろと一メートルの高さを飛行する様子がなんとも先生らしかった。
この時わたしたちはすっかり油断しきっていたが、思ったより早く、先生は危険に晒されることになるのだった。
冬休み初日、こたつの中でぬくぬくしていると、有間くんから連絡が来た。
「部活で学校に行ったら、近田先生がスーツを着た偉そうな人たちに囲まれていた。来られる人はすぐに来て。」
朝の九時。朝ごはんにお餅を食べてそれっきり、顔を洗っていなければ歯も磨いていない。もちろん服も部屋着のまま。奏多くんに会うから身なりはきちんと整えたいが、今はそんなことを言っている暇なんてない。おしゃれも可愛さも全て投げ捨てて制服にだけ着替えて家を出る。
「有間くん。」
学校に行くと有間くんが昇降口にひとりで立っていた。
「先生は、大丈夫?」
「ああ、見るからに怪しかったから無邪気な子供のふりして話を根掘り葉掘り聞いてやったら、日本政府で化学関連のプロジェクトをはじめるから、アドバイザーになってもらえないかという話をしていただなんて嘘を残して逃げていったよ。こっちは全てお見通しだなんて微塵も思ってなかっただろうな。滑稽すぎる。」
クックック……とスーツの人達よりよっぽど悪そうな笑い方をしたあと、有間くんは明るく言った。
「そんなわけで先生は無事だよ。今は講習中だけど。みんな集まったらまた話しに行こうかと思ってる。」
全員が集まったあとで先生の所へ行くと、いつもと変わらぬ様子で話し始めた。
「日本政府の何かだとは仰っていましたが、詳しくは覚えていないです。ものすごい早口でしゃべられて、何も理解できないうちに腕を引かれて連れ去られそうになりました。30過ぎの成人男性でも拉致されるものなんだなぁ、と思いました。」
誘拐犯と先生が攻防を繰り広げている間に有間くんが登場したというわけか。ってことは有間くんがいなかったら先生、相当危なかったんじゃ……?
「先生、その“30過ぎの成人男性が拉致される”事件が本当に起きてしまうかもしれません。外出する時は誰かと一緒にいるようにして、絶対にひとりにならないでください。家でもひとりにならないように……」
「あ、先生。引きこもりのお子さんとかいらっしゃいませんか。」
ことりが急に口を挟む。どうして引きこもりなんだろう。その疑問はすぐにゆりが解決してくれた。
「自宅警備員ってこと?」
「そういうこと!」
大笑いする有間くんに、きょとんとしている奏多くん。先生は呆れたような表情をしている。そして、
「いませんよ……」
と腹の底からどうにか絞り出したかのような声で答えた。
「とにかく。ひとりにはならないように気をつけてくださいね。」
真面目な顔に戻った有間くんが言う。
「分かりました。が、なんだか過保護に育てられている子供みたいですね。」
確かに普段だったら過保護すぎると感じるだろう。ただ、今の状況だとこれでも足りないのではないかと思うほどだ。
「それと、これから政府とかその他もろもろ偉そうな人から連絡が来ても着いていかないでくださいね。連れていかれたら解剖実験とかされかねないですから。」
有間くんがそう締めくくり、青い顔をした先生を残して職員室を後にする。
「今日は無事で良かったけど、いつ何があってもおかしくないよね。」
引きこもり、なんて言い始めたときとは真逆の、真剣な表情でことりが話を切り出す。
「家まで着いていくことはさすがにできないけど、学校でならある程度は対応できるよね。」
わたしがそう呟くと、
「ね、みんな。これから毎日学校行かない?」
今度は少し明るい調子でことりが言う。
「それは俺も思ってた。みんなの予定はどうだ?」
「僕は部活の日以外は基本的に暇だけど……」
と奏多くんが言うと、全員がそれに続く。
「みんな大丈夫そうだね。そうしたら、朝は7時半集合で、夕方は5時まで学校にいる、で大丈夫?」
「えーっ。」
不満げな声をあげるのはことり。
「もっと集合遅くしようよ。そんな早く起きられない。」
そういえばことりは遅刻の常習犯だった。
「朝は来られる人だけでいいよ。かく言う俺も朝には弱い。」
うん、有間くんも毎日のように遅刻してたよね。
「奏多は朝強いよな?」
「うん。苦手ではないかな。」
「初本は?」
「あ、わたしも平気!ゆりも大丈夫だよね?」
「うん。でもここは遠慮しておこうかな。冬休み、2人だけの時間も満喫したいだろうしさ。」
最後にはウインクまでつけてきた。
「ゆりー!!」
恥ずかしさを隠すために、そう叫んで拳を振り上げる。にやにやしながら逃げるゆり。絶対楽しんでるな。
「それじゃあ今日も5時まで残るか。」
「おー!」
こうして始まった近田先生護衛隊生活。何事もない平和な日常にわたしたちの気は緩んでいくが、3日目にして大事件が起きることとなる。
朝6時50分。わたしは八王子駅で奏多くんのことを待っていた。スーツ服のサラリーマンが次々に通り過ぎていくのを見て、この中に先生を狙う悪い人がいるのではないかと不安になる。
「まゆ!」
自分の名前を呼ばれた気がして振り返ると、奏多くんが優しい微笑みを見せて立っていた。
「おはよう。」
そう言ってならんで歩き出すと、左手が温かいものに包まれた。驚いて奏多くんを見ると真っ赤な顔で俯いている。先生が大変な目に遭っているのは分かってるし、申し訳ない気持ちもあるけど、やっぱり幸せ。そう感じてしまう。
くたびれたサラリーマンに揉まれつつ電車に揺られて学校へ急ぐ。
「先生!」
校門の前に黒い車が泊まっていてそこに先生が連れ込まれそうになっている。連れ去ろうとしている人は日本人らしからぬ彫りの深い顔立ちをしている。ヨーロッパの人だろうか。体格もとても良い。立ちすくむわたしの横から飛び出していった奏多くんが先生に体当たりし、謎の男の元から先生を奪い返す。男が先生に再び近づこうとするが、そうはさせない。
「誰か、助けて!!」
わたしは大きな声で叫び、男の意識をこちらへ向けようとした。すると狙い目通り、男は叫ぶのをやめさせるためにこちらへ向かってきた。助けを求める女子高校生と、それを追う大柄な男。構図はばっちりだ。あとは誰かが間に入ってくれれば……ちょうどその時、自転車に乗った巡回中のおまわりさんが視界に入った。なんて運がいいんだろう、そう思いながらもう一度
「助けて!」
と叫ぶ。すると、自分が大変な状況に置かれていると気づいたのか、男は車の中に戻っていった。捕まえてもらうことはできなかったが、それは不要だろう。どうせあの男も日本、または他の国の要人だろう。捕まったところですぐ釈放される。
「君、大丈夫かい?」
と駆け寄って来てくれるお巡りさんに道を歩いていたら急に追いかけられて、と説明しながら車が泊まっていた方を見ると、もう先生も奏多くんもいなかった。きっと学校の中に入ることができたのだろう。胸を撫で下ろしながら、わたしはお巡りさんの話を聞く。まさか正直に先生のことを話すわけにはいかない。警察を巻き込んでしまったことに少し後悔しながら、今に至るまでのストーリーを考え始めた。
お巡りさんへの説明を終えて学校に入ると既にいつものメンバーが揃っていた。
「まゆ、大丈夫だった?」
と聞くゆりに
「状況を考えて話すのは大変だったけど、なんとか。」
といいながらその輪に入る。
「SNSで調べて見たんだけど、あの人は在日ドイツ大使館の人っぽい。先生を狙ってるのは日本だけじゃないってことかな。」
そのドイツ人だという男の画像を示しながらことりが言う。写真をよく見ると、確かに車で逃げ去った男にそっくりだった。
「これからも色んな国の人が先生を狙ってやってくると思うと、24時間着いていくようになるかもしれない。」
有間くんがそう言うと、
「私のプライバシーは……」
と先生がささやかな反発をみせるが
「命とプライバシー、どちらの方が大事ですか?」
という奏多くんの質問に
「それは命です……」
と言って黙り込んだ。
「そうは言っても俺たちだって暇じゃないし、先生にずっと付きまとうのも気が引ける。とりあえずは今まで通り、先生についてはひとりにならないことを徹底していただくってことで、」
そこで有間くんは言葉を止めて、先生の方に向き直った。
「先生、それができなかったら本当にいつ何時、トイレに行く時さえ着いていきますからね。絶対ひとりにならないで、信頼できる人と一緒に行動してくださいね。」
あまりの剣幕に、先生は黙って首をこくこくとしている。
「これからもいろんな人が先生を狙ってくるよね。このままで本当に大
丈夫?」
先生が職員室に戻っていった後で、ゆりが心配そうな顔をして言った。
「正直十分とは言えない。だけど今できることはこれぐらいしか……」
有間くんは声を落としてこう続ける。
「それと、実は先生にGPSセンサーを仕掛けたんだ。何か変なことがあれば対応できるように。先生には話してないけど。父さんからもらった最新型で、へそに張り付けられるようになってる。すごく小さいから近くで見てもそうとは分からないし、本人も気づかないはず。防水だから、お風呂に入っても大丈夫。基本は服で隠れてるから誘拐犯に気づかれて取られる可能性も低い。」
なるほど、それなら少し安心。だが、有間くんはどうやってそのGPSを先生のおへそに張り付けたのだろう。腹踊りをしている先生を見たことなんてないし、お腹を出すような趣味はもっていなさそうだけど。この季節、プールに入るなんてこともそうない。そもそも水着っておへそ出るっけ。そんなことを考えていたら奏多くんがわたしが抱えていた疑問をぶつけてくれた。
「寿人、お前どうやってそれを先生につけたんだ?」
「ちょっと薬を盛っただけ。大丈夫。ばれてない。」
薬……睡眠薬だろうか。そんな簡単にためらいなく薬を飲ませてしまうとは。わたしは有間くんを決して敵に回さないようにしようと心に決めた。唖然とするみんなをおいて有間くんは話を進める。
「このページにログインすればGPSの情報見られるようになるからみんなログインしておいてね。ほかの人には絶対ばれないように気を付けて。」
教えてもらったIDとパスワードを入力してログインしてみると本当に先生の位置が映し出された。しかも信じられないほど正確で学校の中の、さらに職員室にいるということまで分かる。これなら不審者が学校内に侵入したときも対応できそうだ。
「これで動きやすくなると思う。学校にいるときは怪しい奴らが忍び込めそうな門の周辺と昇降口まわり、それと先生がいる場所を重点的に監視するようにしよう。」
有間くんの言葉にみんなで頷く。人の目があることを考えて、敷地内に侵入できそうな場所は正門と西門の2か所。校内に入れそうな場所は生徒昇降口と職員玄関を合わせてひとつと、ごみ倉庫前のドア、それに体育館棟側の入り口の3か所だ。玄関周辺と体育館側は十分ひとりでみられる距離だし、4人で見張れば完璧に近いだろう。残ったひとりは先生につけばちょうどぴったり。学校の出入り口の少なさに初めて感謝する。今まで意識してこなかったけれど、この出入り口の数は多いのだろうか、少ないのだろうか。
話し合いの結果、30分ごとに交代で各場所を見張ることになった。冬も深まる季節、外はさることながら廊下も寒い。なかなか厳しい戦いになりそうだ。わたしはコートを着込んで最初の持ち場である正門へ急ぐ。今は葉を散らしきって寂しくなっている桜の木にもたれて、誰かを待つふりをする。怪しい人がいたらすぐ写真を撮れるようにスマホを構えるが、特にやることもない。電子書籍か何かを入れておけば読書ができたのに、あいにくわたしは紙媒体が好きだった。今まで1度も電子書籍を利用したことはない。SNSに長けていることりはきっとツイッターだかインスタだかを見て暇を潰しているのだろう。そんなことを思いながら面白げもないスマホの画面を見つめていると視界の片隅に人影が映った。正門の前で学校の様子を伺っている。パシャリ。静音モードで写真を撮ってからその人物に話しかける。
「何かお困りですか?」
「あ、いえ。道に迷ったもので……」
「わたしで良ければ案内しますよ。」
「今調べたらここからすぐ近くだったので大丈夫です。」
そう言って走り去っていく。怪しい。わたしはさっそくそんなに連絡する。
「怪しい人物発見。少し話したら逃げていった。」
という文言とともに撮った写真を送ると、ことりから
「SNS捜索隊出動します!」
というメッセージが届いた。ことりに任せておけば、もう安心だ。元の位置に戻って道路を見つめる。偏見かもしれないけれど、黒い高級車が通ると偉い人が乗っていそうでドキッとしてしまう。
そんな感じで監視を始めてしばらく経った時のこと。わたしが昇降口付近で人の出入りを眺めていると、外が騒がしくなっているのに気づいた。見れば有間くんが大勢の大人に囲まれている。咄嗟に職員室へ飛び込み、助けを求める。幸い、近田先生はいなかった。もしいたら自らの危険を顧みずに飛び出していったことだろう。そうしたら出ていくのを全力で止めなければならない。有間くんを襲っている彼らの目的はほぼ間違いなく近田先生だ。平常時だったらいいが、今は出ていかれては困る。
「うちの生徒が何か?」
威圧感がすごいということで有名な体育科の先生が凄んでみせると日本語じゃない言葉で何かを呟いてから去っていった。
「何があったの?」
少し安心したような表情を見せている有間くんに問う。
「怪しい奴らが来たなと思って顔をあげたら急に腹を殴られて。痛くて反応する余裕もなかったけどたまたま通りかかった人達が叫び声をあげて、この状況。先生が来なくてもいずれ居心地悪くて逃げてっただろうけど、やっぱり怖かった。」
みんなで集まって話し合っていると、どこからか息を切らせた近田先生がやってきた。
「職員室で有間くんが襲われたと騒ぎになっていましたが、大丈夫でしたか。」
「全然大丈夫です。1発殴られただけだし。」
有間くんはそう言って笑ったが、先生は深刻そうな顔をしてたままだった。
「私の都合でこれ以上みなさんを危険に晒すことはできなせん。心配してくださるのはありがたいですが、これ以上はこの件には関わらないでください。」
「でもそれだと先生が……」
「自分のせいで生徒が危険な目に遭ってしまった教員の気持ちが分かりますか?私はみなさんを守らなければならない立場です。」
ことりの言葉を遮って先生は言う。
「だから、これ以上は……」
絞り出すような悲痛な声に、わたしたちは頷く以外の選択をすることはできなかった。
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