序章―②

 どうしてこの場にいるのか、遠山はあまり覚えていない。

 覚えていることは、変な求人チラシに勢いでメールを送ったこと、変な求人から採用通知が送られてきたこと、退職届を部長に提出したら3時間怒鳴られ続けたことだけである。



 とにかく、あまりにもトントン拍子で事が進んだので実感が湧かなかったが、転職活動が終了した。エントリーシートを送っただけで内定してしまった。最初は流石の遠山も不審に思ったが、上司からの怒号を浴びているうちに脳が麻痺していったので問題は無かった。



 今日は本採用の前に弊社についての業務内容や福利厚生などの説明、及び顔合わせの日である。面接をしていないので、そのあたりの説明をされていないからだ。



 オフィスビルの……地下15階。指定された場所へ向かう。

 エレベーターを出て左側の部屋に綺麗な黒髪の女性といかにも人相が柔らかい初老の男性が待っていた。



「君が遠山君ですね。座ってください」

 想像通りの優しい声だった。失礼します、と少し上ずった声で返事をした。自分でも気づいていなかったがどうやら緊張しているらしい。



「まずは弊社に応募していただき、ありがとうございます。ウチは基本知り合い採用なので人員募集はしないのですが、欠員が出たので久しぶりに求人募集というものをしたんですよ」



 にこやかに笑いながら男性は続けた。



「今だとネットで募集をかけたり、ハローワークに求人を出したりするのが一般的でしょうが、その、ウチの場合あまり公に情報を出すのは憚られる職種ですからねえ。あのような形を取らせていただきました」



 憚られる?ずいぶん不穏な雰囲気を感じる…



「まあ老人の戯言はこれくらいにしましょう。自己紹介がまだでしたね。株式会社デスだよの社長を勤めています本城といいます。遠山くん、よろしくね」


「はい!遠山と申します。誠心誠意御社の力になれるよう努力いたします!よろしくお願いします!」

 不意打ちで挨拶が来たが、問題なく返せた。面接のつもりで来ていることが功を奏した。


「そしてこちらが…」

「部長の吉田だ。よろしくな新人」

 黒髪の女性はそう答えた。表情に変化はなく、鋭い目でこちらを見ている。



「じゃあ自己紹介をすませた所でね、ウチのことを説明しましょうか」

 社長はそう言ってプリントの束を渡してきた。資料のようだ。



「まずハッキリ言いましょうか。『株式会社デスだよ』は殺し屋派遣会社です」



 一瞬脳がフリーズする。殺し屋?今殺し屋と言ったか?



「殺し屋というと要人を陰で暗殺……なんて思い浮かべるかもしれないが、今はあまりやっていないんです。時代なのかな……一人を暗殺するリスクやデメリットが報酬と釣り合わなくなってしまった。監視社会というのは辛いねえ……」

 話している素振りは昔を懐かしむ初老そのものだった。内容を除けば。



「それで、一昨年からやってる新事業が好調でね、遠山君にはその事業に加わってもらいたいんです。それが君の手元の資料にある、デスゲームというものです」



 何とか頭を回転させ、手前の資料に目を落とす。そこには~デスゲーム企画運営マニュアル~と書かれた冊子が用意されていた。


「じゃあここからは部長の吉田くんに説明してもらいますね」

「はい、社長……そういう訳で改めて、デスゲーム企画運営部部長の吉田だ。よろしくな」

「はっはい」

「そう緊張するな……まずはデスゲームというものから説明しよう。遠山君、君は漫画やアニメは見るか?」

「人並みには……」

「そうか、なら一つくらいデスゲームを主題とした作品は見たことがあるだろう。我々はそのデスゲームを実際に行い標的を殺す仕事をしている」


 殺す……


「例えば学校、例えば会社、例えばサークル……標的は様々だ。だが我々も無作為に選んでいる訳では無い。殺し屋は自ら殺しなどしないのさ。あくまで依頼された標的を狙う」


 吉田は変わらず冷たい目をしているが、だんだん表情が崩れつつあるように見えた。うっすらと笑みのようなものが見える。


「一番多い依頼はいじめだ。息子がクラス単位でいじめられているからクラスをデスゲームに仕掛けて欲しい。会社でパワハラが横行しているから連中をデスゲームに巻き込んで欲しい……等々だな。要するに我々は社会のゴミをまとめて掃除しているという訳さ」


 ふと前の会社を思い出してしまった。


「ああ、勘違いしないでくれよ。だからといって我々は正義なぞ掲げるつもりはない。結局は人殺しだからな。あくまで殺し屋の仕事の延長、いや範疇だ。社会のゴミを掃除するのは人間のクズってことだ」


「あの……求人に社会貢献って……」

「そんなもの求人の方便に決まっているだろう。決まり文句というものだ。……ああ求人と言えば、よくあんな怪しい貼り紙にメールし、あまつさえ採用通知を受け止めてここに来たものだな」


 採用した側のセリフじゃないだろ、と遠山は心の中でツッコんだ。


「実際の所、そうじゃないと入れないのさ。怪しい貼り紙は無視する、面接が無い会社には行けない、何の会社かもわからないのに採用されたからと言って勤務できるわけがない、そんな常識を持った人間がここに来たってどうせ辞めてしまうだろう?」


 なんということだ、思考回路が麻痺したことが功を奏していたとは。いや、功を奏しているのか?


「具体的な業務内容の説明は入社してからでいいだろう。とにかく、君にはデスゲームの運営を我々と共にやってもらう。そうだな、予習がてら世のデスゲーム作品を読んでみるといい。少しはイメージがつくだろう。そうだな、王様の命令を聞かなければならないものや別世界でゲームをするものなんかがいいだろう」


「業務内容の説明はこんなものかな。じゃあ次は福利厚生についてお話します」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「はい?なんでしょうか」


 社長はきょとんとしている。きょとん?じゃないんだよ。こっちはもうずっと混乱状態だ。殺し屋?デスゲーム?何を言っているんだ。ここは日本で、現実なんだぞ。漫画の世界じゃないんだ。聞きたいことなんて山ほどある。


「あの……要するに殺人ですよね……犯罪なのではないでしょうか」


「違うな遠山君。拉致監禁傷害暴行詐欺殺人だ。クックック、犯罪だらけだな」

 吉田が嬉しそうに言った。


「どっちにしろ犯罪ですよね!?捕まったりしないんですか……?」


「ああ、そうか。一般市民だとそういう発想になるんですね。いやはや失礼しました。長年殺し屋の家系で暮らしているとそういう感覚が鈍ってしまう」


 社長が続けた。


「いえね、この部分は話すと長いので簡単にまとめますと……我が本城一家は代々殺し屋家系な訳ですが、警察組織と本城一家は長年良好な関係を築いています。古くは江戸幕府お抱えの暗殺者集団だったり、戦時中は秘密警察の一員だったこともあったそうです。そして、株式会社デスだよは本城家を中心とした殺し屋派遣会社なので警察どころか政府と繋がりすらあるんですよ」


 社長は相変わらず柔らかい物腰を崩さない。


「なので、そのあたりは心配いりません。仮に逮捕されても直ぐに無罪放免ですよ。まあ、そんな事例は今までありませんがね」

「そう……ですか」

「なんだったら警察の仕事を手伝うこともあるんだぞ。逃亡犯の確保などだな。デスゲーム運営部としては、死刑囚をまとめて死刑に……なんてこともした。ああ、もちろん極秘でな」

 死刑反対派が聞いたら卒倒しそうな話だ。


「まあ、とにかく逮捕のリスクなどは考えなくて大丈夫ですよ。むしろ他の企業と比べたらクリーンな方ですよ。労働基準法違反や横領、脱税なんかもあるでしょう?ウチなんて公的な殺人くらいなものですよ」

 社長と吉田は笑っている。公的な殺人なんて単語があることを生涯初めて知った。


「さて、遠山君は前職かなりのブラック企業にいたんでしょう?だいたいウチに連絡をしてくる人はブラック企業に精神をやられた人ばかりですからね」

「まあ大体がすぐに目が覚めるんだがな…こうして面談まで来るのは珍しい。まあ、ここに来て目を覚ましてしまったやつの末路は悲惨だがな」

 吉田はニヤニヤしながらそう言った。ひょっとして逃げ場はもう無いのか?

 怯える遠山に社長はにこやかに続けた。

「何が言いたいかというと、遠山君はとにかく環境を変えたかったんですよね?」


 その通りだ。これ以上あの会社に人生を壊されるのは辛抱たまらなかったが、転職活動が全くうまくいっていなかったのも事実だ。このままでは八方ふさがりという所で渡りに船、という経緯である。


「急に殺し屋だのデスゲームだの言われて混乱する気持ちは分かりますが、とりあえず福利厚生の話を聞いてみてください。そうすれば気持ちも変わると思いますよ」

「……!」


 見透かされている。確かに今、内々定を辞退し少ない貯金を切り崩しながら再び転職活動に勤しむこととこのまま入社し殺人を犯していくことで天秤が揺れている。

 逮捕のリスクが無いとは言え、これまで27年間で培ってきた倫理観が心にストッパーをかけているし、罪悪感に苛まれる日々を過ごすことも容易に想像できる。

 だが、それ以上に全くうまくいっていない転職活動もネックだし、実際ここを逃せば前と同じようなブラック企業しか受け皿が無いだろう。前職の手取りでは生活するのに精いっぱいの額だったので無職となった今日々の生活すら怪しい。というか、断ったら生きて帰れるのか?



 まあ、これでデスだよの勤務条件が悪かったら天秤はここから逃亡に傾くだろうが……



「まず年間休日数は126日以上。シフト制にはなりますが大型連休などは一律で休みになります。残業は基本ありませんが、デスゲーム企画運営部はデスゲーム当日付近は忙しくなってしまいますのでどうしてもそこは発生してしまうでしょう。もちろん残業代は分単位で出しますよ。みなし残業なんてセコいことはしません。勤務時間はフルフレックスです。ウチの会社には社内食堂があるんですけど、こちらは社員は無料で利用できます。社員寮に住んでくれれば手当として家賃・光熱水費の90%をこちらで負担します。ちなみに社員寮は会社から徒歩10分の立地ですね。1ルームですけど15帖あるので広いと思いますよ。築5年なので新しいですね。交通費は申請してくれれば全額支給となります。あとはコーヒーサーバーなど社内で色々とアメリティもありますので、こちらもご自由に。給料ですが、額面では270,000円で昇給と年3回の賞与があります。賞与は半月分の給料と実績による手当がつきますね。有給取得率は100%です。病気などの時は有給とは別に病気休暇というものがあります。意味は有給と同じですけどね。ざっとこんなところでしょうか。何か質問はありますか?」


「これからお世話になります!よろしくお願いします!!」


 今日一元気な声が出た。ああ、入社が楽しみだ。


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