第229話 ミリアの決心


 最近ウェルダート父上の帰りが遅くなっている。


 クリストファーから少し聞いたところによると、エリザベス教授せんせいの『白熱電球』が生産ラインに乗せられるレベルにまで向上したらしい。近く工場を建設して王立工場として広く一般平民をも雇い入れるという。


――たぶんその調整に追われているのでしょうね。


 それにしてもこう毎日帰りが遅いのはミリアの中には記憶がない。


 物心ついた時から夕食は家族がそろって行うことが慣例となっているのが、ハインツフェルト家だった。

 最近でこそ、たまにキールやリディーたちと食事に出ることが増えたが、それも別に毎日というわけではない。

 今でもおおかたは屋敷の夕食を父上とお母様と3人で取るのが基本となっている、はずだったのだが……。


「最近、父上は帰りが遅いのね? 夕食はお召し上がりになられてるのでしょうか?」

ミリアがいつも父が掛けている椅子の方を見やって言葉をこぼした。

「そうね、夕食はちゃんと食べてるそうよ。でも、こんなに毎日遅いのは、本当に久しぶりのことね――」

と、ミリアの母が応じつつ、そばに控えている使用人の一人にグラスを掲げて視線を送った。


 合図を受けた使用人のモルガンが、ワインの栓を抜くとミリアの母フランソワのグラスに注ぎ始める。


「旦那様がこれほど連日遅くおなりになるのは、ミリアさまがお生まれになる少し前以来ですなぁ」

と言って微笑んだ。


「あら、本当ね。あの頃はわたしも身重で毎日が不安だったわ。今となっては、いない方が楽だと思うことが多いのにね」

といってフランソワも微笑みを返す。


 こうは言っているが、それが本心でないことはミリアでもわかる。


「あの時は大変だったわね。確か英雄王が辺境の国士の依頼を受けて魔物討伐に向かうと言って国を留守にしたのよ。で、その間、あの人とケインの二人が国政を一時的に預かることになって――。おおかた仕事が忙しくてなかなか戻ってこれないのだろうと思っていたら、実は毎晩ケインと議論をしていて遅くなったらしいわよ?」


 ケインとはおそらく現財務室長のケイン・ギュンダー伯爵だろう。


「ええ、ええ、しかもその議論と言うのが、皇室の今後の在り方についてとかおっしゃっておられましたね。実のところは、英雄王のあとの御世継をどうするかという話だったらしいですよ?」

と、モルガンが応じた。


 モルガン・ブリュワー。ミリアの世話役であり、この屋敷の使用人長でもある彼は、かつてミリアがカインズベルクへキールを追って行ったときにも同行していたミリアの一番の理解者でもある。年齢は父上と同年だと聞いている。ミリアがキールに思いを寄せていることを知っているのは、この屋敷の中では彼一人かもしれない。

 なにせ、カインズベルクの露店商店でキールと久しぶりの邂逅を果たした瞬間にもすぐ近くに控えていたのだから――。


 ミリアはその時のことをふと思い出して、唇の感触が蘇ってくると、少し顔が上気する感覚に見舞われた。

 しかし、今はそれを押し込めて、この話題に乗っかろうと言葉を継ぐ。


「そう言えば、陛下は一代王を宣言しているって――。自分のお子を産んで継がせる気は本当になかったんですね?」


 そう言えば、英雄王には子供がいない。冒険に明け暮れて女性に見向きもしなかったという説や、いやいや実は世界中に「としだね」がおいでになって、その者たちが王位継承を目論まないように釘を刺したのだとかという説があるようだが、本当のところは何も分からないらしい。


「私もよくは知らないけど、陛下にお子がいないのは事実のようね。それに、生涯、妃をとらないとその遠征からお戻りになられた後宣言されておいでだわ」

とフランソワが答えた。

「そうですね、そういう発表があったのは陛下がご帰還なされてすぐのことでしたね。旦那様は相当御反対なさったそうですが、頑として聞き入れなかったとお聞きしております」

とモルガンも答える。


「そうなんですね――」

と、ミリアは静かに相槌を打った。


 あの英雄王が女性に興味がないとは全く感じられない。どころかどちらかと言うと結構好色のたぐいに見えなくもないのが普通だ。

 世界中に落とし種がいるという説の方がどちらかと言うと信憑性が高いように思う。

 やはり国政に携わるというのはいろいろと並々ならぬ苦労があるのだろうか?


――あなたはどうするの? ミリア・ハインツフェルト。


 ふと、頭の中のミリアが自身に問いかけてくる。


 今年もすでに夏になろうとしている。

 ミリアの学生生活も刻一刻と残り少なくなってゆく。


 最近は魔術院の訓練にキールも参加するようになって、ジルメーヌ様の授業にも参加している。ミリア自身もここ数年のうちで間違いなく魔術師としての技量が格段に向上したと思えるほど、キールと出会ってからの数年が非常に濃密な時間となっている。

 それに伴い、これまでに比べて「欲」も増えてきているようにも思うのだ。


 その「欲」は、愛欲ではもちろんない。また、自己顕示欲でもない。どちらかと言えばもっと単純な自身に対する渇望だ。


――もっとうまくなりたい。


 ここ数年の間に出会った魔術師の面々のその総合力の高さにはさすがのミリアも舌を巻いた。

 院長はもちろんだが、『火炎ゲラートさま』、『疾風リシャールさま』、そして『翡翠ジルメーヌさま』――。

 みな、素晴らしい魔術師たちばかりだ。

 

 そして、『』。キール・ヴァイス。


 彼にはどのような二つ名が冠せられるのか――。


――わたしはその時彼の隣に立てているのか。



 ああ、やはりそうなのだ。

 どうやら答えはもう出ている、いや、出ていたのだ。

 ただそれを自分が自分で許せなかったのだろう。


 しかし――。



「お母様、わたし、魔術院に登庁しないことにしました――」


 とうとうその言葉をミリアは口にした。   

  






 

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