第216話 果ての先


「よお、リヒャエル、まだ生きていてくれてよかったよ」

虹色に輝く金色の瞳の女、『翡翠ひすい』が、英雄王の姿を確認するなりそう声を上げた。


「ふん。お前は相変わらずだな――。胸の大きさも成長してないじゃないか」

と英雄王が返す。


「わたしらの種族はこういうなりなんだよ。これでも平均よりは大きい方さ」

そう返す『翡翠ひすい』の胸元に思わずウェルダートの視線が移る。


 確かに成人女性のそれに比べれば、それ程のふくらみはない。だが、絹のようにさらりとした薄手の生地で編まれたローブは、彼女の体のラインをくっきりと映し出し、これはこれでなかなかに美しい。


「ほれ見ろ。となりの政務大臣殿も私の美しさに見惚れておるではないか」

と、ウェルダートの視線に気づいた『翡翠ひすい』がリヒャエルに返す。


「あ、いや、失礼しました。相変わらずの美しさに目を奪われてしまいました――」

ウェルダートは何とか取繕う。


「まったく、お前たち『』どもはどうしてそう、への関心が強いのかのう。わたしにしてみれば造形の差など大した興味を引くものではないのだが――」

そう言って『翡翠ひすい』はふぅと一息吐き出した。


「そりゃあおまえ、俺たちの寿命を考えればわかる事さ。俺たちは短いからなぁ。その間にやることやんねえと、あっという間に使い物にならなくなるのさ」

「ふうん。リヒャエル、お前もなのか? そうは見えんが?」

「俺はまだまだ現役だぜ? お前がその気なら今晩一戦交えてもいいぜ?」

「なるほどのう。あのリヒャエルもそんな口を叩くほどになったとは。やはり、から離れていると、時間の感覚が鈍るのう」

そう言って、英雄王に向かって人差し指を突き出した。


「な!? 何をする気だ!? やめろ、冗談、冗談だってば! お前になんか手を出すわけないだろう!?」

英雄王が慌ててこの場を取り成そうとする。明らかに怯えている風にも見える。

「陛下、さすがに今のはレディに掛ける言葉ではありませぬな? たとえ王と言えども女性に対しては常に紳士であらねばなりませぬぞ?」

ここぞとばかりにウェルダートが先程の汚名を返上しようと試みる。

「ウェルダート! お前、俺を売る気か!?」


「ああ、もうよい。三文芝居はそこまでじゃ。それに、リヒャエル。お前はわたしを「」呼ばわりしたのう? この代償は払ってもらうぞ?」

「な!? マジかよ――。ちょっとした挨拶じゃねぇかよ――」


「やったことのは自分で払うのが冒険者だと、お前がいつも言ってることじゃろう?」

「ああ、それなんだがな――。おらぁもう、冒険者は引退したぜ?」


 『翡翠ひすい』の目が少し見開かれた。意外だという感情を表しているのがウェルダートにも見て取れるほどだ。

 しかし、その光はすぐに消え失せ、また元の色へと戻る。


「そうか。それでは、頼めんかもしれんのう――」

翡翠ひすい』の表情からは感情が読み取れない。まったくの「無」のようにも見える。


「なんだよ、ジルメーヌ。折角せっかくここまで来たんだ、話だけでも聞かせろよ? 何か出来ることがあるかもしれんだろ?」

英雄王がその表情を見て『翡翠ひすい』に問いかける。


 『翡翠ひすい』はやや躊躇ためらったのち、話をつづけた。

「――そうさな。実はのう、南の国で異変が起きておる。大規模な旱魃かんばつじゃ。おそらくは、魔族の仕業じゃろう。最近南の国でも魔物と魔獣が増え始めておってな。そもそも我らの土地、南の国は魔物どもの干渉に非常に弱い。少し魔物が増えただけで、かなりの自然災害へとつながるのじゃ」

「なるほど――、で、俺にそれを何とかしろと、そういう事だったってわけだ――」


「陛下、南の国と言うのは果ての地の先にあると言われている大地のことですか?」

ウェルダートが問う。

「ん? ああ、そうだ。ジルメーヌたちの種族が住まう土地だ。俺は一度だけ行ったがな。だがそこは俺たちのパーティ以外は誰も行ったことがねぇ土地だ……」

と英雄王が答えた。



 ジルメーヌ・アラ・モディアス――。

 通称『翡翠ひすいの魔術師』。英雄王パーティにおいて魔術師を務めていた時期がある女魔術師だ。そして、彼女こそ、英雄王パーティ最後から3の魔術師でもある。

 ついこの間のダーケート王国への冒険にて、最後の魔術師はキールとミリアの二人に更新された。つまり、二人の前の魔術師という事になる。

 彼女の出自は英雄王のパーティ以外にはほとんど知るものはいない。時折この国を訪れるため、門衛のガーランド、クリュシュナ親子や、ウェルダート、ニデリック、ネインリヒぐらいしか彼女の本性を知る者はいない。

 彼女の本性――彼女はエルルート族だ。エルルート族というのは人間ではない別の種族だとされている。明らかに人間ではないという事は分かっているが、起源がどうなのかという詳細は判明していない。ただ、彼女たちの住む土地は、果ての地よりさらに南に位置している大地である。このことは、公式には未発表であるが、英雄王のパーティだけがそこへ一度訪れている。


 南の果ての地、それは広大な海だ。

 現在この世界においては航海技術が発展していない。よって、その海の向こうに何があるのか、あるいは何もないのかは、公式には全く不明となっている。

 どうして航海技術が発展していないのか?

 答えは非常に簡単なことだ。必要がないから、だ。


 海には資源がない。


 いや、厳密に言うと、あるはずなのだが、現在のこの世界の技術ではそれを手に入れることは出来ない。せいぜい、浜辺周辺においての漁が関の山だ。しかしながら、海での漁獲量はさほどでもない為、危険との釣り合いが取れず、漁業は衰退してしまったというのが実情だ。


 そうして人間たちは海の先へ向かう意欲すら失ったというわけだ。



「――わかった。何とかしてやる。とは言ってもさすがに俺のこの年であの海は超えられそうにない。少し時間をくれ。かならず方法を見つけてやる――」

と英雄王が『翡翠』、ジルメーヌへ告げた。


「すまぬ。さすがにお前にしか頼るところがなくてな――。恩に着るぞ、リヒャエル」

そう言うと、ジルメーヌの表情にやや明るさが戻ったように見えた。





 


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