第210話 氷結の背中


 結局のところ今回の『試合』はここまでとなった。

 キールは腕をめられて、少し捻挫ねんざ気味だが、大事に至るまでのことはない。


 ミリアの治癒術式を施され、少し痛みもましになっている。


「正直、驚いています。よくぞたったの3年足らずでここまで練度を上げたものですね。まさか私をあそこまで追い込むとは、いやはや、ゲラードやリシャールがあなたを買うのも頷けるというものです」


 そう言ってニデリックがを差し出してきた。


 キールはその手を自身の左手で受け、握手を交わす。


「さすがに、三大魔術師のおひとりですね。そう簡単に勝てるとは思ってはいませんでしたが、もう少し冷や汗をかかせるほどはできると思ってたんですがね――。やはりまだまだ修行が足りないようです」

と、キールも言葉を返す。

 右腕は捻っているため、すぐに動かすのはやはり少し厳しいところを察して、左手を差し出してきたあたり、ニデリックの細やかさが現れている。


「いえ、そう謙遜するものでもありませんよ。私はできることなら完膚なきまでに叩きのめして、魔術師の道の厳しさを示したいところでしたが、そこまでの差をつけられませんでした。どころか、私の方が力を入れすぎてしまうありさまです。私はゆうにあなたの10倍近く魔法の修練をしているというのに、です。やはり、才能というのはあなどれないのでしょうね――」


「――――」


 キールは、自身の才能が前々世のヒルバリオのおかげだということを思い返していた。彼が選んだ『膨大な魔法の素質』という素質が、時を経て、今、キールの中で花開いているのだ。


「どうしました?」

ニデリックがキールの表情に違和感を感じて問うてくる。


「あ、いえ。この素質は、僕一人の力ではありません。僕がいまこのように魔法が使えるのは、これまでに僕を支えてくださった皆さんのおかげです。僕自身の独学だけではここまで上達しなかったでしょう。本当にみんなに感謝しています」

と、静かに答えた。

「そして、今日改めて思い知りました。僕はまだまだ未熟です。院長はそのことを身をもってご教授くださいました。本当にありがとうございます――」

と、ニデリックに向かって頭を下げた。


「そうですか――。そういわれると悪い気はしませんね。キール君、君にはまだまだ無限の可能性があるようです。おそらく、今後の修練いかんによっては、私どころか、ゲラードやリシャールも及ばないような大魔導士へと到達できるかもしれません。――ですが、魔術師というのは諸刃の剣です。おごり高ぶり自身を見失うと、あっという間に闇の力へと落ちてゆきます。私はあなたにはそうなってほしくないと心から思っています。――いいですか、キール君、あなたにはあなたを思う仲間がいつもそばにいます。ミリアもそうでしょう。どうか、それを忘れないでください――」

と、ニデリックは言うと、すっとキールの横を通り過ぎた。すれ違いざまに爽やかな春の風がキールの頬を撫でたような気がした。


「院長! 聞かないんですね? 僕の魔法のこと――」

キールが思わず呼び止める。


 ニデリックは一瞬立ち止まって、そのままの姿勢で応える、背中を向けているのでキールからは表情が読み取れない。


「聞いても――、残念ですが、私にはその術式が何かがわかりませんよ。おそらく、魔術式でしょう。それは私の。それに、あなたの術式は、現代魔法術式の枠から外れています。おそらくその理由は何か特別なものによるものでしょうが、それを聞いたところで私にはどう対応することもできません。――ただ、キール君、慎重に。それだけ言っておきます――」

 そう言うと再び歩み始め、ネインリヒに手を上げて合図すると、丘を降りて行った。丘の中腹にはキールとミリアが乗ってきた馬車と、もう一台、院長とネインリヒが乗って来た馬車の2台が控えている。

 背を見送っていると、二人は連れ立って馬車に乗って去っていった。


 あとにはミリアとキールの二人だけになった。




「――大丈夫なの? 腕は……」

「ああ、大丈夫だよ……、君の術式のおかげで、痛みはずいぶんとましになっているよ、さ、すが、だね……ミリア、は――」


 キールは魔法戦で初めて負けた。

 わかっていた、一線級の魔術師を相手にすれば自分はまだまだだということは充分に理解していたつもりだった。

 だけど、やっぱり、どこかでおごっていたんだろう。もしかしたら、僕は『氷結』にすら、負けないかもしれないと――。


 キールは、うつむいて、近くによったミリアの肩に顔をうずめた。


「――! キール!? あなた――」

「――ごめん、ミリア……。僕、負けたよ。ああ、くやしいなぁ……。き、君の、前で、負けるのは――」


 キールの体が小刻みに震えているのをミリアはその肩から伝わる感触で感じ取る。


 思わずミリアは、キールの体に手を回して、ぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫よ、キール。私はあなたを誇りに思ってるわ。あなたはあの『氷結』を本気にさせたのよ? たった、3年足らずのあなたが、あの世界三大魔術師に少しでも爪痕つめあとを残したのよ。それは、この先のあなたの大魔術師への道の始まりでもあるわ。私はずっと、あなたを見ている――。あなたが稀代の大魔導士になる日まで、私はあなたとともに歩くわ――」


「――――」


 キールはしばらくの間、そのまま無言でミリアに抱きしめられていた。


 やはり、『氷結ニデリック』はすごかった。

 あの人の背中はまだまだ先だ。でも、いつか必ず追いついて見せる。そして、言わせるんだ、すごいですね、楽しかったですよと。

 それまで僕はもう奢らない。謙虚にしっかりと状況把握して相手を見くびらない。


 そうだ、僕はまだ、なんだから――。

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