第194話 アステリッドの冒険


 クルシュ暦368年3月28日――。


 キールたちの『誘われの森奪還作戦』最終日となった日であるが、アステリッドはいつものようにデリウス教授の部屋にいた。


 時間は正午を少し回ったくらいだ。

 

 クリストファーはいつも夕方ごろに顔を出してくれるが、この2週間ほどアステリッドはミリアとキールに出会えていないため、デリウス教授の部屋のいわば留守番役となっていた。


 教授はなかなかに忙しい人で、結構国内のあちらこちらを飛び回っている。彼の研究は「心学」であるが、本来「心学」とは、対人関係において相手の感情や心情をどう読み解くかとか、様々な外交政策において国家間の思惑を推察する方法であるとか、国内における各局の政策に対する民衆の心理だとか、とにかくそう言った「人の心の動き」をどう読み解くかの学問である。


 実はこの分野のスペシャリストはこの国にはデリウス一人しかいないのだ。

 そもそも心学は、未だ学問としては先鋭的で、これを専攻する学生が少ないことや、それを教授する講師や博士が少ないという、土壌の問題もある。

 アステリッドにしても、もともとは自身の記憶について調べるがために専攻したというだけで、「心学」そのものに興味があったわけではない。


 そう言う事もあってデリウスは、あらゆる方面の国家機関やら商人組合、職人組合などからいろいろと相談を受けているのだと言っていた。


 今日もその、職人組合へ話をしに行っている。

 昼は外で食べるから、構わず自由にしてていいよ、部屋を出る時は鍵を掛けてくれ、とだけ言って、朝から出て行ってしまった。

 鍵はキール一味『学生部』の面々は全員一つずつ持っているから、鍵を掛けて部屋を出ても戻ってくる必要はない。


(お昼どうしよっかな~。一人で食べてもあんまりおいしくないんだよなぁ~。はぁ、ミリアさんとキールさん、早く帰ってこないかな~)


 などと暇を持て余している。

 しかし、腹の虫は正直なもので、先程から催促がうるさい。今もぐるると鳴らして何か食べろと催促している。


(とりあえず、街に出てみようか。何か新しいものがあるかもしれない)


 そう思い立ったアステリッドは、椅子から立ち上がる。いつも下げているポーチを肩にかけるとすぐさま教授室の扉を開けて外に出た。鍵を掛けたあと、教授棟をあとにする。

 今はいわゆる年度末休暇期間中だから、教材などの重たいものは持ち歩いていない。そもそも大学にすら来る必要はないのだが、なんとなく毎日デリウスの部屋に行かないと気持ちが落ち着かないのだ。


 この休暇中でも学内にあるカフェテリアや食堂は営業してくれている。いつもならそこで適当に済ますのだが、今日は「どうしてか」外に出ようと思ったのだった。




 大学の門を出るとそこはすぐにこの街メストリーデの大通りだ。

 街の中心部とは反対の方、大学のさらに奥に王城がそびえている。王立大学と王立書庫、そして王城は一つの塊となって街を囲む城壁の一端と一体化している。

 大通りを下ってゆくと、やがて商店街や歓楽街へと枝分かれした路地が集まる交差点に出る。そこからすぐ先にはこの街の門が見えており、そこからさらに先にはキールさんの下宿宿がある。


 アステリッドは歓楽街にあるという『ジェノワーズ商会』に行ったことはない。 

 娼館というのがこの国では公式に認められた商店だと知ってはいるが、やはり、なんとなく敬遠してしまう。キールがこれに関与していたり、ウォルデランへ『招待』された折に、そのルイ・ジェノワーズやジルベルト、ルドの3人と一緒に行動したことがあったと思い起こすが、彼らの風貌を見ると、どうも「同じ世界に生きている」とは思えなかった。


 自然、足はそれとは反対に伸びる商店街の方へと向く。


 商店街は年度末だからなのか月末だからなのか、いつもより少し人出が多かった。

 何か食べるものは無いかとフラフラとあたりを見回しながら散策していると、一件の小さな洋食店を見つけた。


(こんなところにこんな店、あったっけ?)

そう不思議に思う。


 よくあることだが、しばらく来てないと、いつの間にか新しい見たことがない店ができているというのはどの世界でも同じ、「商店街あるある」だろう。

 

 アステリッドは何の気もなしに近づいてみると、小さな玄関口にメニューが立て掛けられているのを見つけた。


 そのまま誘われるように手に取って中を開いてみる。


「わぁ! なにこれ! こんなメニュー見たことない!」

と口に出してしまったが、すぐにそれが「見たことがあるもの」だと気が付く。


 ――ああ、わたし、こんなメニュー、見たことがあるんだわ。


 前世の記憶をさかのぼると、そう言えば『ファミリーレストラン』なんかは全部こんな形だった、と思い出す。


 その店のメニューには『写真』こそさすがについていなかったが、代わりに、色とりどりの絵の具で描かれた、味わい豊かな絵が描かれていて、それぞれにかわいらしい字で料理の名前と金額が添えられていた。


 なかでも、「蜂蜜パンケーキホイップのせ」に目が留まる。値段もそれほどでもなく手頃だ。その絵イラストを信用するのなら、イチゴやその他のベリー類も盛り付けられているようだ。



 ――写真はイメージです。



 という暗号のような文言が頭の中にひらめき、その様な文言が書かれていないかとメニューをひるがえして確認するが、どうやらは見当たらない。

 それより、「蜂蜜パンケーキ」が気になって仕方がない。


――決めた! 今日はこのパンケーキに決定よ!


 そう意を決すると、アステリッドはその店の扉を開けた。

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