第189話 突然訪れるもの(2)


 ミリアは旅館の大浴場の湯に身体を投げ出して、今日一日のことを思い返していた。

 湯はまったりと温かく、さして熱過ぎないちょうどいい湯加減で、浴槽の端に頭を載せて体の力を抜くと、すぅっと体が浮き上がる感覚が芽生える。

 目を閉じて、静かに漂うと、まるで、何もない湖の上に体を漂わせているような解放感に包まれる。


(なんだったのだろう? 昨日と今日、何が違ったのだろう?)


 ミリアはいったいどうしてこのような状況になったのか見当がつかない。パーティのメンバーも誰一人として何も注文を付けなかった。あの、キールですら何も言葉を掛けてこなかったのだ――。


(考えても答えが出ないなら、やるしかないってことよね? そうよ、そうだわ、今日はたぶん何かが狂っていたのよ。旅が始まってもう10日、疲れが出てきてもおかしくない頃だわ。今日はゆっくり休んで明日に備えよう――)


 そう気を取り直していたちょうどその時、すぐそばで湯が波打つのを感じた。


(あれ? 誰かいたのかな、さっきまでは私一人だったと思ってたけど――)


 しかし、すぐに目を開けては逆に気を使わせてしまうかもしれないと思い、ミリアはまだしばらく目を閉じていることにした。


「あ~、うらやましいわ。若いとこれほどまでにがあるものなのね。綺麗だわ、ミリア・ハインツフェルト――」


 突然名を呼ばれさすがにミリアは目を開く。いったい誰が私のことを知っているというのだ? 声の感じからして大人の女性であることは間違いない。


「ど、どなたですか!? 私の名前をなぜ――」

と言いながら、目を開くと同時に一応両手で自身の体を隠すそぶりを見せ、辺りを見回すと、すぐ隣にその女の人が半身まで湯につかっているのが確認できた。


「うふふ、ごめんね。驚かせてしまった――?」

そう言ったのはその女性だ。

「わたしよミリア、久しぶりね。それにしてもあのお嬢がここまで女らしくなったとはね。これならいつでもお嫁に行けるってものね?」


 声にはなんだか聞き覚えがある――。しかし、確かに長い間聞いていない。それにこの口調――。


「リ、リシャールさま!?」

 ミリアは目を疑った。それはまぎれもなく、『疾風の魔術師』リシャール・キースワイズその人だった。


「お久しぶり、ミリア。元気だった?」

リシャールは出会うのが半年以上ぶりだというのにまるで昨日も出会っていた友人に話しかけるような口調だ。


「まったく、どうして私まで一緒に湯にからねばなりませんのでしょう?」

その向こうにはもう一人若い女の姿がある。まあ、この人リシャールがいるのだから当然この人ベアトリスもいるのだろうけど――。


「いいじゃない、ベアトリス。せっかくダーケートまで来たのだから、ゆっくり癒しなさい」

「いえ、わたくしは院長と一緒である限りどこでも仕事中です」

「くくく、丸裸でそう言ってもなんか説得力に欠けるわね? ね、ミリア?」


 そう言ってリシャールはころころと笑った。

 ベアトリスは相変わらずの仏頂面ぶっちょうづらのままだったが。


「え? でも、どうしてここへ? え? なに? どうして?」

ミリアの頭の中には疑問符が怒涛の如く湧きだし溢れそうになっていて、そのせいで言葉まで疑問符にまみれている。


「英雄王が久しぶりにパーティを組んだって聞いたのよ。それだけでもワクワクするってのに、そのパーティの新人があなたとキールだって聞いたらもう、いてもたってもいられなくなっちゃって――慌てて飛んで来たってわけ」


「は、はあ――」

とミリアはやはりに落ちないという感じだ。


「院長は大の英雄王ファンですからね――」

とベアトリス。

「そのかたが最後の冒険に出たという話を聞いて、自分も何かの役に立てないかと売り込みに来たってわけです」


「そうそう、出会う前に身支度するのは女のたしなみってものでしょう?」

「院長、この場所でそういう表現は誤解を招きかねませんからお控えになるのがよろしいかと――」

「あら、どうして? だってあの方はまだ『』なのよ? 何があるかわからないじゃない?」

と、リシャールはまんざらでもない様子だ。


 たしかにこの方は美しい。年齢的にはニデリック様と同じぐらいのはずだから、ミリアよりは20弱ほど上のはずだ。ところがベアトリスと並んでいてもまるで姉妹かと思うほどに若く見える。肌も白く澄んでいて張りだってまだ充分だ。とても40前とは思えない。女としても成熟していて色気も衰えるどころか増すばかりだ。


「え? 英雄王に言い寄るつもり、ですか?」

「ウフフ、まさか! 冗談よ? じゃなくて、パーティの方よ。わたしも混ぜてもらいたいなって――」


 ミリアはさすがに顔を赤らめた。


「ミリア、何を想像してたのかしら? 結構なのね?」


 そう言ってリシャールはまたころころと笑った――。



――――――



 その後、英雄王と邂逅を果たした『疾風』は臨時でパーティへ加わることが認められた。

 英雄王も満面の笑みでこう言った。


「俺の花道にまた新しいが加わったわ! 景気がいいじゃねぇか! 存分に楽しもうぜ!」


 リシャールも満面の笑みでこう返す。

「英雄王最後の冒険譚に加えていただけること、魔術師冥利に尽きます。この『疾風』、余すところなく力を注ぎ、『暴風』に負けぬ風を吹かせて御覧に入れましょう!」



 こうして、5日目の探索が始まった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る