第179話 英雄王、素人魔術師を雇う
クルシュ歴368年1月6日――。
この日は大魔導士キール・ヴァイスにとっていわゆる人生の転機となる日になった。
しかし、当時のキール青年はそれほどに大事になるとは思ってもいなかった。
相変わらず
部屋を出たところで待ち伏せを食らったキールはそのまま馬車でミリアの館へ連れ去られた。
この邸宅の玄関口までミリアを送ってきたこともそう言えばあったなと思い出すキールだったが、ハインツフェルト伯爵邸に足を踏み入れるのは初めてのことだった。
さすがにこの国一番の爵位を有するハインツフェルト家だけのことはある。建築のことなど全く知識がないキールであっても、その手の込んだ意匠や、つるつるに磨かれた石の床など、明らかに値段が張りそうな邸宅だと感じるほどだ。
「キール、はやく! 時間がないのよ?」
ミリアがせわしなく追い立ててメイドや執事が数人いる部屋へキールを放り込む。
「じゃあ、お願いね」
「かしこまりました、お嬢様――」
そんなやり取りを見ていると、
(ああ、やっぱりこの子、貴族令嬢なんだよなぁ――)
と今更ながらに思い返すキールだった。
数分後、キールはまるで着せ替え人形のように筒袖の燕尾服に着替えさせられ、髪の毛もいつものぼさぼさ頭からきっちりと整えられてオールバック的な髪形に替えられた。
(いつもの
とはキールは言わない。しかし思ってはいた。
(これもミリアの役割なんだろう。ここは逆らわずにやりたいようにさせておこう――)
と、観念することにした。
そんなこんなで英雄王の前に出たキールだったが、その恰好を見たこの英雄王は、キールの気持ちやミリアの気持ちも知らないで、大爆笑で笑い飛ばした。
「あっはっはっは! なんだ小僧、その恰好は? 大方、『後見人』にやり込められたんだろう? まあいい、それもお前を思ってのことだ、俺は全然いつもの恰好でよかったのだがな」
(ほうらやっぱり、たぶんそうだろうとは思ったけどさ――)
と思いつつも、
「いえ、我が国の王に謁見するのに普段着という訳にはまいりませんでしょう? 私はこのような衣装を持ち合わせておりませんので、ハインツフェルト嬢のおかげで並居る高貴な方々の前でも
と、返しておく。
現実問題、王自身がそれでよいと言ったとしても、ここは王城の謁見の間だ。左右には並居る高級官僚や高位の貴族やら大臣などもいることだろう。
「後見人」がハインツフェルト公爵家というのに普段着で謁見させてはいろいろと不都合というものもあるのかもしれない。
(そう言うところが貴族の面倒なところなんだろうけどね――)
とキールは思う。
「ふむ。確かにおまえの言うとおりだ。ここは王城の謁見の間だからな、それぞれの貴族家にもそれなりの見栄というものがあろう。俺はそんなもの気にせんのだが、そういう事にグダグダと口上を垂れるやつもいないわけではないしな?」
英雄王はそう言って、周囲の貴族たちを牽制する。
「さてと――。小僧、キール・ヴァイスよ。おまえをここへ呼んだのは他でもない。俺がただお前に興味を持ったからだ。どうだ? 俺と旅をしないか?」
いきなりの直球で英雄王が切り込んでくる。
「お、
とはミリアの
「ミリア・ハインツフェルト。お前は自身が
「な!? 私がこのものに惚れているなどと――。お
「く、ははは。すまんすまん、少し
「う、そ、それはそうでございますが――」
「まあお前の気持ちもわからんでもない。心配するな、キールを連れて行くとすれば、『後見人』たるおまえも同行することになる。お前がそばでしっかり
「で、ですが――!」
さらに反論をしようとしたミリアへ王の脇から怒号が突き付けられる。
「ミリア! もうよしなさい。王の御前である――」
言葉の主は政務大臣のハインツフェルト公爵、ミリアの父その人だ。
「――は、失礼いたしました」
「うむ、よいよい。さて、キール・ヴァイスよ。お前の答えがまだであるな。どうだ、決まったか?」
(どうせ言い出したら聞かないのでしょう? それならいっそ、応じてこの英雄王をもっとよく知った方がいいってことだ――)
キールの心はすでに決まっている。
「ええ。
「この平民が! お前何様のつもり――」
「うるさいわ! これは冒険者と魔術師の話だ! それとも今口にしたものを引きずり出して俺がその口を
貴族の列から何者かが口を挟もうとしたが、これを英雄王が一喝して押しとどめた。
その
「すまんな、キールよ。実はこういうところは何十年たっても変わらん。俺も大嫌いな貴族の
英雄王がキールにかけた言葉には本当に申し訳ないという気持ちが込められていた。
(この
とキールはすこし
「いいえ、お気になさらないでください。貴族様方にはそれなりの道理というものがあるのでしょう。それで、英雄王よ。どこへ行くというのです?」
と返す。
「ふふふ。行き先はダーケート王国だ――。この旅、楽しくなりそうだな――」
と、英雄王は満面の笑みで答えた。
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