第176話 ミリアの苦悩


 昨日の夜は楽しかった。

 あんなに笑ったのは本当に久しぶりかもしれない。


 リディが作り方を知っていると言った「うどん」という食べ物は、なんと言うか不思議な食感だった。つるつると長いパスタのような細長い「めん」というものを、独特のだしをかけて食べたのだが、麺とだしは言うなればパスタとソースのような関係であることは同じような感じだった。

 ただその「麺」が白くて少し太くて柔らかい。だが、ふにゃふにゃとして歯ごたえがないわけじゃなく、芯の部分にしっかりとした歯ごたえがありもちもちとした弾力がある。

 その上、うどんはパスタのように平皿の上に盛られてソースをかけるのではなく、底の深い「わん」という小さいボウルのような器にいれ、なみなみとだし汁を注ぎ、だし汁も一緒にすすりながら食べるのだ。

 だしとうどんのこしがうまくマッチしていてとても美味しい。


「そのこしがうどんにとって一番大事なとこなんですよ――、ね、キールさん」


と、リディは得意げだったが、確かにその『こし』があるおかげでマンネリ感がなく、噛み締めるほどに味わいがある。


「やっぱり、久しぶり、というか、初めて作ったから、なんだか少しうまくいかなかった気がしますね――。次はたぶんもっとうまくできると思います!」


と、リディは言っていたが、なんの充分においしいと私は思った。リディの話によるとこれも「前世の記憶」の一つなのだという。

 キールもクリスも夢中で食べていたし、お替わりもしていたほどだから、とても満足している様子だった。


 

 しかし、それよりも何よりも、粉をこねて一から麺を作ったその工程が私にとってはとても得難い経験だった。だしはそれぞれの調味料の割合が微妙でなかなか味をまとめるのに苦労した。

 

 そう言えばキールに昔、ランチを作って魔法の練習の後に一緒に食べたことがあったなと思い出す。

 だけどあれ以来キールに何かを作って食べさせるなんてタイミングもなかったから、結局、「料理」というものに関してはほとんど手を付けていない。


(でも、あんなに楽しいのなら、私も少しお料理勉強してみたいかな――。父上やおかあさまに言ったら、どう思われるだろう?)


 みんなで粉をかぶって真っ白になりながら打った「麺」は、おそらくリディのいうカインズベルクの「うどん屋さん」とは比べるべくもないのだろうが、私にとってはそんなことはあまり関心がないことだ。


 みんなでああやっていつまでも笑い合えたら――。


 それがもう1年と少しで終わりを告げる。


 私はキールよりも先に王立大学を旅立って、おそらく国家魔術院へ加入することになるだろう。

 そこから先は、魔術院の命にしたがって公務をこなす。そして、いつかどこかの貴族家に嫁いで、その役割を終えるのだろう。


 できれば、父上のように国政に参加したいと考えていないわけではない。

 しかし、やはり女である私にとってはその道はかなり険しい。

 おそらく国政にたずさわらんとすれば、嫁ぐことは出来なくなり、逆に家名を背負うために婿を取らなければならない。


 父上は何と言うだろう? おかあさまは?


 そろそろそのあたりをはっきりさせなければならない時期が迫っている。


(それでミリア、あなたは何がしたいか決まったの――?)


 心の内から問いかけるものがいる。


(本当にそれでいいの? 国家魔術院に入って仕事して、適齢になったら嫁いで、子を為して、嫁ぎ先の貴族家を支える――。それが本当にあなたの望んでいる生き方なの?)


 わからない――。


(政治家になって国政に参加して、父上のように国家のために尽くすんじゃなかったの? その為に王立大学で法政学を専攻しているんじゃなくて?)


 と、また違うものが問う。


 しかし、そのどちらも何かが違う――。

 「欠落」しているものがあるのだ。


――キール・ヴァイス。


 「彼」の存在がそのどちらの選択肢にも含まれていない。

 そもそもそれは分かっていたことのはずだった。自分は貴族であり、将来その家名を継ぐか、もしくは他の貴族家に嫁いで支える運命なのだと、理解していたはずだ。


 しかし、父上の出自を知ったこと、アランとレッシーナの婚姻のことなどを考えると、もしかするとほかにも道があるのかもしれない、キールと離れないで生きてゆくという選択肢があるのかもしれないと、そう思わずにはいられないのだ。


 だから、私はあの人に出会って話を聞いてみたい。

 あの人はどうしてそういう選択をしたのだろう?

 それで今はよかったと後悔はしていないのだろうか?


『疾風の魔術師』リシャール・キースワイズ。


 今は一国の国家魔術院を預かる院長でありながら、世界三大魔術師と冠されるほどの超強力な魔術師、世界数千の魔術師たちの頂点に昇りつめた彼女は、その昔、ニデリックという「恋人」を捨てたという。


 彼女もまた貴族家の出身だ。

 そういうところは私と同じ境遇だ。


 

(この年度末休暇を使って、シェーランネル王国へ向かい、リシャールと面会をする――。おそらくこれが私にとって最後の個人旅行になるかもしれない――)

  

 だから、後悔しないようにやれることは何でもやろう。


 

 そうミリアは心に決めたのだった。

 

 

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