第132話 テクトガの繭


 そのあとは特に何も起きることはなかった。

 

 ニデリックとネインリヒは場合によっては、『疾風』の方からキールに対して協力関係の打診があるかもしれないと構えていたのだが、どうやら彼女にそこまでの気持ちはないようだ。

 シェーランネルはここからかなり遠方になる。ゲラードのウォルデランのように隣国ではない為、キールの存在が即国家レベルの国防案件とはならない。おそらくそれが大きな要因だ。この先のキールの成長ぶりと、各国の動きをみながらどう関わってゆくのかゆっくりと答えを出しても構わない。


 何より、友好的な関係を築いてゆきたいという意思は、先程のミリアとのやり取りの中で明らかにしている。『即刻首をねる』などという様子は微塵みじんも感じられないのだから、いまはそれでいいだろう。


 何はともあれ、おそらくこれから続々と押し寄せるであろう各国の国家魔術院らに先んじて、一番に邂逅を果たしたことは、今後のキールとの関係構築にとってとても大きな要素だ。よほどのことがない限り、キールから敵視されることはないと言える。


 リシャールシェーランネル王国にとっての今回の訪問の目的はすでに果たせたと考えていいという事だ。



 結局翌日にはリシャールは自国へ帰っていった。



 懇親会の席で、ベアトリスはネインリヒを見かけると、そそと寄って、会話をすることに成功していた。彼女の仕事は『疾風』の秘書官だ。『氷結』の秘書官との情報交換もとても重要な仕事の一つである。

 ベアトリスは『師』ともいえるネインリヒの前であっても臆するところはない。今の立場は各々、主人に仕える『秘書官』という事で対等だ。ネインリヒもこの『弟子』の立派な姿を嬉しく思ってみていたし、その優秀さには一目置いている。


「ネインリヒ様、御久おひさしゅうございます。この度は突然の打診でありながら、このように歓待いただきまことにありがとうございます――」


「ベアトリス、元気そうで何よりだ。もう立派な秘書官だな、見違えたよ?」


「いえ、私などまだまだ駆け出しです。今後もご指導賜りますようお願い申し上げます」


「君にそういわれると、私もまだまだ頑張らないと思える。ところで、キールはどうだった?」


「とてつもない素養を持っていますね。でも、それほど恐怖は感じませんでした。怖さという意味で言えば、当方の主には遠く及ばないと――」


「そうだろうな。君の見立てはおそらく間違っていない。彼はまだ、『まゆ』のようなものだ。外から見ただけではそこに何が入っているのか見当もつかない」


「ああ、あれですね。テクトガの繭には寄生虫が付くと言います。殻を破ってみたらテクトガの幼虫ではなく、その寄生虫が入っている事があるとか――」


 テクトガというのはこの世界の養蚕業で使用されている虫の一つだ。その『繭』に寄生する羽虫はねむしたぐいがいる。そいつは繭の中に産卵し、そこから孵化ふかした幼虫は中のテクトガの幼虫を養分として、ついには繭の中で蛹化しさなぎになりやがて羽化うかする。


 ネインリヒはそれをキールに例えているのだ。つまり、彼の本性はその内に在って、まだ誰も確認できていない。じっと羽化するのを待つか、それとも煮て「繭」を割って確認するかしないとわからないという事だろう。

 ただ、「繭」は反撃してはこない。黙って煮られてくれる。しかし、キールはそうはいかないだろう。誰かがその中身を確認しようと干渉すれば、それ相応の反撃を受けることになる。


「彼はこの先どういうふうに成長するのでしょう?」

ベアトリスの疑問は率直だ。

 ネインリヒもここまで率直に問われると、その心情を正直に話す以外取れる方法はない。

「さあね。私にも全く見当がつかないよ。ただ、現在キールと関係のあるものを見ている限り、それほど悪い方に転ぶことはないようにも思える。当院の院長に、ウォルデランのゲラード様、それにリシャール様君の御主人様も友好的に接してくれているからね」


「つまり、これから、という事なのでしょうね――」


 ベアトリスの言う通りだ。

 キール・ヴァイスが何者になるのか。それはおそらくこれからの彼の人生や出会った人物によって無限に変化してゆく可能性を秘めている。しかも、どの方向に成長したとしてもそれは「抜きんでた存在となり得る」という事だろう。


「まったく、末恐ろしいというのは彼のことを表すために生まれた言葉なのではないかと思うほどだ」




 ベアトリスは帰りの道中、その様なことを話したという事をリシャールに伝えた。

 リシャールは黙って聞いていたが、聞き終わると、しばらく考えたあと、こういった。

「そろそろ私たちの時代の終焉の始まりかもしれないわね――」


 ベアトリスはその言葉に驚きを隠せなかった。しかし、彼女が見た「主人リシャール」の表情には不思議とうれいの色は見えていない。むしろ、とても嬉しそうにしているようにも見えたのだった。







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