第129話 ネインリヒの本分


 クルシュ暦367年8月下旬――。


 その『親書』がニデリックの元へ届く。

 ニデリックは深い息をついた。


(ついに彼女まで動き出しましたか――)


 手紙の内容は言うまでもない。表向きは定期訪問という形をとっているが、その主たる目的は「キール・ヴァイス」だ。

「ついでに、最近手を結ばれたという若い魔術師殿ともご挨拶を交わしたいと思う。ご紹介いただけることを楽しみにしている」

としっかりと記されている。


 到着の予定は、明後日ということだ。


 『疾風の魔術師』リシャール・キースワイズ。ニデリックは彼女のことをよく知っている。かつて、若かりし頃、ニデリックがまだ魔術院の職員であったころ、ヘラルドカッツの国家魔術院へ期間限定で出向に出ていた時期があった。その時ちょうど彼女も同じように出向で来ていた。

 二人はある意味似た境遇という事もあって、意気投合し、職務後の夕食を共にするようになった。若い男女のことである。そうなれば自然の流れというものだ。それ以上を語るのは無粋というものであろう。

 しかしその関係は長くは続かなかった。

 ニデリックが本国メストリルへ呼び返されたためだ。

 おそらくこの先二人の道は分かたれる。再び交わるとしてもそれは「仕事」でのことであり、「私的」な交わりはもう訪れないだろう。

 それについては二人とも納得済みではあった。男女間にはそういう関係というものもあるのだろう。

 もう十数年も前の話だ。


 それ以降、これまでに数回公式な場所もしくは用事で顔を合わせている。しかし、二人ともそこにはもう触れない。あの日々はもう二度と戻らないとわかっているのだ。

 シェーランネル王国国家魔術院との交流はそれほど親密に行われていないが、数年前、一人の書生を預かったことがあった。彼女はリシャールが期待している魔術師で側近として育てたいと考えているという事だった。秘書官業務を勉強させたいということで送り込んできたのである。

 ベアトリス・メイローといったその書生はまだ19だった。ネインリヒに付け秘書官業務の訓練をさせてやったことを覚えている。

 まだ若く、その美しく流れる金髪があでやかなベアトリスは、魔術院中の男の注目を集めるほどだった。

 能力もとても優秀で、ネインリヒが返すのが惜しいと言ったほどだったのには驚いた。19にしてあのネインリヒにそう言わしめるというのだから、相当な有能さである。



 コンコン――、と扉が打ち鳴らされ、次いで、いつもの声が聞こえてきた。ニデリックは応答し、扉からはネインリヒがあらわれる。


「ネインリヒ君、『疾風』が来るそうです。先程、書簡が届きました。それを追ってすでに本国を発っているとのことです。メストリルへの到着は明後日の予定です」


「そう、ですか。まあいつかはとは思っていましたが、早かったですね」


「あるいは、これでも遅い方なのかもしれませんが――。もしキール・ヴァイスがメストリルではなくシェーランネルにいたとしたら、我々も気付くのが遅れたでしょう。それほどにシェーランネルは遠い」


「時期から考えて、ウォルデランのゲラード様のお招きの情報を得てのことでしょう。あの『お披露目会』によって、キール・ヴァイスの存在はおそらく今全世界の注目を集めていることと思われます」


「良くも悪くも、キール・ヴァイスの存在が公にされたわけですからね。あの男の考えそうなことです。食事に招待すると言ったあたりからそうなるだろうとは思っていましたが――」


「これで、三大魔術師すべてと邂逅を果たすことになりますね。今後、各国の魔術院も続々と押し寄せてくるかもしれません」


「おそらくそれこそがあの男の狙いなのでしょう。キールにとっては、さあ、どうなのでしょうね」


「これまでの生活が急速に変化していく可能性がありますからね。期待、嫉妬、敵意、不信――。いろいろなものが彼に重くのしかかってくるかもしれません」


「それでも彼なら耐えうる、そう診てのことだと信じたいところですが――。あの男の頭の中は、それならそれで面白いと思っている節もあるように見えます」

ニデリックはやはりゲラードのことが苦手だ。


「いずれにせよ、こちらとしては来賓の応対にあたる必要が生じます。各国の魔術院の使者たちにしても、ただキール・ヴァイスを一目見るために訪問するというわけにもいかないでしょう。何かしら「公務」としての名目を掲げてくるはずです」

ネインリヒからすれば、キール・ヴァイスのことなどよりもそちらの方が大仕事だ。


「全くその通りですね。ネインリヒ君、世話を掛けますがよろしくお願いします」

ニデリックはネインリヒに軽く頭を下げた。


「何をおっしゃいます、そんな、お気になさらないで下さい。これこそ私の本分ですよ? そもそも諜報活動などというのはわたしの裏仕事です。私の本分は、魔術院へ来院されるお客様をお迎えすることですから」

まさしくその通りだ。本来の彼の仕事は来客対応なのだから。


 とりあえずのところ、現状で来訪予定の打診があるのはまだシェーランネル王国だけだ。まずはこの難局を乗り切ることが先決だ。






 

 

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