第117話 大人と対峙するために必要なもの


 クルシュ暦367年8月1日――。

 

 ついにこの日が来た。


 二人の対面はメストリル国家魔術院の院長執務室で行われた。


 ゲラードの一行が王都の手前ぐらいに差し掛かったという報告が入るとすぐ自宅で待機していたキールに登庁するようにと報せが入った。キールはすぐに王立大学のデリウスの研究室へ向かい、お呼びがかかるまでそこで待機することになっていた。

 デリウスの研究室には、ともに面会に立ち会うことになっているミリアももちろんいたが、今日だと知らされているほかの3人もすでに研究室に集まっていた。


 ほどなく、院長からの伝言をもった衛兵が研究室をおとずれ、キールとミリアは魔術院の院長執務室へと向かったのである。



 数分後――。


 キールとミリアは院長執務室へ入った。


 院長執務室の部屋の中ほど、院長室の扉正面に位置する執務机の少し斜め右手前に置かれたソファセットに一人の男が掛けているのが見えた。


 ソファセットの配列は、長方形のローテーブルを囲むように、長方形の短い辺に一人掛けのソファ、これは扉から見て左側だ。そして、手前の長辺には二人掛けのソファ、奥の長辺から右側の短辺にかけてはL字型の3人掛けという配置になっている。


 その男、ゲラード・カイゼンブルグは一人掛けのソファに深く座っていた。


 が、キールたちが入るなり立ち上がって、こちらを向いて、微笑んだ。


「お前がキール・ヴァイスか。まあ聞いていた風貌通りだな。イメージとそれほどかけ離れてなくてよかった。――ゲラード・カイゼンブルグだ」

そう言ってキールに歩み寄ると、右手を差し出してきた。


「キール・ヴァイスです。初めまして。院長閣下――」

キールも警戒もせずその右手をとって握手に応じる。

「ゲラードでいい。よろしくな、キール」


 そう言うと、握手を解いて、次はミリアに語りかけた。

 同じように握手を交わしながら挨拶を交わす。

「やあ、ミリア、美しくなったな。もう立派な淑女レディだな。何年ぶりかな、君に会うのは――」

「魔術院の周年記念祝賀会の時以来ですから、もう6年になります――」

「そうかそうか、あの時の君のドレス姿もなかなかに初々しく可憐であったが、今日のような学生姿も精錬としていて君の美しさを引き立てているね――。しかも、成年年齢(この世界では18歳を成年年齢という)を越えてより女性として磨きがかかった感じがする。こんな苦虫をかみ殺したような表情しかしない院長のいる魔術院より、わたしの元にこないか?」

「おたわむれを。私など、まだまだ青二才です。ゲラード様のお役に立てるような才も能も持ち合わせておりません」


 ゲラードが言ったのは、魔術師としてなのかそれとも女性としてなのか曖昧な表現だったが、そこはさすがにミリア・ハインツフェルト、「魔術師」としてと受け取ったうえでやんわりと断りを入れている。


「なるほど、人としてもかなり成熟していると見える。君のような人材がわが魔術院におれば、我が国の将来も安心できるというものだが――。ニデリック、お前は運がいい」


 そういいながら、執務机から立って3人の傍らに控えていた院長へ話を振った。


「さあ、どうでしょうね。この若き天才に加えて、さらに、稀代の大魔術師の卵ともいうべき逸材――。我が国はまさしくいま、未曽有みぞうの危機に瀕しているのかもしれません」

ニデリックがその言葉に対して、静かに返す。


「ははは、お前は本当に考えすぎるところがある。そう難しく考えるものじゃない。その逸材たちがこの国に二人もいる、それだけで充分なんだよ。それは間違いなく幸運なことだ。もっと単純に喜べ――」

 

 そう言うとゲラードは自分の席へと戻った。


 ニデリックに促されて、二人は入り口側の二人掛けに、左つまりゲラードの傍にキール、その隣にミリアの席次で腰を下ろす。ニデリックもまた奥側のL字ソファの中央、キールとミリアの二人の正面に腰を下ろした。最後に、控えていたネインリヒさんがゲラードの正面、ミリアの右斜め前に腰を下ろした。


「さて、キール・ヴァイス。君は自分が今置かれている立場というものをしっかり理解しているのか?」

ゲラードが口火を切る。


「僕は、ただの学生です。政治的なことにははっきり言って興味はありません。ゲラード様が言われる「立場」というものは、おそらく僕の能力についてのことだと思われますが、僕からすれば、この能力はただ自分の人生を豊かに過ごすために使いたいとそう思っています――」

と前置きをしつつ、

「――しかし、そうもいかない事情というものがなにかと絡んでくるものですね。僕の能力は僕にとっては過ぎたるものという感が大きいです」

と答えた。


「ふむ。ある程度は理解している――そういうこと、か――」


「そう、なりますね」

 

 認めたくはないがそうもいかない。この男やニデリックのような大人たちと対峙する以上、「ただの学生だから放っておいてくれ」というような子供じみた発言は、結局なんの意味も持たない。

 ただ、監視、管理され、統制下におかれるだけだ。

 こういう大人たちと対峙するためには何よりも必要なものがある。

 キールはそのことをこれまでの経験から学んでいる。


 それは、『覚悟』というものだ。


 まずはそれを表明しなければならない。

 

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