第108話 出会い、つながる物語


「え~!? もう終わっちゃったんですか?」

アステリッドが頬を膨らませて言った。


「ああ、たぶんそのジルベルトからもルイからも狙われたりすることはもうないと思う」

キールは飲みかけのコヒル茶を口に運びながら、さも容易に事が済んだとでもいうような表情で答える。


 夏前の陽気にあてられながら、二人は大学の構内にある喫茶テラスでランチを共にしていた。陽が当たるところは少し暑くも感じるようになってきている。もうすぐ夏が来る。

 今日は教授が研究発表ということで留守にしており、いつもの研究室が使えない。それに、ミリアは魔術院の用事で外しており、クリストファーはゼミの行事でメストリルの辺境の町へ旅行中だ。


「なんで勝手に一人で終わらせちゃうんです? もっと私を頼ってください!」

アステリッドはどうにもキールの片腕になりたいらしい。


 そんなアステリッドに微笑みかけながら、キールが言った。


「アステリッド、僕は君にわざわざ危険な目に遭ってほしいとは思ってないよ」

「ほら、やっぱり危険だったんじゃないですか!」


 間髪入れずにアステリッドが詰め寄る。

 丸テーブルを挟んで向こう側に座っていたはずの彼女は、身を乗り出してキールの眼前にその小さい顔を近づける。


「は、はは、たしかに。まあでも、大丈夫、ちゃんと生きてるから」

そう言ってキールは少しのけぞる。


「もうっ。キールさんはもう一人じゃないんです。私という頼れる仲間がいるんですからね? 一人だと危ないことでも二人いれば何とかなることもたくさんあるんですよ?」


「ごめん、ありがとう。心配してくれて」


 そんな会話をしている時だった。背中から声がした。


「よお、あんちゃん、昨日は世話になったな――」


 聞き覚えのある声に反応して立ち上がり、アステリッドとその声の主の間に身を入れると、キールは振り返り、思わず身構える。


「おおっと! 心配するな! もう何もしねえって!」

声の主は今しがた話していたその男、ジルベルトだった。

「いやな、俺もこの街に住むことに決めたんでな。ちょっとご近所さんにご挨拶ってとこだ――」


 よく見ると確かにジルベルトだが、格好が昨日の様子とまるっきり違う。なんともこんな格好もできるのかと見紛みまがうほどに、「インテリ大学生」そのものだ。

 肩から掛けたベルトでまとめた教科書類、黒縁の眼鏡、きれいに整えられてセットした短髪――。


「お前――、どういうつもりだ?」

キールから殺気がほとばしる。

アステリッドもこんなキールの姿は見かけたことがない。


「だーかーらー、もう何もしねえって。俺はあんたにはぜってぇにかなわないって、昨日知ったところだぜ? これからは大学に通うことにしたんだよ。ルイのやつもちょっと面倒見てやらねえと、あのままじゃアイツ、つぶされっちまうからなぁ。パトロンが潰されるのは俺としても放っておけねぇんでな」


「あ、あなたが、ジルベルト――。あん――」

「おおっと! お嬢さん、その先は言わねえでくれ。俺はもうその手の仕事はやらねえって決めたんだ――」

アステリッドの言葉をさえぎるようにジルベルトがかぶせてくる。


「というわけで、キール・ヴァイスさん。これからも何かといろいろとよろしくお願いします。とはいっても、昨日のことはもう組織の方には伝わっていると思うので、もいつまで無事でいられるかわかりませんが――。キールさんのこともおそらく組織に伝わっていると思われます。にできる限りのことは致しますが、あなたもお気を付けください。では、お嬢さん、また、ぜひお茶でもご一緒いたしましょう。今日はこれで失礼いたします――」

言葉遣いまで変えて、居住まいすら別人だ。さっきまでのジルベルトは本当にコイツだったのか? と目を疑ってしまうほどの変貌へんぼうぶりだった。


「まあ、そういうこった。あ、なにかあればいつでもルイの娼館から連絡が取れるから、覚えといてくれよ、じゃあまたな、キールさん」

また素のジルベルトに戻ってそう言うと、そのまま何事もなかったかのように学生たちの間に消えていった。


「キールさん? あいつ――」

「ふ、ははは、なんとも愉快なことだね、アステリッド。どうやらにも友達ができたみたいだよ?」

「わ、笑いごとですか!? キールさんのことが組織にって――」


 たしかに、2年前にこの街に来たときはただの王立大の学生だった。

 それがあのボウンの書、『真魔術式総覧』に出会ってしまったことから、どんどんと思い描いていた大学生活からかけ離れていくような気もしている。

 しかしキールは特に何も後悔や心配はしていない。

 

 ボウンは僕に「神」にならないかと言った。


 もちろんそんなことを真剣に考える年でもないし、そんなに人間でもない。

 ボウンも今どうこうという話ではないと言った。

 だから、そんなことを考えていたって仕方がないのだ。


 それよりも、僕の周りには仲間がいる。

 ミリア、クリストファー、デリウス、そしてアステリッドも。こんなに楽しい大学生活はむしろ想像もしていなかった。今のこの状況があるのは、間違いなく『真魔術式総覧』に出会ったからだ。


 だから今ではその出会いに感謝している。


「はははは、大丈夫だよ、アステリッド。僕はもうこの道を進むと決めたんだから――」


 そう言ったキールの表情はさっきまでの鬼気迫ききせまる空気をまとっていたキールではなく、アステリッドがよく知っている、飄々ひょうひょうとして、温かい、大好きなキール・ヴァイスだった。


  

   

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