第90話 研究室の扉


 デリウス・フォン・ゲイルハートはいつもの通り講義枠の準備をしていた。



 王立大学には様々な学部学科が存在するが、その中でも「心学部」というのは少し毛色が変わっている学部だといえる。

 人の心の仕組みや反応、経験則、パターン、愛情や怨恨など感情の根源、感情と思考の関連性および関係性、精神と祈り、神の存在の是非――。


 そのような「心」にかかわるすべての事柄を探求し、記録を積み上げ、統計に落とし込む。そういう学問をまとめて「心学」という。


 「心」に対するアプローチの方法は千差万別である。

 政治学的に、科学的に、神学的に、法学的に、魔法学的に。

 そして歴史学的に――。


 魔法という自然科学が存在するこの世界においても、その魔法を操ることのできるごく一部の能力者も含めすべてのものは、基本的には自然の恩恵をもとに生活している。


 農業と鉱業――。

 これが現在のこの世界の主たる「生活基盤」の獲得方法である。


 かつて国々は、この資源を獲得するために「領土」を争い合い、奪い合った。少しでも広い土地や埋蔵量の多い鉱山をめぐり、戦闘によって奪い合ったのだ。


 その後、「自由経済思想」の出現により、人々、ことに領主たちの「心」に変化が見られるようになる。「人民」という資源を活用できる生活資源の獲得方法が見つかったのだ。


 商業と交易――。


 これの出現により、領主たちの「心」は奪い合うことから、より定着させる方向へと舵を切った。


 そうして今や、その商業と交易によってもたらされた「経済」という思考がこの世界の中心へと変わりつつある。


 戦争から経済へ。


 あきらかに人類は「進化」した。そして、それに伴い、「心」も進化するのだろう。


 世界各地ではもう、「戦争」の有益性を主張する領主はほとんど存在していないと思われる。それよりも自身の領地に人民を取り込み、長く安寧のもとに過ごさせるためにはどうすればよいかを考え始めているのだ。

 その方が、より「旨味うまみ」があると、気が付いたからだろう。


 そうして、そろそろ次の段階がやってくる――。



 「心」は常に移り変わり変遷する。それに形はなく、より安寧を求め、あるいはより充足を求め移り変わってゆくのだ。

 しかしそれに反して「心」はいつまでも変わらない。

 人を愛し、人と共にありたいと思うその「心」は幾年幾月幾世代重ねても変わることがない。

 「変わりゆく」のに「変わらない」。明らかに矛盾している。


 「心は一つではないのか? 複数の心を人は所持しているのか? そもそも心とは何なのか?」


 これこそが「心学」の追い求める最終命題だ。

 もちろん明確な回答はいまだ提示されてはいない。


 

 デリウス・フォン・ゲイルハートは準備を整えると、いつも通り講義の教室へと向かう。教壇に立ちいつもと同じことを話す。


 王立大の学生の中にこの手の話を真剣に考えているものはほぼ皆無と言っていい。

 あくまでも、それぞれの学科の基本的な一般知識として、ざっくりと「人の心」というものについての経験則やパターンを講義として受けているだけの話だ。

 学生の100パーセントからすればただの単位取得目的の「一枠」に過ぎない。


 デリウス・フォン・ゲイルハートの講義は「歴史からみる人心の変遷」と銘打たれていた。もちろん、この講義演目の名付け親はデリウス自身ではない。王立大のカリキュラム編成部がデリウスの話を聞き取って勝手に命名したものに過ぎない。仕方のないことだ。その編成部ですらデリウスの講義の内容をほとんど理解できていないのだから。


 講義の時間が終了する。そうしてまた自身の研究室へと戻る。


 この分野についての文献はまだまだ少ない。棚には何冊かの書物が置かれてはいるが、どれも何度も読み返し表紙は手垢で黒く変色しているほどだ。もう内容のほとんどは頭の中に入ってしまっている。


 自身の考えをまとめ、書物にして出版したこともあった。4年ほど前の話だ。


 もちろん期待通りの結果だった。

 売れない――。


 自身の棚にも数冊の「それ」が並んでいたが、ほかの書物と対照的に「それら」は真新しく匂いを嗅げばまだインクの匂いがしそうなほどだ。

 つまり、一度も開いていない。


(荒唐無稽な話だ――。人が死してもなお心は残り次の世代へと引き継がれるなんて、誰も信じないだろう。しかし、これは事実なのだ――なぜなら……)

デリウスが自身の机の上に足を上げ、椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げながらそのようなことをぼんやりと思い浮かべていた時だった。


 唐突に研究室の扉がノックされ、木製の乾いた音が部屋にこだました。


「はい、あいてますよ? どなたかな?」

とりあえず慌てて居住まいを正し返すと、扉の向こうから返答が返ってくる。


「法政学部国家法治学科2年、キール・ヴァイスと申します。突然の訪問で失礼いたします。先生の書についてお聞きしたいことがあり、参上いたしました。入ってもよろしいでしょうか?」


 まだあどけなさの残る青年の声、学生に違いない。しかし、私の書とは、「あれ」のことを言っているのだろうか?


「その書とは、なんだい?」

念のために返してみる。


「『輪廻転生と死後の世界』――です。これ、先生の御本で間違いないですよね?」


 間違いない私の「あれ」だ。


「どうぞ、入り給え」


「はい、ありがとうございます。それでは――」


 そういって扉は開かれた。

 この「扉」がまさしくデリウスにとっても新しい世界へ通じる扉だったと知るのはもう少し先の話である。

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