第88話 デリウス・フォン・ゲイルハートの書


 王立大学書庫――。

 そこには数多くの書籍が収められている。もちろん、学問に関する書物が一番多いのだが、中には、歴史書の類ももちろんあった。


 キールはいつもの通り、書庫を歩いて回る。彼の「天性の勘本の虫」はそんなとき不意に沸き起こるからだ。これまでもだいたいそうだった。

 キールは気になった本を手にとっては読み漁ってゆく。

 しかし、そのどれもが必ず何かの役に立ったり、新しい知識をもたらしてくれたりするわけではない。というよりむしろ、相変わらず記憶に残るものはそれほど多くはない。

 前にも述べているが、キールにとっての「本を読む」というのは「食事をとる」という事に等しいと思われる。食べたものがその後どのように体に残って自身のエネルギーや、体格、知能に還元されているのか、そんなことはよくわからない。しかし、それは間違いなく自身の体の中で何らかの影響を起こしている。そうして自身を守るものとなって身についてゆく。そんなものだ。


 そんなことをしているとき、また一冊の本に出会った。


『輪廻転生と死後の世界 デリウス・フォン・ゲイルハート』。



 なんともまあベタなタイトルではある。

 と、我ら日本人であればそう思うところだろう。

 しかし、この世界ではこの方面の学問は意外と発展していない。理由は簡単だ。


――現実的でなく、生産性がない。


 この世界においては宗教というたぐいのものはたいして発展していない。簡単に説明すると、この世界の人類は「自然と共に生きているから」となるだろうか。

 この世界において、「力」とはいわゆる「腕力」もしくは「財力」を頂点とする、「実際的な力」を指す。

 そのような世界にあっては、「死」はただの「消失」であって、「その先」などという事は考えられることはない。

 ただ消えてなくなる。それだけだ。

 

 アステリッドに連れられて、神社仏閣をまわった話を書いておいて宗教が軽んじられている世界だというのもなんとも気後れする所であるが、それら神社仏閣というものはいわゆる英雄を偲ぶものであって、祈りをささげるのは「加護」をうという「現実的な目的」のためで、「死んだあとすくわれる」的な現代日本の仏教や世界のキリスト教のようなたぐいのものではない。


 こう書くと、宗教をよくお調べになっている方々からはお叱りを受けるかもしれないので、私見を誤解を招かない程度に述べておく。そもそも宗教の発端というのは、自然の恵みを請う儀式的なものだったと筆者は考えている。

 その後さまざまな社会的要因が絡み、「現実世界で苦しむもの達の希望」をしめす「必要」が生まれた。それと、「神」や「仏」は非常に相性がいい。


 しかしながらこの世界においては、「自由経済主義思想」の発展によって、人々は良くも悪くも「自己責任」の原理に基づいて生活している。

 そのような世界において、「現実世界での苦しみ」はすべて「自身の力の無さ」であり、それを少し後押ししてもらえるよう英雄の加護を請う、その程度がこの世界における「神」や「仏」に対する接し方だった。


 閑話休題――。



 キールはその書物を手に取って、導入部分を数行読んでみる。


「人は死後どのような手順を追ってこの大自然へと還るのか。その道筋をここに記す。しかし本書が受け入れられるのはおそらく数十年先ではまだ足りない。数百年先でも奇抜と罵られるであろう。しかしこれは真実である。

 願わくば、数千数万年先までこの書が残り、いつしか共感を得られれば幸いである」


 巻末の刊行年を思わず確認する。

 

「クルシュ暦363年3月 王立出版――。って、この間じゃないか――」


 現在は367年だから、まだ4年ほど前の話だ。


 ――初めてかもしれない。

 

 キールはそう思った。

 これまでこのような感覚に襲われて手に取った書物はすべて「過去」のものだった。しかしこの書物は「現代」のものなのだ。筆者はまだ現存している可能性が非常に高い。


 キールはその書物を手にしたまま個室へと戻っていった。



「――キールさん。相変わらずフラフラしてたんですか? あれ? その本は?」

アステリッドが個室に戻ってきたキールに声をかける。


 机の上に視線を落としていたあとの二人もその声に触発されて顔を上げた。


「ん~。なんだろうね? なんとなく気になって取ってきたんだけど――」

あいかわらずキールはこの感覚にいつもを感じる。


 何故だかわからないが、とても必要な気がする――。

 しかしそれがどうしてそうなのかと理由を聞かれても、答えようがない。分からないのだ。そしてそれが誰にとって必要なのか? それすらよくわからない。それはその感覚を感じた書物がすべて自分にとって必要なものばかりではなかったからだ。

 しかも、その書籍の「内容」が必要な内容ではなく、その書物の「存在」そのものが必要だったこともあった。アステリッドとの邂逅を演出した、あの赤い背表紙の本などがそれだ。


としごのせかい? なんですか、って?」


「わからない――」


「はあ? わからないのに持ってきたんですか?」


「ははは、ね? いつものとおりだけど、相変わらずこの感覚には慣れないな」



 しかし、この書との出会いが、こののち4人の運命に大きく関わる事になろうとは、この時はまだ誰も予想だにしていなかった。

  

  




 

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