第74話 結審


「ネインリヒくん、あの、焼死事件の捜査はここまでにしておいて良さそうだよ」


 唐突なニデリック院長の言葉に、ネインリヒは一瞬逡巡した。


「え? それはどういうことでしょう?」

ネインリヒは素直に思ったまま言葉にした。


「あの事件の黒幕はキール・ヴァイスでしょう。おそらく彼に間違いありません。まぁ、まだ自供したわけでもないですが、そんな気がします。どうやったのか、それもわかりませんが、この国において、あのようなことが彼以外には私しか存在しないと思います。それが理由です」


「それでは、あやつをとらえて白状させればよろしいのでは?」


「できればそうしますよ。できればね――」

そう言ってニデリックはネインリヒに視線を向けた。

「君はあの子を捕らえることができますか?」


 非常に単純な質問だ。

 つまり、彼が抵抗した場合、「力」でねじ伏せられるかと、院長はそう聞いているのだ。


「――いえ、おそらくは私にはできないでしょう。ですが、院長ならば、あるいは――」


「そうですね。私なら可能性は幾らかあるかもしれませんが、結局とらえたものを管理するのに皆さんの力を借りねばなりません。そうした時、皆さんが危険にさらされる可能性が高いという事です」


「そ、それは――」


「私は嫌なのですよ。それに――」


「それに?」


「ふふふ、あの子なら大丈夫です。おそらく凶悪至極のたぐいではありません。むしろ純真無垢と言った方がいい。捕らえて問い詰めるより、羽ばたかせて学習させる方がよいような気がします」


「院長がそうおっしゃられるなら、それで構いませんが……」


「いずれそのうち、あの事件の真相が彼の口から語られる日が来るでしょう。取り敢えずのところ、あの事件は当初の通り「無理心中だった」という発表で結論付けておきましょう。公報にもそのように記してください。それで、あの子もさらに自由に羽ばたけるはずです――」


 

 ついに次世代を担う魔術師が頭角を現してきたというべきか。

 キール・ヴァイスの素質はネインリヒの話からも折り紙付きで、今はまだ粗削りであるが今後の成長に期待ができる。

 ミリア・ハインツフェルトもまたその素質と実力は申し分ない。そして彼女にはさらに「知恵」もある。この素質もさらに伸ばしてやりたい。

 そして二人とも、今はまだ、真っ直ぐで純粋だ。出来る限りこのまま育っていってほしい。


 ニデリックはそのように考えているのである。


「ミリアにとっては、我々からの「手向たむけ」としてこれ以上のものはないでしょう。あの子の心もすこしは癒されるというものです。今回もあの子は一人傷付いているでしょうからね。せめて、私たちだけでもわかってやらねば、拠り所を失くすというものです」

そう言って、ニデリックは少し表情を緩めた。



******



 キールはミリアと王立書庫で別れた後、一度自分の部屋へと戻っていた。特に何というほどの用はないのだが、数か月間放っておいたのだから、様子を見に行きたくなるのは人情というものだろう。それに今日はもう遅くなった。今から帰路につくことは出来ない。

 しかし、ここでゆっくりしている場合ではない。明日にはまたカインズベルクへ向けて出発しなければ、ケリー農場の親方やハンナさんに迷惑がかかる。


(アステリッドも心配してるかもしれないし――ね)


 さあ、少し横になろうかと、ベッドに腰を下ろした時だった。


 だだだだっと誰かが階段を駆け上がる音が聞こえ、次いでキールの部屋の扉がけたたましく叩かれた。


「キール! ちょっといい? はいるわよ!」

「え? え~~! ちょっと――」


 キールが言うより早く、扉が開け放たれる。

 そして、ミリアはキールの姿を見るなり大声で叫ぶことになるのだった。

「へ? きゃあああ! な、なんでそんな格好してるのよ!? 早く、服を着なさいよ!?」


 キールは下着姿でベッドのそばに棒立ちになっている。


「だって、今寝ようと――」


「ま、まだ早いわよ、ばか! はやく! 早く、服を着なさい!」


 キールはすごすごとシャツに腕を通しズボンに足を通した。

 そして、廊下で待っているミリアに声をかける。

 

「ど、どうぞ、もういいよ? ――で、何なのさ急に駆け込んできて、なにか忘れ物?」

「そんな訳ないでしょ。あの事件の結審が付いたって、さっきネインリヒさんから直接聞いたの。明日の公報で発表されるわ」

「あの事件って――」

「そうよ、繁華街での焼死事件のことよ」

「ってことは――」

「ええ。もう追われることはないって、そういうことよキール。おめでとう、というのが正解なのかわからないけど、取り敢えず、これでここにいつでも帰ってこられるってことね」


「ミリア、ありがとう。僕は素晴らしい友人を味方に持っていてとても心強いよ。そして、とても幸せだ。ミリア、本当にありがとう」


「――すして」


「え? 今なんて?」


「だから、ご褒美にキスしなさいって言ったのよ! 何度も言わせないで!」


「え、ええ~~!? ここで? 今?」


「今! ここで!」


「じゃ、じゃあ、行きます――」


 キールはミリアの頬に軽く唇を振れさせた。その頬はやや上気して温かく、そして柔らかかった。

「ハイ、ここまで! これ以上は無理!」


「ま、まあいいわ。許してあげる――。ところで、明日には発つんでしょ? ここにはいつ戻ってくるつもりなの?」


「そうだなぁ。取り敢えずは春にはどうするか決めて動かないととは思ってる。正直、アステリッド次第という感じではあるんだよね」


「アステリッド次第ですって? どうして彼女があんたの行動に関係あるのよ!? まさかあんた、私というものがありながら、彼女にまで――」


「な? 何を言ってるんだ、そんな訳ないじゃないか! アステリッドとはそんな、いや、そもそも君ともそんな深い関係じゃ――」


「何!?」


「あ、いえ。そうですね。いや、そうじゃなくって、アステリッドにはいろいろと手伝ってもらってて、あの子のことも一応いろいろと問題が残ってて、ってきいてる?」


「いえ、聞いてない。もういいわ、分かってる、ちょっとした冗談よ」


 今日のところは、これで許してあげる。

 そう言ってミリアは自分の頬に手を当てて見せた。 



 

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