第73話 すべてはキールの為に
ニデリックは結局はキール・ヴァイスのいう事をはぼ100パーセント受け入れた形となった。
しかし、「無償」で「協力」してもらうわけにはいかない。それだと、相手に責任が課せられないからだ。
貰っているものがあるからこそ返す義務も生まれるというのが世の
ただ単に、「自由出国権の保証」が与えたものだというような言い
それがわかっているから「破格の提案」を申し入れ、国家魔術院への参入を打診したのだ。
(それをあの者は、「自由出国権の保証のみ」、つまり「タダ」でいいと言い放ちおった――)
これには複数の意味が含まれていると考えるべきだろう。
一つは、「自分は金や物で動く人間ではない」という強烈なメッセージだ。そうなれば例えば「地位」や「名声」かとなるが、それも「違う」という事を言っていると見ていい。これは貴族位の叙勲を断っている点からも明らかだ。
つまりは「信念」。
これこそが彼が動く理由だと言いたいのだろう。
(こちらのやりかたが気に食わないという場合は、敵方に回ることもあるという事だ。自分を協力者にしておきたいなら、それに見合った矜持を示せという完全な圧力だ――)
ふぅっと、ニデリックは大きく息を突く。いつものように執務机に肘をつき拳の上に顎を乗せる「ニデリックスタイル」のまま、思案を進める。
二つ目は、それほどまでに有益な能力を保持しているという自信の表れだ。
もしかしたらまだ、我々が知っている、もしくは見た彼はそのすべてを出し切っていないのではないだろうか?
そう思わせるためのものだ。これについては現在のところ確認することは出来ないし、ただの「はったり」かもしれない。
しかし、そう考えて置くことに越したことはない。例えば錬成「5」以上が可能であるとか、もしくは超高度以上のランク適性があるとか――。
(もし仮にそうだとすれば、敵側に回った彼を止めることは私の力では到底出来ないであろう)
やはり、条件を呑むしか道はなかったとみるべきだ。
最後に一つだけ、国家魔術院への出入りの自由という「みやげ」をもたせられただけ良しとしよう。
(結局のところは、純粋な心を持つ若者、なのだ。自分の能力をできるかぎり「正しく」使いたい、という事に他ならない。それによって名声や財を得るのではなく、純粋に人の役に立ちたい、そうしてそのように使ってくれるものには協力を惜しまない、結局はそういうことに尽きるのだ)
例えばそれを、そのまま口に出したとしても、我々のような「大人」には素直に受け入れてはもらえないかもしれない。そんな人間などいないと思っている大人が多いのは事実だからだ。
だからこういう「審査」を投げてきたのだろう。
(ミリアの入れ知恵か――。彼女もまっすぐな子ですからね。彼とはよく気が合うのでしょうね――。しかし、本音のところは貴族の叙勲を受けてほしかったというミリアの心もあるのでしょうから、なかなかにあの子も気が強いということですね)
ニデリックはそのように考えをまとめると、心に清々しい風が吹き込んでくるように感じた。
二人ともまっすぐに育ってほしい。心からそう思っていたのだった。
******
「それで、院長とはどうなったのよ?」
ミリアがキールの鼻先まで顔を近づけて話を促した。
王立書庫のあの個室に今はキールとミリアの二人きりだ。
近づいたミリアの両目の瞳は透き通るような透明さを持っていて美しかった。窓から差し込む夕日を取り込んで、少し赤く光を放つ様子は、吸い込まれるような奥行きを見せている。
ほのかに香る柑橘系の懐かしい香りがキールの鼻腔をくすぐった。いつも思うのだがこの香りは何なのだろう? 女性特有のものなのか? まあ男にここまで近づかれることもあまりないのだから、よくわからないのだが。
「あっ――」
ミリアは小さく嘆息を入れると、自分がキールに近づきすぎていることに気付き我に返って、椅子の上で居住まいをただす。
「は、早くいいなさいよ」
「ああ、ミリアの言う通りうまくいった、と思うよ? なんと言っても『氷結の魔術師』だからねぇ。正直最後までどういう人なのかわからなかったし――」
「あたりまえよ! あんたごときが院長を推し量ろうなんて、100年早いわよ――」
「だね。でもまあ、悪い人には見えなかったから、こちらの意図も汲んでくれるという確信みたいなものは感じてる」
キールはそう言ってミリアに微笑みかけると、ふぅっと大きく息を吐いた。
その様子があまりにも自然で、普段の飾らないキールを目の前にしたとき、ミリアの胸の内で絞るような痛みが走る。
『わたしは彼を愛しています――』
わたしは院長にそう宣言してしまった。院長にはおそらく本当の私の気持ちを見透かされていると思う。院長がキールに提示した条件は、私にとって願ってもないものだった。いや、むしろ私の心を大きく揺さぶった。キールが貴族になれば、私とのことにも現実味を帯びてくる。同じ場所に立ち、同じ時間を共有し、家庭を築くことだって可能な立場にキールはなるのだ。
そういう私の心根も計算のうちに入っていたのかもしれない。
しかし私は踏みとどまった。
キールをこちらの世界へ引き込むような説得はしなかった。
今はそういう自分を誇りに思うことにしよう。そうでなければ到底この心を締め付けるような痛みに耐えられそうにない。
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