第64話 あふれだす想い


 ミリアはニデリック院長から呼び出しを受けた。


 あまりに唐突な呼び出しだったためさすがに緊張感が駆け巡る。

 と同時に、危機感も感じている。


 ニデリック院長からの呼び出しなんて、国家魔術院に入って間もなくのころに才能と素質に期待していると言われた時以来のことだ。もう数年前のことになる。

 確かに普段顔を合わせれば会話はするし、気にかけてくれているのもよくわかっている。よく声をかけても下さるし、現在の訓練状況などもよく聞いてくださる。

 印象的には「とても面倒見がいい先生」という感じがするし、実際そうなのだろう。しかし、彼は『氷結の魔術師』なのだ。あの眼差しの奥にはその異名の通り「冷徹な思考」が収まっているのだろう。

 それだけよくしてもらっていながら、「好き」にはなれないのはそのせいかもしれない。


 院長室の扉の前で呼吸を整え、大きく一息つくと、ミリアは意を決して扉を2度ノックした。

「ミリア・ハインツフェルト、参りました」


「はいりなさい」


 中から落ち着いた声が返ってくる。いつもの院長の声だ。


「はい、失礼いたします」


 ミリアはやや重いその扉をゆっくりとしかし平静をたもって引いた。



「お呼びだとうかがいました」


「ああ、ミリア、そうだ。君に聞きたいことができたのでね。クラーサでいいかい?」

 クラーサというのはクラーサ地方というこの国の西に位置する地域を指す言葉だが、今言っているのはそこで取れた茶葉による紅茶という意味だ。


「え? あ、はい。ありがとうございます」


「取り敢えずそんなに固くならないでそこへ掛けなさい」

そう言ってニデリックは執務机の前に並んだソファセットを指し示す。


「はい、失礼いたします」

このセリフ何度目だろうかなどと思いながらミリアはそのソファセットの長椅子の方へと腰掛けた。


 落ち着いた所作で紅茶を注ぐニデリックの姿はミリアからはとても新鮮に見えた。ご自分で紅茶を立てられるなんて初めて知ったからだ。


 やがて、クラーサ特有の甘酸っぱい香りが豊かな紅茶が注がれたカップがソファのテーブルに2つ置かれると、ティーセットをわきに置き、ニデリックが正面の一人掛けソファに腰を下ろした。


「どうぞ。クラーサのこの甘い香りは私には少し少女染みているかもしれないが、結構好きなのです。君はどうです?」


「王立大学の女子たちの間では結構受けがいい方ですね。私も好きな方です」


「それは良かった――」

ニデリックはそう言って紅茶を一口含んで目をつむり香りを楽しんで見せる。


 ミリアも合わせて一口含んで喉の奥へと流し込んだ。

 甘い香りとやや感じる柑橘系的な酸味が鼻腔をくすぐって、とても心地よく心を落ち着けてくれる。


「さて、お茶を飲むためにわざわざ君を呼んだわけではありません、そろそろ本題に入るとしましょう――。ミリア、君はキールという青年を知っていますね?」


 ドクン!


と、ミリアの胸が音をするほどの衝撃を受けた。


(とうとう、辿り着かれてしまった――? でも、キールとは大学の同期というのは本当の事だ、ここは相手がどこまで知っているかを探る必要がある――)


「はい、キール・ヴァイス君のことでしょうか。彼とは大学でいくつか講義を共に受けておりました」


「そうか、君のクラスメイトだったのですか。では、彼が魔術師だという事も知っているのでしょう?」


「はい、彼には私の研究を手伝ってもらっていますので、そのぐらいのことは知っております。ですが彼は魔術院の保護対象にはならなかったと聞いております」


「なるほど。我が魔術院は彼の存在を認知していなかったのです。保護の対象になるかならないか以前の問題だったのですよ。どうしてそうなったのかは現在調査中というところです。それでミリア、彼の素質、才能はどう見ているのですか?」


(ここの選択肢は二つだ。本当のことを言って助けや助言を求めるか、それともしらを切るか――)

ミリアは高速で思考を巡らせる。

 そうして導き出した答えは――。


「おそらく大したものではないでしょう。魔法の発動速度ははっきり言って遅すぎて使い物にはなりませんでしたし、そもそも初等過程の魔術の詠唱すら知らなかったという有様です。本人は魔法の練習をしたいと懇願してきましたので、私の研究の手伝いをするという条件で初等魔術の手ほどきをいたしておりました。それももう半年以上前の話ですが――」

(ここは当たり障りのない本当の事を話しておこう、まだ、すべてを話すには早すぎる。相手もすべてを話したわけではないからだ)


「半年以上前の話? それはどういうことです?」


「突然消えたのです。新学年が始まる前には彼は休学届を出して大学を去ってゆきました」


「ほう、それで君は今は彼とは接触していないという事なのですね?」


(きた。これは引っ掛けだ。キールのことを知られているという事は彼の居場所も特定されている可能性が高い。おそらく諜報員だろう。そうなると私がヘラルドカッツで彼に会っていることが知られていてもおかしくはない――)


「いえ、居場所は知っていますし、会ってもいます。春休みの間に彼の行方を追ってヘラルドカッツへ辿り着きました。そこで彼と再会し、夏休みにもまた会いに行っております」


「ふむ、どうして彼を追ったのですか?」


(院長、それはしてはいけない質問でしたね――)


「院長、私も女です。同級生で魅力的な男子に興味を持つのがいけないことなのでしょうか? お恥ずかしい話ですが、ここで取繕うほど愚かでもありません。私は彼を愛しています。突然わたしの前から消えた彼を追ってやっと見つけたのです。愛しい人に会いたいという気持ちを院長はおとがめになられるのですか?」


 言っていて、本心であることに気付いたミリアは演技のつもりだったのだが、込み上げるものを抑えきれなくなって感情が高ぶりすぎてしまった。

 目からは大粒の涙が噴き出し、顔を上げることができなくなった。


 これ以上の会談は難しいと感じたニデリックは、問い詰めたことを謝罪しミリアを解放しようと試みた。


 しかし、ここで引き下がるミリアではない。

(まだ、そちらの手の内を見せてもらってないわよ。ここで引いたら私の方からしか情報を提供していないじゃない。相応の対価は払ってもらうわよ、院長――)



 



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