第61話 釣果


 ミヒャエルはいつも通り二人が出てくるのを待っていた。


 しかしこの日とうとう大図書館の扉が閉まるまでに二人は姿を現さなかった。

 こうなっては致し方がない。また明日仕切りなおすしかなさそうだ。


 これまでの傾向から、アステリッドが来ないという日はあったのだが、「キール」の方は毎日大図書館へ来ていたのだ。

 この男、「キール」と呼ばれているところまでは調べがついているが、まだ、名前も素性もはっきり判明していない。

 

(どうやら今日ははずれを引いちまったか――)


 ミヒャエルは飲み残したコヒル茶を一気に喉へ流し込むとカフェの席を立って外へ出た。


 仕方がない。ネール横丁のあの店にでも行ってみるかと、ミヒャエルは目的地を定めた。二人がそこにいれば「盗み聞き」すればいい。いなければ飯を食って「世間話」をするだけだ。


 その店はいつも通り営業中だったので、ミヒャエルは店内に入るとぐるりと見まわす。しかし、二人の姿は見えない。閉店までは小一時間ほどあるので、もうしばらくはただ飯を食うだけにしておこう。

 閉店時間少し前まではただの客としてふるまうのだ。

 聞いてから飯を食っていて、そこに二人が来たら少々面倒なことになりかねないからだ。


 しかし、結局その日はやはり二人は現れなかった。

 閉店まではもう数分しかない、さすがにこの時間に飛び込んでくることはまずないだろう。


「ねえ君、ここによく来る魔法学院の生徒と男のことを知っているかい?」

ミヒャエルはとなりでテーブルの片づけをしていた給仕係の女に声をかけた。


「えっと、それって女学生ってことですよね?」


「ああ、そうだ」


「もちろん覚えていますよ、あの二人この春からよく来てくれるようになって、いい雰囲気なんだけど、どうもお付き合いしているようではなさそうだし、どんな感じなのかなぁ、どうなるのかなぁって思っていたんです――」


「実は私はその娘の方の親御さんに頼まれてその相手の男を調べてほしいと依頼されているものなんだ。ほら、これがその証だよ――」

そう言ってミヒャエルは懐から貴族の紋章が刺繍された布を取り出して給仕係の女にそれを見せた。


「すごい細かいですね、この刺繍、すごい……」


「ああ、貴族の紋章だからね。君は見たことはなかったのかい?」


「ええ、初めて見ます――」


「そうか、それは眼福がんぷくというものだね。でも、これを見たという事はあまり人には言わない方がいいよ、貴族というのは厄介事によく巻き込まれるものなんだ。どこから君の身に危険が及ぶかわからないからね。だから、貴族とかかわりがあるなんて知られない方がいいんだよ? それにこれを見たという事は「しゃべった」という事を意味するんだ。この意味、わかるよね?」


 給仕係はやや顔色を青くしてうなずいた。


 もちろん貴族の紋章というのはでたらめだ。その辺りで買った少し手の込んだ刺繍に過ぎない。

(これで下ごしらえは充分だ。こう言っておけばここに俺が来たことも何を聞かれたかも人に話しはしないだろう――)


 給仕係からはしかし特に有力な情報は得られなかった。

 名前を呼び合っているのを聞いているぐらいで、あとは魔法がどうとか言っているみたいだが、その先は意味が解らないことばかりで記憶していないと言った。


(くそっ、今日は俺の勘が鈍りまくってやがる。こんな日はダメだ――)


 ミヒャエルはこういう日に無理をするととんでもないことになることがあることを知っている。これは職業病ともいうべきものかもしれないが、これまでに仲間が命を落としているのは大半が「不運」によるものだ。あいつらは判断を誤って危険な場所へ時間へその瞬間へ引き付けられていった。引き際を誤った結果だ。


(今日はこれまでだ。また明日仕切りなおすとしよう――)


 ミヒャエルはしばらくぶりに味わう「釣果の無いむだにおわる日」を恨めしくも思ったが、こういう日もあるという事を知っている。


 店をあとにしたミヒャエルはそのまま今の拠点ねぐらへと向かった。



(あの男の名前を知るには、すこし踏み込まないといけないようだ。しかしこれは俺自身の独断では難しい。あの人の許可が必要だ。こちらに勘付かれる危険を冒してよいかどうかの判断はあの人に委ねるしかない)

そう判断したミヒャエルは、次の日、ネインリヒ宛に早便で手紙を送った。


 早便であれば返事が返ってくるまで一週間もかからないだろう。 

 

 

  

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