第49話 ミリアとクリス


 話は少しさかのぼる。


――クルシュ暦366年7月上旬


 ミリアはネインリヒから聞いた情報を基にクリストファー・ダン・ヴェラーニについて調査を開始した。

 レーゲン・ウォルシュタートという考古学者の書物が愛読書だとネインリヒさんは言っていた。どの本なのかそこまでは踏み込めなかったが、ここは王立書庫だ、平民出身の者が所持できる程の一般書なら蔵書している可能性は高い。もし同じものがなくても何冊か読めばクリストファーに近づく口実になる。


 果たしてこの王立書庫への蔵書が何冊か見つかった。ミリアはその中から、「南方の古代遺跡」や「バレリア文字」などの記述があるものを数冊選んでこれを読み始めた。


 読み始めたころは、クリストファーに近づく理由を作る程度と思っていたのだが、読み進めるごとに俄然興味がわいてきた。考古学おそるべし。


 「南方の遺跡」というのは古代バレリア文明と呼ばれる文明の名残だと言われており、様々な遺物が出土したことで数十年前に世界の話題となった文明だった。その遺物の中に、その文明特有の文字で書かれた書物も数点発見された。その文字を「バレリア文字」と呼称する。

 文明の起源は数千年前ともいわれているが全く見当がつかないというのが実情だ。遺跡の建造物はすでに崩壊していてほとんど形が無くなっているため相当の時間が経っていることは想像に難くない。しかし、ところどころで発見された金属製の箱は当時の形そのままに近い形で発見された。そうしてその箱を開錠するのにまた数年を要したという。

 この箱を初めて開錠した者こそ、レーゲン・ウォルシュタートという考古学者だった。

 レーゲンは箱の中から数冊の書物と、金属の円盤を発見した。

 その書物に書かれている文字こそ「バレリア文字」だった。同じところに保管されていたもの同士は関連性を持つことが多い。つまりその数冊の書物を読み解けば金属の円盤についても判明することがあるかもしれない。

 そう考えたレーゲンはこの古代文字の解読に着手した。これまでの彼の考古学的発見や知識を総動員してこの文字の解読にあたった彼は、一定の部分まで解読に成功していったが、最後の最後で進めなくなってしまった。


――「elektrische」


 この「単語」に当てはまるものが何なのかわからない。この単語の活用形とも見えるワードが要所要所で出現するが、今の世界において該当するようなものが見当たらないのだ。


 結局レーゲンはこの研究をそこであきらめるしかなかった。


 ただ、その円盤についてはそこまでとなってしまったが、古代文字の研究によっていろいろなことが判明したのも事実だし、文字の解読も充分すぎる進展を見せた。彼の研究は非常に大きな功績を残したと言える。


 晩年に彼が残した書物の中にこの単語に関する記述があった。


『私はついにはその文字のすべてを明らかにすることは出来なかった。これはもしかしたら私の時代の文明では到達できないものなのかもしれない。だから託すことにする。もしこれに挑むものが現れるなら、私が残したものを探すがよい。それを発見したものにこそこれに挑む資格があろう。そうしてそこに私が託す内容もある』


 


(バレリア文字の秘密のワード……。レーゲンの遺産?)


 ミリアは先日目の前に広げられたクリストファーの持ってきた書物のページを思い起こしてみる。そう言えば何回か同じ言葉が繰り返されていた。


(「scheibe」――。「円盤」――?)


 その時はそれほど気に留めなかったが、なんだか似たような文字列が繰り返されているなと、なんとなく頭に残っていたのだ。


(もしかして彼――。レーゲンの遺産を追っているの?)


 いずれにしても、レーゲン・ウォルシュタートの書物を読んでいるのならこの「円盤」について知らないはずはない。

 取り敢えず、取っ掛かりは手に入れたと言ってもいいだろう。


 翌日、校庭でいつものように仲間たちと歓談しているクリストファーを見つけたミリアは、意を決して彼に声をかけたのだった。





「クリストファー・ダン・ヴェラーニ君。少しお付き合いいただけるかしら?」


 唐突に声を掛けられたクリストファーは正直心臓が飛び出るかと思うほどに驚いていた。

 先日声をかけてからもたびたび校庭で見かけていたが、こちらを気にするそぶりはほとんど見られなかった為、さすがに少し立ち入りすぎて警戒させてしまったかと後悔していたからだ。


 ミリア・ハインツフェルト。魔術院の期待のホープ、若き天才。

 父君は国家国政の重鎮である彼女は将来を嘱望されるスーパーエリートだ。容姿端麗、秀麗眉目。言葉は数あるがどれも彼女の美しさを形容するには物足りない気がする。

 そんないわゆる「アイドル」がいま、自分に声をかけているのだ。心弾こころはずまないと言えば嘘になる。

 おそらくもうお話しする機会はないだろうと半ばあきらめていた矢先のことだった。


 しかし、そこは枯れてもクリストファー・ダン・ヴェラーニだ。今仲間たちの目の前で大きく動揺してはならない。努めて冷静に対応しなければ――。



「ああ、ミリア様。お久しぶりです。僕で何かお役に立てることでもありましたか?」

と、涼しい口調で返す(声が上ずらないようにゆっくりと、だ)。


「そうね。君に質問したいことが出てきたの。少し時間をもらってもいいかしら?」


「はい、いいですよ。僕でお役に立てるのなら、よろこんでお聞きしましょう」

(大丈夫、声のトーンはいつもより若干高いがこの程度なら通常の高揚の範囲内だ)


「じゃあ、今日の放課後、王立書庫で。それではまた後程――」


 そう言い残してミリアは去っていった。


「え? 今のミリア様よね?」

「どうしてあの方がお前に声をかけてきたんだ?」

「おいおい、ちゃんと説明しろよ!」

などと仲間たちが囃し立てるが、そこは適当に誤魔化しておく。


(やばい、やばい、やばい――。緊張してきたんだけど――)

クリストファーの心と頭は見た目とは全く違う反応を示していた。

 

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