第2話 弾けた

 この気持ちの変化に気づいたのは、教室でただ授業を受けている時だった。

 なんの授業だったっけ。

 そんなことすら思い出せないのに、私の記憶には横溝くんの姿がくっきりと残っている。


 私と横溝くんの席は横の列が一緒だ。私が1番廊下側なため、左を向けば彼のみではなく、教室の大半が見える。

 でも、その時はなぜか横溝くんにしか視点が合わなかった。教科書を音読しているわけでも、問題を解答しているわけでもなかったのに、私の目の中に彼の姿が飛び込んできたのだ。


 風にゆれるサラサラの髪。

 暇そうにペンを回す指。

 気ままな浅いあくび。


 部活をやっている時とは違う、なごやかな様子に私はかわいいと思ってしまった。


 髪、触ったらふわふわするのかな。

 今にも寝ちゃいそう、部活あるのに起きてて偉いな。


 近づきたい……。


 心にそう思った途端、私は頬の温度が急上昇する。慌てて机の上に顔を伏せた。

 今すぐ誰もいないところに、練習場所に行ってこの想いを全部吐き出したいと思った。音にしたいと思ってしまった。


 好き。


 こんな日常風景に、こんな特別な感情を抱くと思わなかった。ううん、この感情は今日現れたものじゃないんだと思う。

 あの時、大会の『ありがとう』を聞いた時からこの恋はとっくに始まっていたんだろう。

 きっと風船が弾けるほどの衝撃で、ビックリが大きすぎて、この感情に気づけなかったんだ……!


 理解してしまった〝好き〟に、私はいてもたってもいられなかった。

 私は初めて音以外に恋をした。


 熱い。


 ただでさえ熱いのに腕で空気を遮断していたため、熱がこもったのだ。私は腕の間から呼吸をした。

 本当は思いっきり息を吸って吐きたかったけど、今の顔を誰にも見られたくなかったから、少しだけ空気の通り道を作った。

 それと同時に少しだけ視界が開ける。ピントが合うのは隣の人でも黒板でもなく、横溝くんの輪郭だった。


 ぱちぱちと小さな衝撃に、彼への想いがどくどくと身体を流れ渡る。


 目の真ん中にいる彼を逃さないようにしている私のレンズはハートが浮き出ていてもおかしくない。

 それくらい好きになっていた。


 でもこの〝好き〟は、音に対して抱く〝好き〟とは少しだけ違う物だと感じた。





 私の音へ好きは、4歳の時に初めてピアノに触ったことから始まった。そこからどんどん音を生み出すこと、生み出された音への魅力に気づいていった。

 最初は興味だったんだ。

 押すと音のなる鍵盤。黒と白がオシャレで物珍しさに始まったのが私の音楽の世界だ。


 それとは全く違う。全く違う感情……。

 彼、横溝くんに抱いたのは〝好き〟ではあるんだけど、魅力に気づく〝好き〟じゃなくて、魅了される〝好き〟だと思う。

 この想いに気づくまでの時間がほんの一瞬だった。


 近寄ったんじゃなくてやってきた。

 弾くんじゃなくて弾けたんだ……!




 今までの人生で何度か恋バナに巻き込まれたことがあったけど、その時の〝ビビビときたんだよね〟っていう友達の言葉に今なら同意できる。

 自覚させられる、〝好き〟にさせられるっていう感覚。

 


 私は胸の中でシャボン玉がぱちぱちと弾けるような恋をしてしまった。



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