さらば獣め安らかにくたばり給え
テーブルの上のサイフォンで、珈琲を落とす。ミルクはない。代わりに、ミチカのポケットに残っていたフィアーキラーの包みから飴玉だけを抜き、砕いて互いのカップに混ぜた。
「……終わったな……」
「ええ。終わりました」
言い合い、ブリキのマグカップで乾杯した。
泥水で淹れた珈琲はどこまでも苦く、飴玉は救いに足りなかった。ヘイズルは熱さに耐えて大口で飲み、カップをテーブルに置いた。軽い音が鳴った。
ミチカが煙草を咥え、一服、二服と煙を吹かした。吸いたいのではない。ただ、灰が燃え尽きるのをみたかった。
「もういいか?」
「はい。満足です」
「……フィアーキラーの過剰摂取は人を化け物に変えるかもしれない」
「はい。理解しています。私たちも、今日までにフィアーキラーを使いすぎました」
「今まで黙っていたが、戦争はすでに終了している」
「気づいてました。確信したのは、ヘイズルが、あの子に地図の話をしているときですが」
「……こんなことになって、謝ればいいやら、礼を言えばいいやら、見当がつかない」
「お互い様ですよ」
ミチカが終わらせなかったから、ヘイズルが来る羽目になった。
ヘイズルが来たから、ミチカに終わりが訪れた。
「俺たちは獣だ。狂ってしまった獣だ。死ななくちゃならない」
「ええ。平和な世の中に狂獣を放つわけにはいきません」
伸びすぎた灰がポキリと折れた。ミチカが足元に煙草を落とし踏み消した。
「だが、自殺は選びたくない。自分に負けて死ぬのでなく、自分に勝って死にたい」
「まったく同意しますよ、ヘイズル。自分を自分の手で殺すくらいなら、誰かに殺されたい」
「……だから俺たちは獣になるのかもしれないな」
「だから兵士を選んだんですよ。私も、ヘイズルも」
二人は息を揃えたように苦笑し、やがて声を上げて笑った。顔も向けず、互いのこめかみに銃口を押しつけ合った。
「祈ろう」
「私の祈りは手厳しいですよ?」
「構わん。俺は甘やかされすぎていた」
どこまでも自罰的だな、とヘイズルは自嘲の笑みを浮かべた。両目を閉じ、瞼の裏にホープの顔を思い浮かべる。やがて幻影が揺らめき、ミチカ・ボーレットの顔に変わった。
――なんてことだろう。
すぐ傍にいるというのに。
「さらば」「獣め」「安らかに」「くたばり」「給え」
二人は声を揃えて、祈りの言葉を捧げた。
寸分のズレなく、二つのハンマーが落ちる。
ゆっくりと、銃が二人の手を離れ、足元に落ちた。
二人の口がぽっかりと開き、のろり、のろり、と躰が仰け反る。
――。
――――。
「何で弾を抜いた?」
ヘイズルは虚空に声を投げた。
「それは私の台詞ですよ、ヘイズル。何で弾を抜いたりしたんです?」
ミチカが訊いた。
「抜いちゃいない。最初から入ってなかった。弾切れだ。教会で尽きた」
「弾なら下にいくらでもあったでしょう? ヘイズルは自分の意志で入れなかった」
ヘイズルは憮然とし、足元に転がる銃をミチカの方へ蹴り飛ばす。
「俺のは古臭い前期モデルだ。下の弾を使っても銃が吹っ飛ぶだけだよ。それより――」
ミチカが、足元の銃をヘイズルの側へと蹴り飛ばした。
「頂いた銃は新式ですよ? ヘイズルのより入手困難です」
どちらともなくため息をつき、足元に寄越された銃を見つめ、互いに蹴り飛ばしあった。
「なんだろうな、これは」
「なんでしょうね、これは」
「……少なくとも、ミチカは獣になれんらしい」
「お言葉を返すようですが、ヘイズルも同じですよ。あなたはそう――可愛すぎる」
フッ、とヘイズルが鼻を鳴らすと、ミチカもくつくつと肩を揺らした。
「あー……責任を取って頂けますか? ヘイズル」
「責任だと? 何のだ」
「私は、ヘイズルを好きになってしまいました。――初めて見たときからですが」
「初めて会ったときの話を今になってするのか」
ヘイズルはミチカの席の後ろから煙草を取り、唇に挟んでマッチを擦った。ぐう、と見様見真似に吸い込んで――咽せた。
舌先に感じる辛味にしかめっ面を作り、足元に落として消した。
ミチカは膝の上に頬杖をつき、それを見つめていた。
「どうでしょう。私をお嫁さんにしてみませんか。これでなかなか、器量いいですよ?」
「悪くない提案――いや、俺のような奴には、願ってもない提案だ」
「……本当ですか?」
驚いたように紫の瞳を瞬き、ミチカは言った。
「私、本気にしますよ?」
「……本気にしてくれていい。だが、結婚は出来ない」
「……は? 私、今、ちょっと、初めてヘイズルに苛つきました」
ミチカが躰を起こし、腕組みをして、鼻で大きく息をついた。
「そりゃあパートリッジヴィル家と私の家じゃ釣り合いなんかとれませんよ。分かってます。デカい女はもてません。よーく知ってます。でも、こういうからかわれ方をする――」
「そういうつもりで言ったんじゃないよ、ミチカ」
ヘイズルは苦笑しながら言った。
「俺はな、不能なんだ」
「……ヘイズル?」
かくりと首を傾げミチカは、あー、だの、うー、だの唸った。言葉を選んでいるのだろう。
「本当に嬉しく思ったから話した。誰にも言うな」
「……え? まさか、本当に?」
ヘイズルは深くため息をついた。
「はじめ、俺はフィアーキラー無しに戦えなかった。突撃、潜入、暗殺に要所の破壊に――いつも薬が入ってた。で、あるとき、その気になっても使えなくなっていると気づいた」
「……あの、なんと言えば……」
「何も言わなくていい。同情してほしくて話したんじゃないからな。ともかく俺は、フィアーキラーなんて代物を使うのは止めた。絶対、躰に悪いと、身を持って知ったんだからな」
パン! と音を立て、ミチカが手の平で自分の口を塞いだ。ヘイズルから顔を背け、ぐ、ぐぐっ、と背中を震わせている。
「……無理しないで大声で笑え。もう散々、笑われた後だ。怒る気にもならない」
そう言ったのだが、ミチカは引きつけを起こしそうなくらい必死に耐え、深呼吸しながら躰を起こした。
「……ミチカ。何が君にそこまでさせる?」
「もちろん、あなたがですよ、ヘイズル。これ以上ない玉の輿のチャンスですからね」
「……俺は継子だ。パートリッジヴィル家の家督は望めないぞ」
「やった。それは僥倖です。私、堅苦しいのは大の苦手なんです」
「……ああ言えばこう言う……君のタフネスを頼もしく思うよ、ミチカ・ボーレット軍曹」
さて、とヘイズルは両膝を打ち、立ち上がった。
「そういうことなら仕方ない。銃を拾って基地に帰ろう」
「了解です」
「……それと、中佐に会ったら問いただしてやらないとな」
「ええ。みっちりとやってやりましょう」
ミチカは席を立つと、ポケットから弾を挟んだクリップを取り出し、拳銃に装填した。
「……おい?」
「私は弾がないだなんて言っていませんよ、ヘイズル」
手元に残ったクリップを魔法の杖のように振りつつ飄々と言ってのけ、それを後ろに投げ捨てた。
ヘイズルは困ったように微笑み、両手を腰に首を垂れる。
「――たまらんな。まったく、頼もしい部下だよ」
「愛らしくなってきましたか?」
「ああ。そういうことにしておこう」
レディファーストだとミチカを先に歩かせ、ヘイズルは後に続いた。またガスマスクを被るのかと思うと、少し気が滅入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます