第4章『終わりの始まり』
1話
結論から述べると、メリッサ・ヴァルツの館で不審な物は何も見つからなかった。否、見つけられなかったと言うのが正しい。
何せ、家の一階部分は完全に焼失しており、辛うじて残っていた二階にもほとんど物が無かったのである。
「……これは、」
そして、唯一発見した物はと言うと、裾が焦げた聖騎士団のローブであった。
どこか既視感のあるローブを拾い上げたシアンは首を捻りながらも、それを持って本部に帰還することにした。
これ以上、ここを探しても何も見つからない。
そう判断したのである。
シアンの命令に異を唱える者は居なかった。
死して尚、メリッサ・ヴァルツが施した魔法結界の威力は絶大で、現役の聖騎士を以てしてもその疲弊は凄まじいものであったのである。
特に結界を使って皆を守っていた桜花の疲弊は頂点に達しており、今はシャムの背でぐったりとしていた。
桜花を気遣いながら、ゆっくりと来た道を戻る。
森を抜けた先には待機を命じていた部下たちが待っていた。
事前にシアンが連絡していたこともあり、馬車が用意されている。馬車の中へ桜花とシャムを乗せると、残りの者は皆、馬車の周りを囲むようにしてクラルテへと向けて歩き始める。
「大佐? どうかしたんですか?」
「……」
メリッサの館で発見した煤で汚れた白いローブをじっと見つめたままのシアンに桔梗が声を掛けるも、彼はそれに応えず、無言のまま先に歩いて行ってしまう。
「あのローブ。何か気になることでもあるのかしら?」
「さあ? アレを発見してからずっと心ここにあらずって感じだからね。そのうち、腹が減った~って元に戻ると思うけれど」
レオンがその様子を想像してくすくすと笑い声を立てた。
それに釣られて桔梗も笑みを零す。
だが、視線だけは真剣にシアンの後姿を追っていた。
久方ぶりのクラルテはいつにも増して眩しくて、桔梗はそっと目を細めた。
「結界魔導石爆破事件、容疑者であるアメリア・ヴァルツを捕縛することに成功。現在はレオン・ウェルテクス支部隊長、以下数名の元、監視・拘束しております」
シアンが桔梗の書いた報告書を読み上げる。
クラウドはそれに頷きを返すと、隣に立っていたユタに視線を遣った。
「ご苦労様。ゆっくり休んでちょうだい。アメリア・ヴァルツの監視は交代制で第一小隊に任せます」
「了解」
シアンがクラウドとユタに一礼して、部屋を出る。
桔梗も二人へ頭を下げると彼の後を追って扉を潜った。
廊下を出ると、シアンが鮮やかなタイルの敷かれた床を睨みつけて固まっていた。
「どうかしたんですか?」
「……」
桔梗の問いに返事はない。
だからと言って、こちらの声が聞こえていないわけではないらしい。
ちら、と桔梗の顔を横目で見たかと思うとシアンはまた床に視線を戻した。
どうやら何か考え事をしているらしい。
そしてそれは桔梗の考えが正しいのであれば、恐らくあのローブについてのことだろう。
「どうして、あのローブについて何も報告をしなかったんですか?」
シアンは短く溜め息を吐き出すと、周りに人が居ないことを確認してから桔梗の腕を引っ張ってどこかに向かって歩き始めた。
「ここは……」
シアンに連れて来られた場所は過去の事件の書類が集められた書庫だった。
こんこん、とノックをすると中から「はぁーい」と間の抜けた返事が返ってくる。
「レティ、俺だ」
「おや、珍しい顔だ。久しぶりだね、シアン」
部屋の中から出てきたのは、淡い金髪を一つに結んだ妙齢の女性だった。
「それから、初めまして。桔梗少佐」
どうして自分の名前を知っているのだろうか、と疑問に思いながら、桔梗はぺこりと頭を下げる。
「それにしても珍しいね。書類嫌いの君がここを訪ねるだなんて」
レティ、と呼ばれた女性がくすくすと笑いながら、シアンと桔梗の二人を部屋の中へ案内する。
そこには、今にも倒れんと言わんばかりに大量の書類が積み上げられていた。
この部屋が存在することは知っていたが、実際に中へと入るのは初めてのことであった桔梗は物珍しそうに辺りをきょろきょろと見回した。
「……昨日お前に預けたローブについて、何か分かったことはあるか?」
重々しい口調でシアンがそう言うのに対し、レティはにやりと口角を上げた。
「君はアレをどこで見たかってことなら、分かったよ」
「何!?」
「ちょ、ちょっと待ってください。盛り上がっているところ大変申し訳ないのですが、大佐はあのローブを見たことがあったんですか!?」
それなら、尚更どうして報告をしなかったのだと桔梗の眉根が寄る。
シアンは唇を結ぶと小さな声で「確信がないものを報告して混乱を招きたくなかった」と零した。
「まあ、二人とも落ち着いて。君がコレをここに持ってきたのは正解だよ。過去の書類にこのローブについての記載が一件見つかったんだ」
レティは古いファイルを書類の山の中から引っ張り出すと――その際、塔が一つ崩れたが何食わぬ顔をしていた――パンパンと埃を叩き、それをシアンに差し出した。
「『第二十八回選抜試験、合格者。西の国より十五名。東の国より二十名。我が国からは十三名が見事難関を突破』――そうか。これはあの時の、俺たちのローブだったのか」
それは十年前、騎士候補生を迎えるために諸国で実施された試験について書かれたものであった。
シアンの顔から色が消えていく。
桔梗は彼の手から滑り落ちそうになった書類を掬い上げた。
「これ、この写真って……」
「そうだ。私とシアン、それからホロ。我々三人はこの試験を合格し、見事騎士候補生として入団したと言う訳だ」
レティの表情も固く強張っていた。
「そしてその時、我々には誉れ高き白の、聖騎士団の色を司る白いローブが渡された」
見てみろ、とレティの言葉に促されて、桔梗は書類に添付された写真を見て絶句した。
幼いながらも鋭い眼光を持った子供たちが世界樹の前で敬礼している。
その中に、シアンとホロ、レティの姿もあった。
三人が纏っているのは、昨日メリッサの家で発見した白いローブだった。
真新しいそれは朝露の如き輝きを放っていて、桔梗は暫し写真に視線を奪われた。
「そのローブを持っている奴の数は限られている。既に本部に所属している騎士への確認は取れた。――たった一人を除いてな」
やけに含みを持たせた言い方に、シアンの眉間に深い皺が刻まれる。
レティは桔梗から書類を受け取ると、トントンと指である人物の顔を叩いた。
それは他でもないホロを写した部分であった。
「……そんな」
桔梗は声が震えるのが分かった。
ちら、と二人の様子を窺うも、彼らは存外落ち着いているようで、否、ある程度予想がついていたのか、深い溜め息を吐き出しただけである。
「このことを団長には?」
「伝えていない」
「よし。なら、まだ誰にも言うな。それから、もう一つ頼まれてほしいことがある」
「全く君は相変わらず人使いが荒いなぁ」
「お互い様だろ? 持つべきものは優秀な同期だ。なあ、桔梗?」
漸くいつも通りのシアンに戻ったことを素直に喜べない自分に桔梗は苦笑した。
先ほど見た、眩いばかりの幼い彼らが脳裏に焼きついて離れない。
「他言無用で頼む」
珍しく小声でそんなことを言うものだから、桔梗は静かに首を縦に振ることしか出来なかった。
◇ ◇ ◇
酷い頭痛に吐き気が込み上げる。
簡素な造りの部屋の中で、アメリアは舌打ちした。
チッと鋭い音が誰も居ない部屋の中に反響する。
「お昼ですけど、食べます?」
部屋の中に入ってきた金髪蒼眼の青年を見て、アメリアはふいと顔を背けた。
昨日、桔梗の攻撃を喰らって気絶した後、気が付くとこの部屋に転がされていた。
雷を真面に浴びた身体は今も痙攣を繰り返しており、手先が痺れて身動きを取ることも叶わない。
おまけに、手足を魔力制御装置で縛られていて、少しでも魔法を使えば術式が展開し、鋭い痛みが身体を襲った。
「……いらないわ。そういう気分じゃないの」
このやり取りも昨日から数えて三回目だ。
どうせ自分が返す言葉は同じであると言うのに、この青年は――レオン・ウェルテクスは性懲りもなく食事を持ってアメリアの元にやって来ていた。
「そうですか。ではここに置いておきますので、気が向いたら食べてください」
「……」
こちらも頑固さは負けていない。
手の付けられていない今朝の食事を回収すると、レオンはちらりとアメリアを一瞥して部屋を出た。
「どうだ? 何か聞き出せそうか?」
交代にやって来たシアンが扉の方に顎をくいっと向けながらレオンに問うも、彼は弱弱しく首を横に振った。
「駄目だね。うんともすんとも言わないよ。そっちは? 何か分かったのかい?」
「いいや。これと言って進展はないが、ホロがアメリアさんの持っていた黒い欠片を分析しているところだ」
「結界魔導石を破壊していた時に発見した物と、彼女の所持品に含まれていた物を?」
「ああ。恐らく、同じ物で間違いはないようだが、念のため魔術回路を分析すると言っていた」
ふむ、と兄弟二人して顎に手を添えて考え込む上官に、シアンの後に続いていた騎士が挙手をした。
「ん、どうした?」
「レオン様は二日間寝ていないと桔梗様よりご報告がありました。ですので、お話をするのであれば、我々と交代してからの方がよろしいのではないかと、思いまして……」
「……そうだな。今の時間なら仮眠室も空いているだろうし。案内してやろう」
「え、良いよ。疲れたら、その辺のソファで寝るし……」
レオンが遠慮がちに両手を振るが、シアンは聞く耳を持たなかった。
部下に後のことを頼むと、レオンの腕を引っ掴んで仮眠室の方へと向かった。
扉の向こうが静かになったのを感じて、アメリアは寝転がっていた固い床からゆっくりと身体を起こした。
「フュルギヤ、居るんでしょ?」
外に居る騎士に聞こえない声でそう小さく呟く。
『ここに』
それは音もなく突然影の中から現れた。
白い鱗が薄暗い部屋の中で淡く反射する。
「見ての通り、動けないの。何とかして頂戴」
アメリアの姿を見て、白い蛇はスッとその眼を細めた。
『それは出来ぬ』
「はあ? 何を言っているの。貴女は私の、ヴァルツに従う精霊でしょう? どうして私の言うことに従わないのよっ!!」
アメリアはここが牢獄であることも忘れて声を荒げた。
外に居る騎士が「何だ?」と扉に付いた格子窓からこちらを覗く気配がしたが、そんなことはどうでも良い。
『ここにはあの方がいらっしゃる。我はあの方の支配下では何も出来ぬのだ』
「あの方? あの方って一体誰のことを言っているのよ!! 良いから私の言うことを……っ!!」
大きな声を出した所為で、痺れの引かない身体がズキリと痛んだ。
『何だ、騒がしい。せっかく、俺が自ら迎えに来てやったと言うのに』
低く冷たい声が、暗い部屋の中に響いた。
ちら、とそちらを見遣ると、白髪の青年が呆れたように肩を竦める。
『旭日様』
フュルギヤがそっと頭を垂れる。
だがその目は、鋭く尖っていた。
『相変わらず可愛げのない蛇だ。立て、アメリア。すぐにここを発つぞ』
旭日はそう言うと、アメリアの腕を引っ張り上げた。
パチン、と弾ける音がしたかと思うと、アメリアの手足を縛っていた魔力制御装置がボロボロと崩れていく。
「……どうしてここに?」
『何。お前にはまだ頼みたいことが残っているのでな。こうして自ら迎えに来てやったのだ』
「それはどうも御親切に。感謝いたします」
棒読みで礼を述べたアメリアに旭日はフンと鼻を鳴らすと、彼女の身体をぐいと己が腕の中へ閉じ込めた。
『少し揺れるぞ。俺の身体を離すなよ』
そうして何事かをぶつぶつと呟くと旭日の身体が、淡く光を帯び始めた。
それを見たフュルギヤの眼が驚愕に見開かれる。
『離れろ、アメリア!! その男は、メリッサを殺した男だ!!』
その術式はかつて、フュルギヤが最も慕っていた主を殺した男が使ったものと同じであった。
どこかであの男の面影を感じていたが、フュルギヤには確信が無かった。何せ、アメリアを一人抱えてあの場から離れることがやっとだったのである。
顔は覚えていない。
けれど、主を殺した、メリッサの命を絶った男の術式だけははっきりと覚えていた。
「……っ!!!」
アメリアはフュルギヤの言葉に従って、旭日の身体を突き飛ばした。
未だ痺れる指先が忌々しい。
『ほお? 覚えていたのか。否、思い出した、と言った方が良いのかな?』
旭日が心底可笑しそうに笑った。
その眼には、冷たい光が宿っている。
アメリアは全身がぞわりと総毛立つのが嫌でも分かった。
背中を冷たい汗が流れていく。
眼前の男と、祖母を殺した男のシルエットがゆっくりと重なる。
同じだ、と脳裏に焼きついた記憶が訴えていた。
「お前がっ! お前がおばあさまや皆をっ!!!」
アメリアの拳は震えていた。
それは怒りとも恐怖とも言い難い、重く複雑な感情が混ざり合った所為の震えであった。
『そうだ、と言ったらどうするのだ?』
「殺す!!」
皆の仇だ、とアメリアが震える拳を天井に向かって振り上げる。
旭日は口角を上げて、彼女を見つめていた。
アメリアは旭日のその様子を見て、額に青筋を浮かべた。
腹の底から沸々と怒りが込み上げてくる。
そして、この男にどうしても一泡吹かせてやりたいという思いがアメリアの思考を支配した。
(この男は腐っても創世龍の一頭。全ての魔法、生物の父だ。恐らく、私の魔法は効かない。なら、アレを……。おばあさまと叔母様たちが最後に研究していたあの術式を試すか……)
アメリアは両の手を静かに組むと記憶の海を泳いだ。
メリッサとアメリアの母ソフィア、それから母の妹レイラの声が脳内に優しく染み渡る。
『星の女神、メディ。我らが母、我らが偉大なる女神よ。我が前に聳えし大いなる壁を打ち砕きたまえ』
脳裏で言葉をゆっくりと辿りながら、アメリアは呪文を紡いだ。
「……星の女神、メディ。我らが母、我らが偉大なる女神よ。我が前に聳えし大いなる壁を打ち砕きたまえ」
アメリアの周りを古代文字が連なり、光の輪を形成する。
その術式を見た途端、旭日の目が驚愕に染まった。
突然懐から愛刀を取り出したかと思うと、アメリアの首筋に向けてそれを放った。
だが、アメリアに届くより先にフュルギヤが動いた。
頑丈な白い鱗を逆立たせて、しなやかな刃の動きを止める。
『それは我の身体から作られたもの。故に、我には効かん。例え貴方様であっても、アメリアの邪魔をすることは許さぬぞ!』
『くっ!! 離せ!! このっ』
旭日の刃はみるみるフュルギヤの身体の中に取り込まれていった。
剣先が全て身体の中に収まったかと思うと、アメリアの声が大きく響き渡る。
「我、ヴァルツの血を引く者。言霊よ。我の声に応え、彼の者を縛りたまえ――《
光の輪がアメリアの元を離れ、旭日を捕らえた。
きつく、きつく身体を縛るそれに、旭日がぐっと苦しそうに声を漏らす。
「魔法を制限させてもらったわ。それはやがて貴方の身体を、魂を分解する。例え創世龍の一頭であっても、簡単には解けない。ヴァルツの叡智を詰め込んだ最強の術式。苦しみながら死ぬが良いわ!」
『貴様ッ!!!』
旭日が低く唸りを上げた。
グッとフュルギヤに埋もれた刃を力の限り引っ張ると、フュルギヤの身体ごとアメリアに向かって投げつける。
『アメリア!』
「分かってる!」
アメリアはフュルギヤに手を伸ばした。
鱗に彼女の指先が触れた途端、白蛇の姿は霧と化す。
旭日は驚いた様子でそれを見ていた。
だが、己の刀が自由に動けるようになったと知ると瞬時に腕を振るった。
「――《
アメリアの身体が白い光に包まれる。
ガンッと鈍い音が響いて、旭日の刀は標的を捉え損ねた。
『それは俺の……』
「そうよ。貴方が生み出した最硬度の防御魔法。例え貴方でもこの硬き甲羅は決して破れない」
アメリアが光玉の中で不敵に微笑む。
旭日は柄を握る手に力を込めた。
だが、そこで不意に込み上げてきた不快な感覚に、思わずその場に蹲る。
『くそっ! こんなときに……!』
げほっと彼の引き締められた口元から赤い血が顎を伝って、床を汚した。
先程、アメリアが施した魔法が発動したようだ。
元から白かった旭日の肌の色が更に白く、青みを帯びていく。
そして力が弱まった所為で旭日が身に纏っていた気配遮断の術が解けたのだろう。扉の向こうで待機していた騎士とアメリアは目が合うのが分かった。
「侵入者よ!! すぐに排除してちょうだい!!」
「何だと!?」
騎士は慌てて鍵を開け中へ飛び込んできた。
旭日がぎろり、と騎士を睨む。
彼の視線が自分から逸れたのと同時に、アメリアは懐に忍ばせていた短刀を抜いた。
――ドッ。
鈍い音が部屋に響く。
アメリアが手にしていた刃は、旭日を貫くことはなかった。
握っていたはずのそれが自分の腹に突き刺さっているのを見て、アメリアの顔が苦痛に歪む。
『そう容易く俺の首を取れると思うな。[[rb:術式 > コレ]]の借りは返した。精々己が毒に苦しめられるが良い』
短刀にはフュルギヤの毒が塗ってあった。
旭日は匂いでそれに気が付いたのだろう。
腹から流れる鮮血をそっと手で触れて、アメリアは笑った。
「あら、私の術だって、そう簡単に破れないわ。お返しがこの程度で済むなら安いくらいよ」
苦渋の表情を浮かべながら、彼女は白い歯を見せて笑った。
旭日の額に薄っすらと汗が滲む。
彼が何かを告げようと唇を開いた、刹那。
――旭日とアメリアの間に閃光が走った。
「ここは危険だ! すぐに応援を連れてこい!」
旭日の殺気に身動きを止めていた騎士がはっと息を飲む。
眼前に金色が翻る。
「早く行け!」
レオンの深い海色の眼が、騎士を急かす。
彼は慌てて、相棒の騎士を引き連れるとシアンと応援を呼びに廊下を駆けて行った。
「……大丈夫ですか?」
「嫌味な子ね。良いから手を貸しなさい」
ふん、と鼻を鳴らしたアメリアに苦笑すると、レオンは未だ蹲ったままの男から遠ざけるように彼女の腕を引っ張った。
「ここから隊が常駐しているところまで、少し距離があります。応援が来るまで、時間を稼げれば良いのですが……」
「それなら問題ないわ。その男が勝手に私の枷を外してくれたから、ね?」
言われて初めてアメリアを縛っていたはずの魔力制御装置が外されていることに気が付いた。
『俺に膝をつかせておいて、タダで済むと思っているのか』
ごふっと再度吐血しながら、旭日が緩慢な動きで立ち上がる。
レオンは男の顔を見て、項に刃物を突き立てられたような気持ちになった。
生臭い血の臭いが鮮明に蘇る。男はかつて自身の兄と桔梗を追い詰めた。
――レオンにとって忌まわしい過去の象徴だった。
「兄さんたちを待っている余裕はなさそうですね」
「そう、みたいね……」
アメリアの顔色がだんだんと紫色に変化を始めた。
毒が身体に回り始めたのだ。
ある程度の毒であれば耐性を持っているが、フュルギヤのものともなれば話は別だ。創世期に生を受けた彼女は、もはや『神獣』と呼ばれていてもおかしくはない。
その毒が今、身体の中を巡っているのだと思うと、少しでも気を抜けば、今にも倒れてしまいそうになった。
「アメリアさん」
「へいき、よ。今はアイツに集中しなさい」
レオンは彼女の言葉に従うと、旭日に向かって大剣を構え直した。
背中へ隠すように大剣の柄を掴んだレオンに、旭日が片眉を上げる。
『その構え……。そうか、貴様はあの時の……』
「思い出して頂けたみたいで嬉しいです、旭日様。ですが、あの時と同じように泣いてばかりの小僧では無いと言うことを、御身に刻んで差し上げましょう」
言うや否や、レオンは前に足を踏み出した。
ブン、と風切音が旭日の耳のすぐ脇を撫ぜていく。
避けられることは想定の内だ。
柄を片手に持ち帰ると、空いた拳を旭日の鳩尾に打ち込んだ。
『ごふっ!?』
「まずは一発」
勢い良く壁に叩きつけられた旭日は、赤く染まった左目で、レオンを射抜いた。
ぞわりと背筋を冷たい何かが這って行く。
柄を両手で持ち直し、再度接近しようとしたレオンをアメリアが諌めた。
「今度は私の番でしょう?」
その顔色はすっかり土色になっていた。
レオンが声を掛けるよりも先に、アメリアが言の葉を紡ぐ。
「流れるは刃、紡ぐは星々の唄――《
柔らかな声が奏でたそれは上級魔導士の間でも、一握りの者しか使えない特大魔法の呪文だった。
流星の如く白刃が空間を舞う。
レオンが防御魔法を展開しようと大剣を床に突き立てるが、アメリアの放った魔法はただ一人、旭日に向かって真っ直ぐに飛んでいく。
「やれやれ……。貴方らしくもない。彼女に情でも湧きましたか?」
土煙の立つ向こう側で呆れたような声が響いた。
ふわり、と風に揺れたのは赤い、ぼさぼさの髪で。
レオンは信じられないものでも見たかのように、その場に縫い付けられた。
「ホロ、さん?」
その声に、彼の金色の眼がスッと細められる。
「見られてしまっては仕方がない。君たちにはここで死んでもらう」
「なにを、言って……」
「伏せなさい! ウェルテクスッ!!」
アメリアがヒステリックに叫ぶ。
「――《
巨大な火の玉が、カグラでレオンたちを襲った火の玉が室内に姿を見せる。
「その傷でよく動けるねぇ。そんなに元気なら、もう少し痛めつけても平気かな?」
ヒュッと音を立ててホロの手先からナイフが飛んだ。
レオンが大剣を振るって、軌道を逸らそうとするも、ナイフは奇妙な動きでそれを避け、次々にアメリアの身体へと命中していく。
「やめろ!!」
頭に狙いを定めようとしたホロの前にレオンが立ち塞がるが、彼は口元に笑みを浮かべただけで、ナイフを下ろそうとはしなかった。
「何だい? 先に死にたいのかな? それなら、お望み通り君から殺してあげよう」
レオンに向かってナイフが飛ぶ。
大剣で振り払うには距離が近過ぎた。
レオンは覚悟を決めて、ギュッと強く瞼を閉じる。
「――ホロ!!!」
シアンの声が、ナイフの動きをぴたり、と制止させた。
薄っすらと瞼を持ち上げた先、僅か数センチ手前で動きを止めたナイフがあった。
よく見れば、ワイヤーのようなもので繋がれており、手元で操られていたことに気が付く。
「弟から離れろ」
低い、地を這う声に、ホロは笑った。
「君とはこんな場所で戦いたくはないな。主も重症のようだし、仕方がないから今日は退くとするよ」
そう言って寂しそうに笑うと、ホロはその姿を白い烏へと変化させた。
「ガアッ!!」
汚い鳴き声で鳴いたかと思うと、その振動で部屋の壁に穴が開く。
男を咥えて、その穴から飛び立ったホロを、シアンは苦い表情で見送ることしか出来なかった。
「大丈夫か?」
「僕は平気だけど、アメリアさんが毒を……」
「ユタの所に連れて行こう。今なら部屋に戻っているはずだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます