4話

 ウェルテクス家の本家は、ラグーナの街で一番高い場所に門を構えていた。

 ここからであれば、首都セドナや港で何か起こってもすぐに駆け付けることが出来るのである。


「久しぶりだな。愛すべき愚息たちよ」


 開口一番、そう言い放った恰幅の良い初老の男性に桔梗は面食らった。

 シアンと同じ銀髪を緩く結び、シアンとレオンと同じ深い海色の眼を持った男性は、ウェルテクス兄弟の父アレン・ウェルテクスその人であった。

 西の国、近衛兵団団長を務める彼が自宅の門を背に仁王立ちする姿は凄まじい破壊力で、桔梗は思わずシアンの袖を掴んだ。


「……愚息、シアンとレオンが父上に挨拶申し上げます。ただいま帰りました」

「に、兄さん」


 チッ、と盛大に舌打ちを響かせたシアンに、レオンが父と兄の間をおろおろと視線を泳がせた。


「おかえり、バカ息子ども。おや、愚息に隠れて、挨拶が遅れましたな。、アレン・ウェルテクスと申します」


 スッと桔梗の前――正しくは桔梗が隠れているシアンの前――に膝を折り、手を取ったアレンに桔梗はドギマギしながら頭を垂れた。


「き、桔梗と申します。しょ、将軍のお噂は兼ねてよりシアン大佐から……」

「てっきり、武骨な男性騎士が来るとばかり思っていたのだが、いやはや。こんな可愛らしいお嬢さんを連れて来るなら先に言いなさい。炊事係に頼んで食事の用意を一つ増やしてもらおう」

「そ、そんな! あの私は結構ですので、親子水入らずでその……」

「もうその辺で良いだろ。いい加減、中に入れて茶の一杯でも飲ませてくれ。こっちは昼から働き詰めなんだよ」


 桔梗の様子に耐えかねたのか、シアンが顎で門を示すとアレンは仕方がないと言った様子で渋々門を開けて中に彼らを招き入れた。

 深紅の絨毯が敷かれた応接間に通されると、褐色肌の美しい女性が紅茶を持って部屋に入ってきた。


「ただいま、母さん」

「おかえりなさい。それから、こんばんは。どうぞ、ゆっくりしていってくださいね」

「はい。ありがとうございます。」


 腰元まで伸びた長い金髪を柔らかく翻して、シアンが母と呼んだ女性は静かな動作で部屋を出ていく。

 レオンは母が淹れてくれた紅茶に早速手を伸ばすと、カラカラに乾いた喉を潤した。


「それでは、早速……。お前たちを呼んだのは他でもない。結界魔導石の爆破事件、その犯人についてだ」


 アメリアのことは既に聖騎士団本部より各国の重役に伝えられている。

 アレンも近衛兵団の団長を任されているため、本部から連絡を受けたのであろう。眉間には深い皺が刻まれていた。


「犯人がヴァルツ出身の娘だと聞いてな。一つ思い出したことがあるのだ」

「と、言うと?」


 シアンが紅茶に口を付けながら父親に先を促す。

 桔梗も兄弟が紅茶を飲んでいるのに倣って、自らも喉を潤すべくティーカップを口へ運んだ。


「ヴァルツの一家が惨殺された事件は知っているだろう? ヴァルツは元々西の国の王家に古くから使える一族でな。その家はセドナとラグーナの境の森にあった。当時の事後処理を担当したから、よく覚えているんだ」


 アレン曰く、最近その廃墟と化した家の辺りから物音がするのだという。

 不審に思って、部下を何度か向かわせてみたが、帰ってきた部下は皆、どこか遠い目をしており、何を聞いても口を開かなくなってしまったらしい。


「それは……」

「恐らく、お前たちが追っているヴァルツの娘が潜伏している可能性が高い。ヴァルツは結界魔法陣を張るのが得意だと聞く。何かしらの術を織り交ぜた結界を張っているのだろう」


 レオンはカグラで銀青と対峙したときのことを思い出した。

 上級魔導士でも構成するのが難しいと言われている三重防御魔法陣で、街の一部を覆ったアメリアの姿が脳裏に浮かび上がる。


 それも、確か無詠唱だったはずだ。


 魔導士ランクを聞いたことはなかったので、正確な階級は分からないが、恐らく一級レベルと断定して良いだろう。


「厄介なところに隠れられたな。あそこは確か『迷いの森』だとか、なんとか噂されている場所だろう?」


 シアンの問いに、アレンの顔が渋くなる。


「ああ。それは、メリッサ・ヴァルツの仕業だな。彼女は他人に魔法の研究が露見するのを恐れて森全体に結界を張ったと聞く。それが死んだ今でも発動したままになっていると言うのだから、恐れ入ったよ」


「だとすれば、こちらにも結界を張れる魔導士が必要になるな」

「それなら、うちの若いのを何人か貸そう」


 シアンとアレンがトントンと話のリズムを刻んでいく横で、桔梗はそれに待ったをかけた。


「それには及びません。うちには結界魔法のスペシャリストが居ますから」


 桔梗の言葉に驚いて眉根を寄せたのは、アレンだけではない。


「はあ? 何を言っている。俺やお前の部隊の中に結界魔法を扱える奴なんて居ないだろうが」


 父親と同じく眉根を寄せたシアンが首を傾げながら、桔梗に視線を送った。


「居ますよ。桜花が、ね?」


「桜花ァ? 確かにアイツは特殊だが、結界魔法を使えるなど一言も……」

「あら、お忘れになったんですか? 祠の中で私と桜花が二人きりで話をしていたことを。そのときに、話の流れでどんな魔法を扱うのか聞いたんですよ」


 嘘も方便である。

 実際は銀青と華月を引き合わせたときに、華月から桜花が結界魔法を扱えると言うことを教えてもらったのだが、この場合は説明から華月を省かなければならなかったため、祠で二人きりになったことを持ち出させてもらった。

 それを聞いて、シアンは少しばかり逡巡した様子を見せた。

 いくら彼女が龍とは言え、見た目はまだ幼い少女だ。

 それに桜花が赴くとなれば、必然的にシャムも連れて行くことになる。


「……分かった。少し考えさせてくれ」

「はい」


 これで話は一区切りついたと思ったのだろう。

 アレンが両手を叩くと、数人のメイドが膳を抱えて部屋の中に入ってきた。

 滅多に揃わない親子のことだ。積もる話もあるだろう、と桔梗が腰を浮かせるとシアンがそれを制した。


「馬鹿。お前が戻ってどうする。これは親父がお前を気に入ったから、もう少し引き留めるための料理だぞ」

「え? いや、そんなお気遣いなく、あの本当にお暇致しますので……」

「愚息の言う通りですよ、桔梗少佐。目上の好意は素直に受け取っておくものです」


 てっきり冗談で言っているとばかり思っていたのだが、どうやら本気だったらしい。

 いつの間に炊事係へ連絡していたのか知らないが、テーブルの上に四人分の豪勢な料理が次々に並べられていった。


「お母様はご一緒に食べられないのですか?」

「母さんは食が細くてな。この時間に食べると胃が重くなると言って、少し早めに食べるんだよ」


 シアンにそう言われて、桔梗は初めて窓の外に視線を移した。

 すっかり夜も更けて、空には星が爛々と輝いている。

 少しだけ開けられた窓から、夜風が海の匂いを纏って部屋の中を訪れ、料理の香りをより芳しいものへと変えた。


「ごちそうさまでした」


 ぺこり、と礼儀正しく腰を折った女性騎士に、アレンは微笑んだ。


「こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました。息子たちはああ見えて家の中では寡黙ですので、貴女とお話しが出来て良かったです」


 差し伸べた手に桔梗の小さな手が重なる。

 アレンはそっと、身を屈めると桔梗の耳元に息を吹き込むようにして、小声で言った。


「殿下、再びお会いできて大変嬉しく思います。[[rb:西の国 > ここ]]は本来、旭日様の領域。どうか、お気を付けて……」


 にっこりと微笑んだアレンに、桔梗はスッと目を細めた。


「ありがとうございます、ウェルテクス将軍。私も、再び貴方にお会いできて嬉しかったです」

「ご武運を」


 アレンが桔梗の手の甲にキスを落とす。

 すると、それを見ていたシアンとレオンが絶叫した。


「ぎゃあ!! な、何してんだクソ親父!!」

「か、仮にも一国の将軍が、聖騎士団の女性騎士を口説くだなんて!! 何を考えているんですか、父さん!!」


 素早い身のこなしで父親の腕から桔梗を救い出すと、シアンは興奮した猫よろしくアレンを威嚇した。

 これには普段彼と仲の悪いレオンも同意を示して、兄弟揃って「シャー」と今にも鳴きだしそうな顔で父親に睨みを利かせている。


「人聞きの悪いことを言うな。第一、私にはテレサという唯一無二の細君が居るんだぞ。今のは挨拶に決まっているだろう」


 はあ、と溜め息交じりにそう言うと、アレンは疲れたのか乱雑に手を振って「さっさと帰れ」と言って屋敷の中に入ってしまった。

 父親の後姿に、ウェルテクス兄弟は揃って舌を突き出して、尚もぶつぶつと文句を漏らしている。


「ふふっ」

「何だよ、何が可笑しい」

「いいえ、何も」


 いつかの、霊王宮で過ごしたあの頃のことが少しだけ思い出されて、桔梗は笑った。

 レオンはそれに気が付いたのか、何とも言えない表情を浮かべると「戻ろう」とそう小さく呟くのであった。



◇ ◇ ◇


 翌朝。

 シアンは起きてすぐに、自分が休んでいたテントに桔梗とレオン、それからシャムと桜花を呼び出した。


「俺たちはこれからアメリア・ヴァルツを捕縛するために、ある森に向かう。だが、そこには少し厄介な術式が施されているそうだ。そこで、桔梗からお前が結界魔法を扱えるという話を聞いたんだが。どうだ? 俺たち全員を覆えるほど大きな陣は張れるか?」


 桜花が驚いた顔で、桔梗を見る。

 だが、桔梗がスッと目を細めて彼女を見つめ返したことでその真意に気が付いたのだろう。

 こくり、と頷きを一つ落とすとシアンの方へ視線を戻した。


「はい、扱えます。ですが、この小隊全員は聊か厳しいかと……。私の一族が扱う『八重の護り』と言う結界は、術者が――私が真に心を開いた者、または信頼に足る者と認識した方にしか発揮できません。また、結界内に入った者の中に一人でも私に対して畏怖を浮かべる者が居れば、結界は中から崩れます。双方の信頼関係が無ければ、私の結界魔法陣は発動出来ないのです」


 それを聞いてシアンは唸った。

 今回、同行に選んだ騎士たちは皆信頼のおける素晴らしい部下たちであったが、その中にはラディカータ村でのことを知らない者も居る。

 桜花が龍に戻ったとき、約半数が驚いて腰を抜かしていた。

 こんなことになるのであれば、最初からラディカータ村へ行ったメンバーを選別すれば良かった、などと考えても後の祭りである。

 ふう、と一息吐き出すと、シアンはレオンと桔梗を交互に見遣った。


「……少数精鋭で来たのが仇になったな。人員は少ないとは思うが、その中からラディカータ村に行った騎士と、カグラの騎士を集めてくれ」

「了解」


 テントから飛び出して行った桔梗とレオンを見送っていたシャムの腕を桜花がそっと引っ張った。


「桔梗姉様から頂いたもの、持ってきているのでしょう?」

「え?」

「普段は荷物が少ない貴方が、姉様にリュックを借りていたじゃない。あれの中身が何か、分からない私じゃないわ」


 悪戯っぽく笑った桜花に、シャムはパチパチと瞬きを繰り返す。

 最初から、あれを着ない選択肢は無かった。

 自分の行いを正当に評価してもらって嬉しかったのは事実だ。

 だが、どのタイミングであれに袖を通せば良いのか分からなかった、というのが本音である。

 貰ってすぐにそれを着れば、あからさまに喜んでいるようで気恥ずかしかったのだ。

 考えさせてください、と言った手前、嬉々とした様子で軍服に袖を通すのは聊か憚られた。


「一緒に着てくれる?」


 シャムが小さく零した言葉を、桜花は尖った耳をピクピクと動かして頷いた。


「もちろん!」


 互いの手を握ってテントを後にした少年少女を見て、シアンは微笑ましく思ったのと同時に、無性にブラックコーヒーが飲みたくなった。

 アメリア・ヴァルツ捜索隊として、少数精鋭で構成された部隊は更に人数を絞り七人の騎士がシアンと桔梗の元に集められた。

 その中にはシャムと桜花も含まれており、彼らは真新しい赤い軍服を身に纏っている。


「良く似合っているわ」


 桔梗が嬉しそうに笑う横で、シアンは眉根に深い皺を刻んでいる。


「……色は指定しなかったんじゃないのか?」

「私じゃありませんよ。団長の指示です」

「……」


 恐らくシャムの脚力と桜花の正体を間近で見たシアンとしては第一小隊に入隊させたかったのだろう。

 じとり、と桔梗を睨む彼に、シャムと桜花は苦笑するしかなかった。


「まあ、決まってしまったものは仕方がない。これからは第二小隊の一員として励むように」

「はい! よろしくお願いしますっ!」


 シャムと桜花が礼儀正しく一礼したのを合図に、シアンはテントの中で一枚の地図を広げた。


「親父殿から聞いた話によると、このルートを選択した部下たちの記憶障害が一番軽かったらしい。ここからだと距離があるが、どうだ? やれそうか、桜花」


 桜花は地図のルートを確認すると、暫く逡巡した様子を見せたが、ふるふると弱弱しく首を横に振って「大丈夫です」と答えた。


「よし。では、すぐに出発する。各自、装備点検始め!」


 はい、と短く返事をすると、騎士は全員自らの装備の点検に入った。

 終わった者から順番に「準備、よし!」のかけ声が上がる。

 全員の準備が終わったのを見計らって、シアンがシャムと桜花に小型のポーチを渡した。


「これには保存食と応急キット、緊急時の信号弾が入っている。見習いになった祝いだ。受け取れ」

「ありがとうございます。シアンさん!」

「あほ。今日から俺はお前の上官だぞ。階級を付けろ、階級を」


 ふん、と鼻を鳴らしたシアンに桔梗は口元を抑えることで笑いを堪えると、少しだけ緩んでしまった空気を戻すように両手を二回叩いた。


「さ、出発しましょう」


 一行はテントを出ると、『迷いの森』を目指して、ラグーナの街を背に歩き出した。


「……来たわね」

『そのようだ』


 レモンバームの香りに満たされた懐かしの我が家で、アメリアはほうっと溜め息を吐いた。


「分かっていると思うけれど、邪魔はしないで頂戴ね。フュル」


『……ああ』


 しゅりゅりゅ、と得体のしれない音が、屋内に響く。

 アメリアはそれを気にした様子も見せずに、ゆっくりと座っていたソファから腰を上げた。

 ここはアメリアの祖母メリッサが好んで使っていた書斎だった。

 火災があった所為で、殆どが焼け落ちてしまっていたが、唯一助かった本棚に手を伸ばす。


「女神の怒りをここへ――《大地の揺らぎグランド・ダッシャー》」


 魔力を感知した場所に向けて、魔法を放つ。

 遠くの方からドォン、と鈍い振動が伝わってくる。


「あら、意外と遠かったのね。これなら、もう少しゆっくりしていても大丈夫かしら?」


 ふふ、と微笑んだアメリアであったが、その目には冷たい光が宿っていた。

 己の道を邪魔する者は容赦しない、と琥珀色に輝く両の眼が鈍く瞬いた。


 桔梗たちがラグーナを出発して一時間。桜花の結界も安定し、順調に進んでいると思っていた矢先にそれは訪れた。


「皆さん、止まってください!! 私の傍を離れないで!!」


 桜花が突然叫んだ。

 その僅か数秒後に、ぐあ、と地面が大きな口を開けて左右に割れた。

 激しい揺れが続き、皆無言で互いの身体を掴んだ。

 漸く揺れが治まる頃には、それぞれの額に大粒の汗が浮かんでいた。

 桜花が結界を張っていた場所だけを残して、ぽっかりと穴を開けた地面――宛らドーナッツのような状態である――を、シアンとレオンの重力魔法で脱することに成功した一行は、硬い地面の上に辿り着くと思わずほっと胸を撫で下ろした。


「一体、何だったんだ?」


 穴の開いた地面を覗き込みながらシアンがそう零すと、何かを考え込むように顎へ手を添えていたレオンが固い表情で言った。


「……アメリアさんの仕業だ。彼女が今の魔法を使っているところを見たことがある」


 前に使った時はこれよりも遥かに規模が小さかったが、それでも威力は充分だった。

 これが魔女の本気か、と皆は一様にぶるり、と肩を震わせる。


「第二波が来るかもしれん。各自、辺りに気を配れ」

「はい!」


 それから、どれくらい歩いただろうか。

 最初に気が付いたのは、やはりというか何というか人より五官が鋭敏な桜花であった。

 気が付くと、通り過ぎたはずの景色に戻っている。

 桜花はすぐ隣を歩いていた桔梗の腕を引くと、それを指摘した。

 桔梗は黙って頷き、ゆっくりと瞼を閉じた。

 空気中に漂う微量な魔力を感じ取ると、殿を務めるシアンに向かって声を掛ける。


「大佐」

「……ああ」


 シアンは桔梗が言うまでもなく、異変に気が付いていたらしい。

 レオンも二人のやり取りを見て周りの景色を見回すと、疲れたようにはあと短く溜め息を零した。


「桜花の結界を張っていて、これか。少々厄介だな」

「どうする? このままだと、一生このループから抜け出せそうにないよ?」

「分かってはいるが、このレベルの幻術は使うのにも、解けるのにも時間が掛かるぞ。下手を打てば、最悪死ぬことも考えられる」


 兄弟二人が不穏な会話を始めたことによって騎士たちの顔がぴしり、と固まった。

 良くも悪くもこういったときに息が合わなくても良いのに、と桔梗が深い溜め息を吐き出す。


「私に考えがあります。……桜花、少しだけ堪えてくれる? すぐに済むわ」

「はい」


 既に魔力の限界が近いのだろう。

 普段よりも白くなった桜花の表情が痛々しい。


「銃を持っている者は前へ」

「はっ」

「幻術であるのならば、一点への魔力攻撃に弱いはず。総員、撃て!!」


 桔梗の前に三人の騎士が銃を構えて立った。

 凛としたアルトが命令を告げると同時に、一斉射撃が開始される。

 仮の的として選ばれた木が倒れたかと思うと、その空間だけ急にぐにゃりと歪んだ。


「走れ!!」


 シアンの声に、全員が駆け出していた。

 暗く歪んだ穴の中に入ることを躊躇する者などこの場には居ない。

 全員が穴の中に飛び込むのを待っていたかのように消失した穴を尻目に、桔梗は辺りを見回した。


「ここは……」


 巨大な大木に寄りかかるようにして、一軒の家が建っていた。

 表札も、目印も何もない。

 ただ、その場に居た全員が確信した。


 ――ここがメリッサ・ヴァルツの家であると。


「あら、随分と早かったじゃない」


 流石、聖騎士様。

 厭味ったらしく細められた琥珀の眼には冷たい光が宿っていた。


「アメリアさん!」


 レオンが叫ぶ。

 背中に下げていた大剣を彼女に向けて構えるが、アメリアはレオンのことを気にした様子も見せずに笑った。


「ふふっ。こんなところまで追ってくるなんて、騎士様は余程お暇なのね」


 歪んだ笑顔を浮かべるアメリアに、レオンの顔が陰りを帯びる。

 そんな二人のやり取りを横目に、シアンは桔梗たちへとハンドサインを出して、アメリアを取り囲むように陣を形成した。


「投降してください。貴女を傷つけたくないんです!」

「……前から言おうと思っていたのだけれどね。貴方に騎士は向いていないと思うわ、ウェルテクス。優しさは向ける相手を間違えれば、凶器として自分に襲い掛かるのよ。そう、こんな風にね!」


 アメリアがレオンに向けて杖を振る。

 すると、大量の蛇がレオンの頭上に降り注いだ。

 驚きのあまり動きを止めたレオンを見て、アメリアの斜め後ろを取った桔梗とシアンが飛び出すのは同時であった。

 蛇の毒牙から弟を庇うように、シアンが重力魔法陣を展開する。


――ゴンッ。


 桔梗の刃がアメリアへと襲い掛かった。

 だが、それが彼女を捉えることはなく、古木で作られた杖へと僅かに食い込んだだけだ。

 アメリアはうすら寒い笑みを浮かべて、桔梗を見つめていた。


「すっかり元気になったみたいで、嬉しいわ。でも、邪魔をすると言うのならば、容赦はしなくってよ!」

「それはこちらのセリフです!!」


 翡翠と琥珀の光が、激しくぶつかり合う。

 先に動いたのは、桔梗だった。

 杖を抑え込んだまま、アメリアの脇腹を狙って、蹴りを放つ。

 魔導士は騎士と違い、近接戦闘が苦手だ。

 術を詠唱するため、敵と遭遇した場合はやや距離を保ちつつ戦闘を行う。

 先程、レオンと対峙したアメリアもそうであった。

 だが、アメリアは桔梗の蹴りに驚いた様子を見せなかった。

 にやり、と口角を上げると楽しそうな声で言葉を紡ぐ。


「爆ぜろ!」


 その声は魔力を帯びていた。

 無詠唱で魔法を発動させる魔導士が居るなんて聞いたこともない。

 認識すると同時に、桔梗を爆撃が襲う。

 咄嗟に刀で防御を取ることに成功すると、桔梗は鋭い目でアメリアを睨んだ。


「無詠唱でその威力……。やはり、ヴァルツの生き残りと言うのは本当だったんですね」

「あら、もうそんなことまで調べ上げたのね。まあ、ここに居る時点で私の素性は大方調べつくした、と言ったところなのでしょうけれど」


 アメリアの目には冷たい光が宿ったままであった。

 桔梗はぐっと唇を噛み締めた。

 一体何が彼女にそんな目をさせているのか。

 柄を握る手に力が籠る。


「桔梗! 一旦下がれ!」


 シアンが蛇の猛攻からレオンを庇いながら叫んだ。


「どこに逃げても無駄よ。私の攻撃範囲内に居る以上、貴方たちを生かして返すわけにはいかない」


 アメリアが呆れたように短く首を横に振る。

 桔梗は苛立ちを隠そうともせず、再び彼女に襲い掛かった。

 刃が杖を傷付ける音が、深い森の奥で木霊する。

 何度目かの連撃で、杖にひびが入った。

 それを見た桔梗の手に力が籠る。


「……轟くは、雷の|雀蜂・連舞《すずめばち・れんぶ》!!」


 太鼓を打ち鳴らすかのように、桔梗の双刀がアメリアの杖を叩いた。

 ドォオオン、と杖を重い衝撃が襲う。

 次いで、雷を纏った刃がアメリアを直撃した。


「ぐあああ!!!」


 杖を放って逃げようとした彼女を、雷が容赦なく貫く。

 ぴくぴく、と痙攣してその場に倒れ込んだアメリアを、駆け付けたレオンが受け止める。

 口から涎を垂らして白目を剥く彼女を見て、レオンはどこかほっとした様子であった。


「近くに仲間が居るかもしれん。辺りを調べてから戻ろう」


 シアンの言葉に皆は静かに頷き、同意した。

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