3話

 シアンと桔梗に帰還命令が下ったのはそれから僅か数時間後の出来事であった。

 しかも、レオンとカグラ支部の騎士数名にもその命令が下っており、一同は慌てて支度を整えた。


「相変わらず急すぎてついていけない」


 漸く必要な物を揃えて馬車を出発させた頃には全員が疲れ切った表情を浮かべていた。


 レオンがぼそりと零した言葉に、珍しくシアンも首を縦に振っている。


「思い立ったら即行動! ってのが団長だからなぁ。アレ知ってるか? 『地獄の七日間』」

「ひっ!! 止めてくださいよ! その話するの! 漸く記憶が薄れ始めていたのに!」


 桔梗の顔が更に青くなるのを見て、レオンが弱々しく頭を振った。


「いいよ。疲れているのに、余計に疲れそうな話を聞きたくない……」

「まあ、聞けって。アレはな、魔物討伐依頼を受けて双子山に行った時のことだ」

「だから、しないでくださいって言ってるでしょうが!!」


 ビリッと車内に電流が走る。

 桔梗の雷を真面に食らったシアンが口から煙を出して、座席に沈んだ。

 タタン、タタン、と馬車の揺れる音が、心地良く車内を満たしていく。

 馬車は全部で五台。すぐ後ろの馬車にはシャムと第一・第二小隊の副隊長たちが乗っている。

 ぼうっとそちらの方へ視線を送りながら、桔梗は口元に笑みを浮かべた。


「何だか、こうしていると子供の頃を思い出すね」


 滅多に昔のことを口にしない彼女に、レオンは目を見開いた。

 だが、次いで肩を竦めると「そうだねぇ」と相槌を返す。


「兄さんが君の雷に沈められているのを見ると『ああ、子供の頃から変わっていないなぁ』っていつも思うよ」

「ふふっ」


 日中だと言うのに頬を撫でる風は冷たい。

 懐かしい故郷の風を感じながら、桔梗はそっと目を閉じた。

 クラルテに到着した桔梗たちを出迎えたのは、どこか肌艶の良いホロと目の下に薄っすらと隈を造った第三小隊の面々であった。


「おっかえり~! いや~! 待ちくたびれたよ! さ、レオン君。君が見つけた破片の分析結果を見に行こうじゃないか!」


 初対面であると言うのに、そんなことを露ほど感じさせない自然な動きでレオンの肩を抱いて歩き始めたホロに、シアンと桔梗はちら、と横目でアイコンタクトを取った。


「……徹夜明けですね」

「みたいだな」

「じゃ、私はシャムと桜花の健康状態を確認しないといけないので」


 そう言って踵を返そうとした桔梗をシアンの腕が強い力を以て引き留めた。


「そうはさせんぞ」

「いや、無理ですって。病み上がりであのテンションについていける気がしません」


 ふるふる、と全力で首を横に振る桔梗に、シアンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、渋々桔梗の肩から手を離した。


「あとで、納豆パフェ奢れよ」

「それで済むなら、喜んで」


 ホロの部屋に行かなくていいと分かった途端、にんまりと笑みを浮かべた桔梗を恨めしそうに睨むと、シアンはホロに引きずられていったレオンの後を追って第三小隊が基地として使っている西棟へと重い一歩を踏み出した。


「皆さま、どうかされたんですか?」


 ホロと第三小隊の出迎えを受けた第一小隊が見る間に青ざめた様を見ていたのだろう。

 桜花とシャムが緩慢な動作で馬車から下りてくるのを見て、桔梗は眉根を寄せた。


「ああ……。えっと、徹夜明けのホロさんがね、ちょっと面倒くさいっていうか。説明が長いっていうか」

「常よりも二割り増しくらいで鬱陶しい、と言うことですね?」


 綺麗な顔をして、毒を吐き出す桜花に桔梗はカラカラと笑い声を上げた。


「そうねぇ。常よりも二割り増し、いや三割り増しくらいで面倒くさいかしら」

「まあ、それでは近付きたくないのも分かりますわ」


 ふふ、と目を細めた桜花の後ろから、シャムが青白い顔を覗かせる。


「す、すみません。ちょっと酔ってしまって」


 普段は徒歩移動、木と木の間を飛ぶように移動する特殊な民族であるためか、馬車移動は苦手らしい。

 既に一度カグラに向かうために乗っていたが、その時も顔色は酷いものだった。


「そうだわ。団長が二人に渡したい物があると言っていたの」


 ついて来て、と桔梗が団長室に二人を案内する。

 軽くノックをすれば、中からすぐに耳に心地良いテノールが返ってきた。


「ああ、桔梗か。例の物なら、さっき第三小隊の奴らが置いて行ったぞ」

「流石、第三小隊の皆さん! 私が申請したのは一昨日なのに、仕事が早いですね!」


 きゃっきゃとはしゃぎながら、執務机の上に置かれた袋を受け取ると、桔梗は中身を見て、口元を綻ばせた。


「色は指定しなかったはずですけど?」

「ふっ。最初から他に譲る気などないくせに、よく言うよ」


 クラウドはそう言って笑うと、シャムと桜花の前に一枚の書類を差し出した。


「桔梗とシアン、それからレオンの三人から君たちがカグラの住民を避難するのを手伝ってくれたと聞いた。礼を言う」

「そ、そんな、お礼だなんて……」


 シャムが両手を出して緩く拒否の意を伝えるが、クラウドは笑ったまま更に言葉を紡いだ。


「礼と言っても、昨今の我が団は備蓄が少なくてね。報酬と呼べるほどの物でもないんだが、君たちさえ良ければ、是非受け取ってほしい」


 はい、と桔梗から差し出された袋の中身を見た二人は絶句した。

 そこには、真新しい赤色の軍服が二着入っていたのだ。


「えっと、これは?」


 驚きに表情を染めるシャムに、桔梗とクラウドが顔を見合わせて笑った。


「私とシアン大佐から団長にお願いしたの。シャムと桜花は騎士団に入れるべきだって。東の国出身の人以外で龍と契約した事例は過去にはない。これから何が起こっても不思議じゃない。少しでもそのリスクを減らすのにどうしたらいいかな、って考えてそれならいっそのこと近くに居てもらえば良いんじゃないかなって」

「でも、そんな……。騎士団に入団するためにはテストを受けなきゃいけないって、桔梗さん言っていたじゃありませんか」

「それはあくまで形式ばった、貴族や魔導学校に在学している者に対して行うことだ。君のように騎士が直接新しい人材をスカウトすることも珍しくはない」


 自分だけが特別扱いされるのは、と言いたかったのであろうシャムをクラウドがやんわりと言い含める。


「それに今すぐに入団するわけではない。魔導学校の生徒と同じく仮入団――騎士見習いとして少しの間協力してほしいのだ。知っての通り、カグラの街で起こった爆破事件と類似した事件が相次いで各国で発生している。君と桜花君のように『人を助ける』ことが自然と出来る人材を我々は欲しているのだよ」


 淡々と、だが熱意の籠った言葉でそう告げられて、シャムは軍服を握る手に力を込めた。

 それを見ていた桜花が、桔梗とシャム両名の間で視線を行ったり来たりさせている。


「今すぐに、答えを決めなくても良いの。貴方たちがそれを着たいと思ったときに声を掛けて頂戴。それまでは、我々第二小隊の護衛対象であるということを忘れないでね」


 花が開くような、朗らかな笑みを浮かべて、桔梗は団長室を出ていく。

 華奢な少女の後姿は、逞しかった。

 扉の向こうに消えていった桔梗の姿を目に焼き付けて、シャムは桜花を振り返る。


「桜花はどうしたい?」

「私は、私は貴方が望むまま、望んだものに従うだけよ」


 艶やかな桜色がふわりと笑む。

 ぎゅう、と胸の辺りが握りしめられたような、そんな錯覚を覚えて、シャムはまた指先に力を込めるのであった。


 シアンとレオンがホロに解放されたのは翌日の昼を回った頃だった。

 ホロはと言えば、徹夜二日目であるということを微塵も感じさせない元気の良さで、周りの人間が疲れた表情をしているのを見てしまうと、恐怖に似た何かが背筋を撫でていく。


「お、お疲れ様です」


 そっと、コーヒーを差し出した桔梗に、シアンは無言のままそれを受け取る。

 レオンの方は受け取る元気もないのか「あー」「うー」と言葉にならない音を零して、そのままソファに臥せってしまう。


「いやあ、実に有意義な時間だったよ。まさかあのメリッサ・ヴァルツの孫が生きていて、結界魔導石を壊した犯人だったとは思いもしなかったなぁ。世の中何が起こるか分からないとはこのことだね!」

「『生きていて』? それはどういう意味ですか、ホロさん」

「ああ、君は知らなかったかな。メリッサ・ヴァルツはね、あの悲惨な事件『魔女狩り』の被害者なんだよ」 


 ホロが発した事件の名前に、桔梗は顔を顰めた。


 ――魔女狩り。


 数年前、高名な女性魔導士の命を落とす事件が相次いで発生した。 それこそ、今回の爆破事件の比ではない。

 あの時は各国が臨戦態勢に発展するほど気が立っていて、聖騎士団は一刻も早く事件を糾明しなければと躍起になっていた。

 被害に遭った魔女は三ヵ国合わせて百余名。

 その中に、偉大なる女性魔導士メリッサ・ヴァルツの名前も合ったのだ。

 その殺され方は極めて残酷であった。メリッサ本人だけではなく、彼女の三人の娘。それから孫に至るまで心臓を抉られ、家に火を放たれたのだと言うのだ。


「……酷い」

「未だに犯人は捕まっていない。僕もレオン君からアメリアの話を聞いて驚いたよ。メリッサの孫は赤子に至るまで無残に殺されたと聞いていたからね」

「それで、他に何か分かったんですか?」

「分かったと言うか何と言うか……。良いニュースと悪いニュース、どっちを先に聞きたい?」


 ホロが肩を竦めて曖昧に笑う。

 それを見て、シアンが眉間の皺を抑えながら彼を睨んだ。


「どっちでも良い。と言うか、お前がそんな言い方をするときは決まって、二つの事柄に関連があるときだろう? なら、とっとと手短に話せ」


 イライラとした様子を隠そうともせずに告げたシアンにホロはにやり、と人の悪い笑みを浮かべた。


「なぁに、シアンってば。ヤキモチぃ?」

「……俺ァ、今誰かさんの所為で気が立っているんだ。くだらんことを言っている暇があるなら、早く話を進めろ」

「きゃーこわーい」


 桔梗ちゃん助けてぇ、と棒読みで叫びながら、桔梗の背に隠れたホロに、シアンは今にも飛び掛かりたくなるのを寸でのところで堪えた。

 これ以上、疲れることをしたくはなかったからだ。

 ふう、と深く息を吐き出して、心を落ち着かせると、半分ほどになったコーヒーを胃に流し込む作業に没頭した。


「まず一つ目は、これね。君たちを襲った男たちが使っていた武器の破片と、アメリア・ヴァルツが結界魔導石を破壊するのに使った破片。これらは魔導回路分析の結果、同じものだと判明した」

「やっぱり」

「それから、二つ目。前に説明したとは思うんだけれど、この破片は傷をつけた対象とリンクして、その魔力を奪うことが出来るんだ。つまり、相手が人であった場合はその人の魔力を奪うってことだね。だが、今回は違った。今回、この破片が見つかったのは結界魔導石の核部分だ。つまり、アメリア・ヴァルツは結界魔導石の膨大な魔力を奪ったということになる」


 結界魔導石の魔力はそれ一つで街を覆うことが出来るほど強力なものだ。

 それを何件も繰り返しているとなると、下手をすれば国を滅ぼすことが出来るほどの魔力が集まることになる。


「アメリアさんは、一体何をしようとしているんだ……」


 レオンが拳を握りしめながら、唇を噛んだ。


「分からない。分からないけれど、早くあの人を見つけなれば大変なことになる気がするわ」

「そうと決まれば、やることは一つだな」


 シアンの言葉に桔梗とレオンはゆっくりと頷いた。


「被害が多かったのは西の国だとユタさんから連絡を受けました。特に、ラグーナの被害が大きいそうで、瓦礫撤去などが追い付いていないようです」

「よし。第一、第二小隊はこれよりラグーナに向かう。お前はどうする、レオン?」

「僕も……。僕も一緒に行くよ。あの人は根っからの悪人ではないような気がするんだ。それを確かめたい」



◇ ◇ ◇


 水の都ラグーナ。


 シアンとレオンの生まれ故郷にして、西の国の首都セドナから程近い場所にあるその都市は白いレンガを基調とした建造物と街に流れる水路が特徴で、住民の殆どがカヌーや小舟を用いて移動する、海と共に生きる街である。

 そんな美しいラグーナの風景を知っているシアンとレオンは、桜花の背(船を手配するよりも少数精鋭の班を彼女の背中に乗せて移動する方が早かったため)から飛び降りて、絶句した。


 辺り一面、瓦礫の山だったのである。


 幸い、実家があるのは高台の方であったので無事だったが、少年時代を過ごした故郷が見るも無残な光景になっているの目の当たりにすると、胸の辺りが少しだけ痛んだ。


「一班は俺とここに残って瓦礫を撤去する。二班は桔梗と一緒に生存者の捜索に当たってくれ」

「了解!」


 どこか寂しそうな顔をして瓦礫を退け始めたシアンの背中を一瞥すると、桔梗はシャムと桜花、それから第一、第二小隊の中から選ばれた精鋭班を引き連れて、まだ煙の上がっている建物の方へ急いだ。

 全ての作業が終わると、夕闇が辺りを優しく包み込み始めていた。

 本来であれば、白い建造物に黄昏色が反射して美しい光景が目に飛び込んでくる時間帯だったが、瓦礫が岩山のように積み上げられた今では、それも拝むことは出来そうにない。


「……今日はこの辺にしておくか」

「そうですね。ここで、このまま野営をさせてもらって、交代で巡回しましょうか?」


 桔梗の言葉にシアンが頷く。

 すると、そこへ先ほどまでシアンと一緒になって瓦礫の撤去をしていたレオンが神妙な面持ちで戻ってきた。

 その後ろには西の国直属の近衛兵たちが列を成している。


「父さんが、僕たちに話があるそうなんだけど」

「はあ? 今からか?」

「うん」


 シアンは暫く逡巡すると、やがて仕方がないと言った様子で、桔梗に後を託そうとした。

 だが、レオンがそれに待ったをかける。


「桔梗にも来てほしいそうなんだ。今度の事件について共有したいと、言っている」

「私も?」

「ごめんね。頼めるかな?」

「それは良いけれど、ここが……」 


 桔梗が心配そうに部下たちを振り返ると、青と赤の軍服に身を包んだ彼らはにっこりと微笑んだ。


「我々は大丈夫ですよ。後はテントを張って休むだけですから、気にせず行ってきてください」


 副隊長にそう後押しされてしまえば、ここに残ると言うわけにはいかなかった。

 お言葉に甘えて、後は任せよう。

 桔梗はシアンにちらり、と視線を送ると、彼は眉根を寄せて先に歩き始めていた近衛兵の後に続いた。

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