2話

 レオンは先に行くと言って、器用に建物の屋根へ上ると走って行ってしまった。

 小さくなっていく弟の背中を見送り、シアンが支部の建物を飛び出すと、そこにはシャムと桜花が居た。

 桜花の方は龍へと姿を変え、倒れた建物から人々を避難させており、シャムはそのサポートに回っている。


「大丈夫か!」

「はい! 桜花が煙の匂いに気付いてくれたおかげで怪我はありません!」

「そうか! 地盤が緩んで建物が崩れやすくなっているはずだ。その人たちと一緒にすぐに支部の地下シェルターに向かえ!」

「はい!」


 シャムの返事を背中に、シアンは爆発の起こった中心部を目指して走った。

 途中、部下の何人かとすれ違い、人命救助を優先し、支部へと戻るように伝える。

 煙の位置と匂いを頼りに辿り着いたその場所で、レオンとフードを目深に被った女性が睨みあっていた。


「ふふっ。そんな怖い顔をしないでちょうだいな、ウェルテクス」


 そう言って笑った声の主は、先日桔梗と桜花の呪術式を鮮やかな手裁きで解呪してみせた女性魔導士アメリアである。

 シアンやレオンにとっては仲間を助けてくれた恩人と言っても過言ではないその人に、レオンは自らの武器である大剣の切っ先を向けていた。


「どういう状況なんだ、それは」

「さっきの爆発は彼女が引き起こしたものなんだ。街の結界魔導石に細工をされた。今回の結界魔導石の故障も元はと言えば、彼女が――アメリアさんが仕組んだことらしい」

「何!?」


 シアンもレオンの隣に立つと銃剣をアメリアに向けた。

 アメリアは二人の騎士を前に怯んだ様子もなく、不敵な笑みを浮かべている。


「私がこの街に来たのとほぼ同時期に結界魔導石が故障した。犯人が誰かなんて、よく考えれば分かることでしょう?」


 ふふふ、とアメリアの口から笑い声が零れる。

 レオンは悔しそうに唇を噛み締めた。


「くそっ! じゃあ、あの時の魔獣も貴女が」

「ええ。本当、面白いくらい計画通りに動いてくれて助かったわ。あとは、その剣を収めて道を開けてくれると嬉しいのだけれど」


 駄目?


 こてん、と首を傾げながら、アメリアが目を細める。

 それを見たレオンが柄を握る手に力を込めた。指先が白くなるまできつく握られたそれに、シアンが鋭い眼差しをアメリアに向ける。


「何が目的だ」

「そう言われて簡単に答えるわけがないでしょう?」


 アメリアが右手を空に上げる。

 すると、彼女の上空に巨大な火の玉が出現した。


「――《荒れ狂う流星メテオ・ストーム》」


 火の玉はシアンとレオン、二人に向かってくる。

 轟々と唸りをあげるそれは、時折火花を散らして、辺りを照らした。


「兄さん」

「おう」


 二人は視線を交わすと、火の玉に向かって走った。

 避けることもせず、ただ一直線に火の玉へと突っ込む二人にアメリアは片眉を上げた。

 火の玉の大きさから考えて、自分が立っている範囲まで爆発は及ぶ。そう考えて、空中へ逃れようと足元に魔力を集中させる。

 だが、その集中を乱すように、白刃が彼女を襲った。

 レオンが、眼鏡を直しながらアメリアに笑いかける。


「僕たちが剣を収めるときはね、犯罪者を捕まえたときだけなんですよ」

「どうやって、あの巨大な火の玉を……」


 アメリアの表情が一瞬だけ曇る。

 にやり、と不敵に笑ったレオンが火の玉へと視線を移す。

 そこには銃剣を構えたシアンが居た。

 火の玉の周りに紫色の、重力を示す魔術印が次々に浮かび上がる。


「物体なら、どんなものでも重力がある。それならあの火の玉も操れるんじゃないかな、と思いまして」


 シアンの剣が火の玉を斬り裂く。


――ドゴォン。


 彼の背後で綺麗に割れた火の玉が爆発する音が激しく響いた。

 アメリアは暫く呆然とした様子でそれを見ていたが、やがて可笑しそうに声を立てて笑うと、ふわりと今度こそ宙に浮いてみせた。


「……ふふ、油断したわ。仲が悪いと聞いていたから、戦闘でもそうなのだとばかり思っていたのに」


 足の裏に風の魔力を集中させて浮いているのか、シアンやレオンの扱う重力魔法とは違い、ぐんぐん上昇し始めるその華奢な身体にレオンが手を伸ばすも、あと少しの所で逃げられてしまう。


「待て!」

「だから、嫌だと言っているでしょう? しつこい男は嫌われるわよ」


 アメリアさん、とレオンが自分を呼ぶ怒声に、アメリアは笑った。


「それと、さっき私が使った魔法。アレは一つだけじゃない。流星って言ったでしょう? 空を見上げてごらんなさいな。綺麗な星が浮かんでいるわよ」


 そう言うと、アメリアはブローチを叩いて、白い蛇を呼び出した。

 その背に乗って優雅に手を振ると、空を滑るようにどこかへと飛んで行ってしまう。


「くそっ! あんな数が街中に落ちてきたら」

「結界魔法を使える魔導士と騎士を出来るだけ揃えろ! 俺は可能なだけ遠くへ飛ばしてくる!」

「無茶だ!! 兄さん!!」


 レオンの制止も聞かずに、シアンは重力魔法を使って空に浮かんだ。

 爛々と輝く無数の火の玉に、口角が引き攣る。


『主様』


 不意に剣から声が発せられた。

 淡い光を纏ったニドルナが剣の中から姿を見せる。


『我にお任せください』

「ああ。頼む」


 シアンが魔力を剣に集中させると、ニドルナの纏う光が強さを増した。

 ニドルナはふわり、ふわり、と火の玉の中心部まで舞うように移動していくと、両手を胸の前で合わせた。


『月のゆりかご』


 硝子で作られた鈴を転がすような声で、ニドルナが言葉を紡ぐ。

 すると、一つ、また一つ、と火の玉が激しく振動し、パチンと音を立てて弾けた。

 やがて空に浮かぶ星々は全て弾けて消えてしまった。

 それを満足そうに眺めると、ニドルナはシアンに一礼してから剣の中へと戻っていった。


「無事か!」


 シアンが地面へ着地する。


「僕は平気だよ。でも、ここはもう駄目みたいだ。シェルターから応援部隊を要請してもらったから、直に来るはずだよ」


「そうか。なら、本格的に崩れてしまう前に街の外へ移動しよう」

「うん」


 珍しく素直に自分の言葉に従うレオンを不思議そうに見つめると、彼はその視線に気が付いたのか、若干悔しそうな顔をして、それから蚊の鳴くような声で言った。


「……兄さんが居て、助かったよ。ありがとう」


 髪の隙間から真っ赤な耳が恥ずかしそうに姿を見え隠れさせる。

 脱兎の如くこの場から逃げ出したレオンを、シアンはゲラゲラと品のない声で大笑いしながら追いかけるのであった。



◇ ◇ ◇


 ユタがカグラに到着する頃に住民の避難はすっかり終わり、近くの森で野営地を設営しようとしていたところであった。


「本部から応援に来ました、第四小隊隊長ユタ・ネイヴェスです」

「ご苦労様です。皆さま、あちらでお待ちになっております」


 見張りに立っていた騎士に案内された場所で、眼鏡を掛けた青年、レオンがユタを出迎えた。


「ご足労、感謝します。シアンの弟で、カグラ支部の支部隊長をしています。レオン・ウェルテクスです」

「ユタ・ネイヴェスです。怪我人が多いとお聞きしていたのですが……」

「怪我の軽い者はこちらの方で治癒したのですが、爆発で骨折された方が多くて、」

「分かりました。案内してください」


 レオンの後に続いて仮設テントの中に入ると、そこには桔梗と桜花が居た。

 せっせと忙しなく動く桔梗と桜花の二人に、ユタが目を剥く。


「病み上がりで何をしているの!!」

「げ、その声は……」

「『げ』じゃありません!! 桔梗! 今朝まで寝たきりだった人間が無茶をして!!」

「無茶はしていません! 自分に出来ることを、と」

「他人の身体を治癒する前に、自分の身体を完治させることを優先なさい」


 ユタが桔梗の腕を強い力で掴んだ。

 痛いくらいの強さで握られた腕と、眉根を寄せてこちらを睨むユタを交互に見やると、桔梗は降参だ、と言わんばかりに患者の汗を拭っていたタオルを離した。


「貴女もよ、桜花ちゃん」

「は、はい」


 静かだが怒っていると分かる声で諭されて、桜花は桔梗を支えるようにしてテントを出ていった。

 二人の少女を見送ったユタの横顔は我が子を心配する母のそれに似ていて、レオンが小さく笑みを零す。


「何か?」

「いえ、何でもありません。桔梗でも逆らえない人が居るのかと思いまして」

「あら、あの子は割と誰にでも反抗しますよ?」

「ははっ! 違いない!」


 レオンとユタの笑い声がテントから聞こえてくるのに、桔梗はスッと目を細めた。

 黄昏に染まる空を、薄紫の衣を纏った雲が泳いでいく。

 幻想的なその光景をぼんやりと眺める桔梗に、桜花はただ静かに寄り添って歩いた。


 翌日、一同が目を覚ますと、カグラの街からは未だに煙が上がっていた。

 特に第一階層の被害が大きく、炎が燻っている個所がいくつも発見された。

 煙や炎が燻っている建物を一軒ずつ、確実に消火していく。

 第二階層に辿り着く頃には、太陽が真上に昇っていた。


「そろそろ休憩しましょうか?」

「ああ。そうだな」


 すっかりいつもの調子でカグラの街を歩き回る桔梗の後姿を、シアンはどこか遠い目で見送る。

 昨日の朝まで唸り声を上げて苦しんでいたのが嘘のようだ。


「大丈夫なのか、アイツは……」


 はあ、と溜め息交じりに呟いたシアンの独り言に反応したのは、意外なことに普段は全く彼の言葉に反応を見せないレオンであった。


「大丈夫なんじゃない? さっき、僕も同じことを聞いたら『身体を動かしている方が、気が紛れて丁度良いから』って言われたし」

「……」

「何だよ、その顔」

「いや、別に。何でもない」


 弟とこうして穏やかに会話を交わしたのが久しぶりすぎて、一瞬どういう顔をすればいいのか分からなかった。

 驚いた感情がそのまま顔に出てしまったらしい。

 レオンは暫く怪訝そうにシアンを眺めていたが、やがて部下に声を掛けられると走ってそちらに行ってしまう。

 自分とは体格が違うが、子供の頃と比べれば大きくなった背中に思わず苦笑が零れた。

 昔は雛鳥か子犬のように、ずっと自分の後を付いて回っていた頼りのない弟であったが、それが今では東の国でも指折りで危険な地域に数えられているカグラの支部を任されている。兄として感慨深い気持ちに耽っていると、件の弟が何やら大量の書類を抱えてシアンの元に戻ってきた。


「……何だ、それ」

「被害にあった建物と怪我人の詳細、逃げたアメリアさんの素性調査とその他諸々の書類だよ。仮設テントまで持っていくの手伝ってくれないかな? 途中で落としそうでさ」

「ああ。言っとくが、読むのも書くのも手伝わんぞ」


 シアンが苦い顔をしてそう言うと、レオンは一瞬だけきょとんとした顔をしたが、シアンが書類整理を苦手としていることを思い出したのだろう、次いで喉を逸らして笑い始める。


「最初からそんなこと期待してないよ」


 ふふ、と口元を綻ばせながら、先を行く弟の背中を睨みつけるようにシアンも彼の後に続いた。


 ――アメリア・ヴァルツ。


 数時間に及ぶ書類整理ののち、アメリアについて分かったのは彼女の出身が、あの偉大なる魔導士メリッサ・ヴァルツの一族であるということだった。

 メリッサと言えば、世界で初めて結界魔導石を造った人物である。

 それまで徹夜をして魔物から街を守っていた騎士の仕事が、結界魔導石の登場で格段に楽になった。魔導学校で最初に習う授業が「魔導士メリッサについて」というくらいなのだ。この世界で騎士と魔導士を目指す者であれば、必ず一度は彼女の名前を聞くことになる。

 アメリアと初めて出会ったとき、誰かに似ていると思った既視感は教科書に登場するメリッサの肖像画だ、とレオンは今更ながらに思い出した。

 無造作に書類を放り出して、レオンは頭を抱えた。

 結界魔導石の生みの親でもあるメリッサの血縁のアメリアならば、彼女は結界魔導石のことを騎士であるレオンたちよりも熟知している。

 どの魔術回路を壊せば、結界魔導石を確実に破壊出来るか。アメリアには赤子の手を捻るように簡単なことだったのだろう。

 この街に来て、彼女が最初に請け負った仕事は魔術回路が乱れた結界魔導石の修復作業だったはずだ。あの時から既に時限式の魔術が仕組まれていたとしたら。

 考えれば考えるほど、レオンは自分の顔から血の気が引いていくのが嫌でも分かった。

 項を嫌な汗が流れていく。


「……くそ」


 自分の迂闊さに、レオンは心底腹が立った。

 ずっと山で暮らしていたから人里は初めてなの、と言ったアメリアの言葉を信じて疑わなかった。魔導士はその性質上、自らの術を極めるために年単位で山籠もりすることは珍しくない。実際、故郷の街に居た頃、十年ぶりに山から下りてきた魔導士の男性を見たことがあった。

 自分が少しでも疑っていれば。

 そればかりが頭の中を埋め尽くさんばかりの勢いで渦巻いていた。


「レオン。ちょっといい?」


 凛とした声が仮設テントの中に届く。

 レオンはハッとした表情になって辺りを見回した。

 山のように積まれた書類とそれに埋もれるようにスヤスヤと寝息を立てる兄が視界に飛び込んでくる。


「あー……。どうぞ」


 踏まないようにね、と小さく付け足したレオンの言葉に、桔梗は怪訝そうな顔をしてテントの中に入ってくる。

 そして、数度瞬きを繰り返すと、床に転がるシアンと疲れたように目頭を押さえるレオンとを見比べて苦笑した。


「大佐ったらまた手伝わなかったのね?」

「期待するだけ無駄だよ。僕が最初の書類を読み終える頃にはご覧の通りさ」


 肩を竦めたレオンに、桔梗は再度苦笑を零すと自らのコートを脱いでシアンの上に被せた。


「そんなことしなくても、風邪なんて引かないと思うよ?」

「そうね。だけど、この時期の東の国は日が陰っただけでも冷え込むもの。西の国生まれの貴方たちには辛いでしょうから」


 スッと目を細めてそう言った桔梗に、今度はレオンが苦笑する番であった。


「何か分かった?」


 何事もなかったかのように、桔梗がレオンの手元にある書類の一つに目を通す。

 丁度彼女が手に取ったのは、ヴァルツ家の家系図が載っている書類で、ページを進めるごとに険しくなっていく桔梗にレオンも眉根を寄せる。


「……まさかヴァルツの人だったなんて。それで古代の呪印式にも詳しかったのね」

「恐らくね。ああ、それで思い出したんだけどさ。これに見覚えないかな?」


 レオンがそう言って差し出したのは、小瓶に入れられた黒い破片だった。

 それを見た桔梗は思わず左肩に手を伸ばした。

 塞がったはずの傷がズクリ、と疼くような感覚に唇を噛み締める。


「それはどこにあったの?」

「結界魔導石の破片と一緒に散乱していたそうだ。君が戦った男たちの持っていた武器と同じものかもしれない」

「そうね。そう言われて見れば、割れた面の模様がそっくりだわ。現物はホロさんが保管しているはずだから、あとでユタさんに持って帰ってもらいましょう」


 怪我人の治療を終えたユタと第四小隊は休息も束の間に、身支度を整えていた。

 中央の国、西の国、と相次いでカグラと同じような爆破事件が起こっていると本部から連絡があったのだ。

 第四小隊を更に細かく班分けし、次に向かう場所の確認を済ませると、ユタがテントから出てきた桔梗とレオンに近付いてくる。


「慌ただしくて、ごめんなさいね。本当はもう少しここに留まっていたかったのだけれど、そうもいかないみたいだわ」

「気にしないでください。ネイヴェス少将のお陰で皆に元気が戻りました」


 レオンが微笑みながらそう言えば、彼女は少しだけ頬を染めて柔らかく笑った。


「くれぐれも無理はしないように。何かあればすぐに連絡して。いいわね、桔梗?」


 じっと真っ直ぐに己を見つめる深緑の眼に、桔梗はこくりと頷いた。


「ええ。ユタさんも何かあったらすぐに連絡してくださいね」


 悪戯っぽく微笑んだ桔梗に、ユタは眦を和らげた。


「ありがとう。その気持ちだけで充分よ」


 ハッと馬に踵で合図すると、ユタは隊を引き連れてカグラの街を去った。

 あとに残された桔梗はただ静かに彼女の背中が消えるまで、じっと見送っていた。

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