10.暗転の章 彼の知る真実
「私が弟とこの地に来る前にあったことから話そう」
マジョラン家とは、この国の南、王都から最も離れ、最も広い土地を治める一族のこと。王からの信頼も厚く、領民からも尊敬され、他国との国境を守る砦。しかし、その地のことはそれだけしか分からなかった。誰もマジョラン家のこともその領地のことも詳しくは知らなかった。
そもそも、私たちがマジョラン家について調べ始めたきっかけは、ある女性を助けたことに始まる。彼女は奇妙な姿をしていた。背中から大きな灰色の翼がはえていた。そして身体中が傷だらけ。ひどく衰弱していた。
「マジョランが、……」
彼女はそう言いかけて気を失ってしまった。あとに続く言葉は私にも弟にも分からなかった。私たち兄弟は旅の途中、この国へ数ヶ月滞在していただけで王都のことならいざ知らず、地方ことなど詳しくは知らなかったのだ。
王都の人たちにもマジョランについてたずねてみたが、これといって情報は得られなかった。彼らにとってもマジョランは辺境の地だ、仕方ない。
そこで、私たちは王立図書館で調べてみることにした。
「兄さん、これってなんかさ……」
「あぁ、おかしいな」
マジョラン家のこともその領地のことも、何も分からなかった。辛うじて分かったのは、あそこは建国当時からこの国の土地であったこと。この国の広さには驚いたが、そんなことよりも、これだけの歴史がありながら記述されている文書が全くないということ、それが異常だと思った。
数日後、彼女が目を覚ました。
「手当てまでしてくれて、どうもありがとう。事情も分からないのに、察して病院へは連れて行かずにおいてくれたのでしょう?」
彼女はマジョラン家に、その地の住人に追われ、命を狙われていると言う。
「あの地は人をおかしくする。おかしくなった人がおかしな言葉を使ってそこの人たちをおかしくする。助けてほしいの。元のように戻すことは無理だとしても、呪いを解いてほしいの。でないと……! 大好きなみんなが、いつかマジョランのために死んでしまう……」
追われているのに、その地の住人は命を狙っているのに、彼女は彼らを愛していた。
「私は異端と呼ばれた。あの地では普通じゃない人は異端と蔑まれ、憎まれ、処刑される。異端狩りと言われているわ。住人はマジョラン家一族を盲目的に信じているから、むしろ、崇拝しているから、誰も疑問に思わない」
「でもさ、それだけで全ての人が従うわけないでしょ。異端が家族の誰かだった場合、恋人や親友だった場合、匿うはずだよ」
「そうね。でも、マジョランは言霊使いの一族なの。彼らの言霊は聞けば聞くほど強力に作用する。当然、領民は領主の話を聞く。聞かない者は異端の一人として排除される。あそこは都合の良い箱庭なの」
一通り話終えると彼女は疲れたようで、再び眠ってしまった。
その夜、妙な気配を感じて、彼女が眠る部屋を見に行った。部屋にはすでに弟がいた。
「いずれ来る日のため、お前たち双子に依頼したい。我は、今あの地では "始まりの異端" と呼ばれている者。我はこの娘を灰の天使と呼んでいた。心優しい子であったゆえ、己を異端と思ってほしくなかった」
部屋にあるベッドに腰掛け、ソレは灰の天使と呼ばれた彼女の頬を撫でた。月明かりに照らされて浮かび上がった顔はそこに眠る彼女と瓜二つ。
「この娘が言ったのだ。お前たちは信頼できると。愚か者がかけた言霊を解いてほしい。だが、すぐに解けるとは思っていない。あれの言霊は昔から強かった。時が来る。その時まで、皆を守ってもらいたい。どういう形でも良い、全ては命あってこそ」
「了解。俺は受けるよ」
理論とか知識とか、そんなものより直感を優先する弟。野生の勘ともいえるそれは外れたことがない。ならば私の答えは一つ。
「わかった。受けよう」
そう答えるとソレは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。時が来れば、我も行く。それまで皆を頼む。可哀想に、この娘は限界だ。今宵死を迎える。我を中に入れても心を壊すことは無かった娘、優しく強い我の初めての適応者。言ったのだ、我のために。今宵死んでも良いから、もう一度目を覚まさせてほしいと。あの時目を覚まさなければあと数日は生きられたのに」
だんだん透けていくソレは彼女の頬に口付け、頭を撫でると姿を消した。あとに残った彼女は、まだ暖かかったが死んでいた。彼女は結局名乗らなかった。けれど、始まりの異端と名乗ったアレが言うように、灰の天使で良いと思った。
マジョランの領地へ向かう途中の村でマジョランの評判を聞いてみた。どれも良い評価ばかりだった。マジョラン領に着いても、当たり前にマジョランの良いところしか聞くことはできなかった。
「魔術師さん弟いるんだ。初耳」
「あぁ、自慢の弟だ。私は、弟に許されないことをした」
マジョラン領に着いて、私はマジョランの下で働くことになった。本来、私たちの計画でも、マジョラン家当主に上手く取り入って情報を聞き出すことになっていた。しかしここで私たち兄弟は、今まで一緒に生きてきたというのに、決別することになる。
私は当時の当主の命令に従い、異端狩りに加担するようになった。それが異常だと分からなかった。むしろ、正しいこととしてしか認識できなかった。私たちに助けを求めてきた彼女らのことなど、覚えていなかった。マジョラン邸に赴き当主の話を聞いた段階で、私はマジョランの言霊に囚われてしまっていた。
賢い私の双子の弟は、灰の天使の話を思い出し、話半分に聞いていたらしい。それがなくとも、あいつなら、直感で信用すべきでないと分かったかもしれない。弟は何度か異端狩りの依頼を頼まれていたが、全て断っていた。私は、ご当主様直々に頼まれているのになぜ受けないのだ、私に命じて下さればあんな愚かな男よりも望みを叶えて差し上げられるのに、そう思っていた。依頼を受けない弟にも、弟に何度も依頼を持ちかける当主にも嫉妬していた。それも奴らの策だったのだろうか。愚か者は私だった。
しばらくして、当主から異端を収容する場所を作ってほしいと頼まれた。私は持っている知識を総動員して、あの「異端の森」を作った。あの中は時間の流れが外とは違う。異端は中にどんどん溜まっていき、いずれ殺し合うだろう、自然に死ぬことはできないのだから。そう思って作った。ただただ異端を苦しませるために。
次に当主が望んだのは、弟を消すこと。私は喜んで引き受けた。これでご当主様は私だけを頼って下さる、ご当主様を悩ませる奴をこの手で消すことができる。この時私は、実の弟を弟と認識してはいたが、それが大事な弟であると認識できていなかった。
私たちの両親は小さい頃に他界した。身寄りもなく、互いの存在を頼りに支え合って生きてきた、唯一無二の双子の弟だ。私の片割れ、それを邪魔者だと思っていた。
私は弟に呪いをかけた。内側からじわじわと蝕む呪いと、不老不死の呪い。抵抗しようとする弟を縛り上げ、当主の前に連れていき、抵抗できないのを良いことに魔術で無理矢理話を聞かせ、言霊による暗示で弟は異端もどきにされた。急に暴れだし、縛っていた縄を引きちぎり、私を殴り飛ばすと窓から外へ飛び出した。弟を追って外へ出ると、何人もの住人が血を流して倒れ、側で子供が泣き、家は崩れ、悲惨な状態だった。私は、弟がなけなしの理性を振り絞って子供を傷つけないようにしていたとは、全く気付かなかった。私は今すぐ「あの異端」を殺してご当主様に褒めてもらおう、それしか考えていなかった。追い付いた時には、弟の姿は変わり果てていた。肩のあたりで綺麗に整えていた髪は異様に伸び、爪は鋭く尖って血がこびりつき、目付きも鋭くなって、これが私と瓜二つだった弟とは思いたくなかった。恥だと思ってしまった。私は殺すために魔術を放った。弟は身を守り、かつ私を傷つけないように魔法を使った。それで互角に戦っていたのだ、あいつのほうが能力は上だった。だが、私は防戦一方の弟に、愚かにも自分のほうが優れていると思った。だから、情けをかけて一発で殺してやろうと、陣から取り出した魔剣を手に弟を刺した。だが急所を外し、弟は攻撃を仕掛けようとする。もうふらふらの状態で向かってくる。私は恐ろしくなって、魔剣を引き抜き、何度も切りつけた。弟を不死にしたのは私であったのに、それを忘れ、ひたすら切りつけた。
「貴様も異端か。これが我が弟とは思いたくもないな」
「……」
地に倒れた弟は、黙って私を見ていた。
目を見ていると、頭の中で何かが目を覚ましそうで、私は弟を「異端の森」にやった。あの目は、私に対する怒りと憎しみ、悲しみ、憐れみ、いろんな感情がこもっていた。言霊に囚われてからようやく、私は目を覚ました。
それも一時のことだったが、私は時折目を覚ますようになった。それは大抵、鏡や水面などに映る弟によく似た自分の姿を見た時だった。
「あんた馬鹿だろ」
「……自分でも分かっている」
「でも僕もさっき目を覚ましたばかりだから、人のこと言えないや」
「始まりの異端が言っていた時はもうすぐだ。大きな争いが起こる」
魔術師さんが言う。遠く、異端の森からいくつもの大声が聞こえて、見る間に森の外に溢れ出した。
「ドラゴンとか、嘘だろ……」
中にはあまりにも人間とかけ離れた姿の者もいたけど、小さい頃から見聞きした醜い異端とは違って見える。もっと幻想的な、まるで、おとぎ話の生き物のようだ。
「そっか、」
異端が醜く見えたのは、僕の心が醜くかったからだ。
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