8.暗転の章 少年の目覚め
僕がまだ赤ちゃんだった頃から、両親は僕に熱心にこの地の教えを説き続けてきたらしい。
「マジョラン家の皆様はどなたも素晴らしい方々ばかり。私達領民のことを一番に考えてくださる」
「今のご当主様は伝承のメルヴェ様によく似て素晴らしいお方」
「産まれてきてくれてありがとう。お前のおかげでマジョランの方々を間近で見られる」
「あの花屋の娘が異端だったのよ、汚らわしい。あの子と関わったことなんて無いでしょうね?」
物心ついた頃にはそんな会話が日常だった。
マジョラン家一族は素晴らしく、たとえどんな無茶でも、叶えて差し上げたくなる。彼らの言動全ては正しく、領民のためになること。たとえ、それが領民の死を示すとしても、巡り巡って自分たちのためになるのだから領民は喜んで命を投げ出す。そうあるべきだ。
最初は難しかったけど、大きくなるにつれそういうものなんだと周囲の人を見て理解できるようになった。
異端だって、マジョランの皆様が嫌がるから駆除する。家にネズミが湧いて駆除するのと同じ。異端は初代メルヴェ様を殺したのだから、ネズミなんかよりなお悪い。彼らを悩ませること、それだけで罪。存在が罪。罪は裁かれなければならない。だから異端狩りは神聖な儀式なのだ。
本当にそう思っていた。
ある日、両親が屋敷へ呼び出された。お目通りのため、朝早くから慌ただしくも興奮した様子で準備する姿が羨ましくて、家を出た二人のあとをこっそりとつけた。
「ここなら大丈夫だろ」
屋敷の門のそばの草かげに隠れて二人が出てくるのを待つ。もしかしたら一族の誰かを見られるかも、と思った。
陽が傾き、諦めようと帰りかけたとき、僕がいる方の屋敷の塀、そこに見つけにくく隠された扉が開いた。
「ここからは重要な任務ですよ」
「何なりとお申し付けください。マジョランの皆様の為でしたら」
再び草かげに隠れて様子を見る。出てきたのは両親と綺麗な男の人二人だった。どこかへ歩いて行くから僕もこっそりついて行った。
たどり着いたのは暗い森の前。近づくことを禁じられている森の前で、男の人たちが父さんと母さんそれぞれの耳元で何かをささやいている。
「え、なんで」
両親の姿がみるみる変化していく。髪は伸びて逆立ち、背中が泡立って服を突き破って棘が生え、優しい手は爪の鋭い化け物のものに。あれはどう見たって異端だ。今朝見た、着飾って嬉しそうにしていた父さんと母さんの姿はもうない。
「どうして」
「——異端だ!」
町の入口から人がのぞいていた。その声を聞いた瞬間、両親だったものは声を上げて逃げた人を追って町の方へと走り去っていった。
目の前で何が起こったのか分からない。いきなり両親が異端になって、訳が分からない。二人が居なくなった後、男の人たちは森の前で何かをしているようだった。町の方もにわかに騒がしくなって、このまま逃げてしまいたくなった。
「でも、確かめないと」
町は火の手が上がり、混乱状態だった。みんな何もないところを見て叫んだり、何かから逃げるように走り回ったり、怯えた様子で棒を振り回したり、様子がおかしい。濁った目で取り憑かれたような表情で、すごく不気味だ。
「何が起こってるんだよ……」
とにかく、もっと悪いことにならないうちに父さんと母さんを探さないと。
「父さん、母さん‼」
町を住民から隠れつつ駆け回り、ようやく両親もすでに正気を失っていた。
「メル、ヴェ様のため……!!」
「あの方のために……!!」
このことにマジョラン家が関わっているのは疑いようもない事実だった。信じられるわけない。僕の中にはもう、あれだけ尊敬していたマジョラン家に対して疑念しかなかった。
両親はまだ正気を保っている町の人々を襲っていた。農具を持って戦おうとする人もいる。どちらも自分が傷つくのを気にもしない。両親はぶつぶつと呟き時々叫び、マジョランのためにこんなことをしているようだ。町の人は突然現れた異端をマジョラン邸へ近づけまいとしているらしい。
「皆、森へ行くのだ!」
遠くでご当主の声がする。正気を保っていた人たちも様子のおかしな人たちと同じ、濁った目に変わり、声に従い、森へ向かっていく。僕は従おうと思えなかった。
「父さんっ! 母さんっ!」
二人に正気に戻ってほしくて何度も呼びかける。こちらを見る二人。僕の姿を見るなり、こちらに向かってきた。
「うわっ!」
逃げようとして足がもつれ、転んでしまった僕に二人が追い付く。優しかった二人の姿はもうない。ギョロっとして血走った目。口は裂け涎が垂れ、牙のようになった歯が見える。刃物のように鋭い爪が月光を反射しながら襲ってくるのが見えた。とっさに目を閉じて身構える。こんな人生の終わり方って、自分の親に殺されて死ぬって……。
「何をしているのかね? 逃げなさい、この領地の外へ」
一向に来ない痛みと突然の声に驚き、目を開けた。
「陽の魔術師様……」
最近亡くなったと言われていたのに、どうして。
「君の両親にはここで死んでもらう」
僕と両親の間に立ち、二人の腕を太い木の枝で受け止めながら言う。かなり高齢のはずなのにどうしてそんな力が。
「父さんと母さんを、殺すの? ……何か、何かっ、方法は無いのですか!」
「そんなものはない。分かるだろう」
その場に似合わない静かな声が答える。
「君の両親はもう戻らない。罪を重ねさせるより、終わらせてやってもいいか?」
僕は小さく頷くことしかできなかった。
原因はどうあれ、二人は僕よりマジョランを愛した。もう手遅れなのはさっきのことで分かっていた。それでも、二人がこうなったのはマジョランのせいで、もとの姿に戻ればきっと、愛してくれる、僕を見てくれる、そう思いたかった。
僕はその場から去った。後ろから絶叫が聞こえた。僕は真実と嘘を知ってしまった。
僕は豊かで美しい町に住んでいた。
僕は貧しく廃れた町に住んでいた。
みんながちゃんとした家に住んで
みんながぼろぼろの小屋に住んで
美味しい食事をとる。
汚い残飯をむさぼる。
僕らを一番に考えてくれる領主様
僕らを苦難に導こうとする領主様
憎き異端
愛する者
愛しのマジョラン一族
言葉を操る異端の一族
あぁ、何て僕らは幸せなんだ。
あぁ、どうしてこんなことに。
「逃げなかったのか」
「最初は逃げようと思ったさ。でも、目が覚めてしまったんだ」
丘の上から町を見下ろす。僕の住んでいる町、美しかった町はもう無い。いや、もともと無かったんだ。
「ねぇ、教えて。この領地の本当のことを」
「君はここから去ったほうが良い」
「やだよ。気づいてしまったんだ。僕らはずっと操られていた。マジョランの都合の良いように。あんたは彼らの犬のように働いていた。なら、真実を知ってるでしょ?」
この人はマジョランの言いなりだった。以前の僕なら、マジョラン家の部下として敬っただろう。今となっては、そんな気はさらさら無い。
「僕には知る権利がある」
彼は観念したように僕を見た。
「後悔するなよ」
「聞かない後悔より聞いた後悔のほうが良い」
「……わかった。話す」
彼は、この地に来る前に彼の弟と共に調べたこと、マジョランに仕えている間に知ったこと、嘘と真実の歴史を教えてくれた。途中で想像して気持ち悪くなったところもいくつかあって、この件が終わったらどこか別の土地へ旅して美味しいものを食べようと思った。
「父さんと母さんを止めてくれてありがとう」
「いや、礼を言われるようなことではない」
「まぁまぁ。あのさ、あんたって何歳なの? お爺さんなの?」
「せめておじさんと、いやいや、それもいかんな」
考え込んでしまった。何か葛藤しているようだ。
「何でも良いや。しばらくよろしく、魔術師のおっさん」
「せめて魔術師さんと呼びなさい。まさかとは思うが、私についてくるつもりではないだろうな?」
「僕だって関係者だ。そうでしょ? だからこの一件の見届け人と言うことで。僕の名前はニコだよ。よろしくね」
魔術師さんは諦めたように息をはいた。
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