4.開幕の章 曇天
リージンさんは最近忙しいようです。
「またおでかけですか……?」
「おはよう、アリス。そうだね。まだ早いから、君は寝ていなさい」
夜明け前に起きてどこかへと出かけていくのに気づいたのは最近のこと。以前からそうだったのかは分かりませんが、少なくとも近ごろは私が起こさずともよい状況になっていました。起きてリージンさんがいないと、少し、寂しい気がします。
これはもしかして、前に本で読んだ「密会」というやつなのでしょうか。もしやリージンさんに恋人が……?
どうしても気になった私は、こっそりリージンさんの後をつけてみることにしました。
リージンさんを追いかけるのはすごく骨が折れました。足が速い上に木の枝を飛び移って道なき道も進んでいくのですから当然です。
でも、諦めるのは嫌。私はリージンさんが好きです。小さい頃に拾われてから、優しくてお茶目で格好いいリージンさんのことがずっと好きでした。もしもリージンさんに恋人ができたなら、考えるだけで苦しいですが、私は彼の幸せのために、お荷物にならないように諦めなければなりません。だから確かめたいのです。
そんなこんなで追いかけること早五日。いつも同じようなところで見失ってしまい、疲ればかりがたまる一方で収穫はなし。多分気づかれてはいないようですが、私は全力で走らなければ追いかけることすらできません。地団駄も踏みたくなります。
「今日こそは……!」
気づかれないように、でも置いていかれないように追いかけ、今日はいつもより長くついていけてます。いったい、リージンさんはどこに行くのでしょうか。
「リージンさんに恋人ができたら、私は出ていくべきなのかな……」
そもそも私はリージンさんにとって、どういう存在なのでしょう。友達ではありません。親子というのが一番近いのかもしれませんが、どこか違う気もします。恋人、ではないですね。
何年もリージンさんを見てきて疑問に思うのは、私を拾ってくれた日から、リージンさんの見た目が少しも変化していないことです。この森には変わった人が多いので気にしないようにしていましたが、やっぱり少し異質です。魔法で年を取らないようにしているのでしょうか? それなら、リージンと私はとてつもなく年が離れているのかもしれません。こんな小娘に好きだと言われても、本気にしないでしょう。
「好きって言ったら困らせるかな」
ザァッと突風が吹いて、気づけばまたリージンさんを見失っていました。さらに悪いことに、見知らぬ場所に立っていました。
どうしましょう。リージンさんもマリオンもギルディさんもいません。この森は薄暗く、見通しも悪いので、リージンさんはいつも、
「知らない所には行かないで。必ず誰かと一緒にね」
と私に言っていました。ごめんなさい、約束破ってしまいました。
次第にかろうじて照らしてくれていた太陽も陰り、辺りは暗くになってしまいました。
「…………リス、……アリス、アリス、アリス!」
森の闇の中から不気味な声が聞こえます。それはだんだん近づいてきます。逃げないと。
「あ、足が……」
どうしようどうしよう、動かない……! ズルズルと何かが近づいてくる音が迫ってきます。怒っているような、憎しみがこもった声も大きくなって。
「ヤットミツケタ、アリス。オマエヲ殺シテヤル!」
何かが飛び出して、私に馬乗りになった。首を絞められ、頭を地面に打ち付けられる。なんとか殴り返しても効かないようで、動いたせいで余計に意識はもうろうとしてきた。真っ暗な中、二つの紅い目だけが爛々と妖しげに光っている。
やだ、やだ、死にたくない。まだ死にたくない。リージンさんに何も言わないまま、あの姿を見ないまま、リージンさんのいないところで死にたくない……!
願いもむなしく、体にはもう力が入らず、視界も霞み、私の首を絞めるソレが出す声もほとんど聞こえない。
私は、このまま死ぬんだ。約束を守らなかったから死んじゃうんだ。
身体の先から冷えてきて、重い瞼を閉じた。
気づくと、私は霧のかかった空間にいました。
ここは……どこでしょう?
「ここは天と地の境。我はお主を待っていた」
振り返ると、私と瓜二つ、でも私より年上のようにも見える女の人がいました。背中には灰色の翼が生えています。
「やけに見るな。気になるか?」
「あ、じろじろ見て失礼でしたよね。ごめんなさい。立派な翼だなぁって思って見てました」
「許す。それ程度で機嫌を損ねたりせん。天と地の境と聞いて、何も反応がなかったほうが面白くないのだ」
その人はふぅと息を吐くと、私の目を覗き込むように近づいてきました。
「まぁ良い。それで本題だが、その身体の中に我も入れてほしいのだ」
+++
森の中、アリスが倒れていた。
そんな知らせを仲間の一人が運んできた。首には絞められた痕。頭からの大量出血。意識はなく、心臓は止まっていた。
そいつに連れられて俺とリージンとマリオンが見たのは、アリスが血だまりに沈んでいる光景だった。
咄嗟にリージンの方を見ると、泣くことも叫ぶこともなく呆然と、無表情にアリスを見ていた。
「アリス」
いつもリージンが呼ぶと笑顔で嬉しそうに返事をするのに、ただただそこに横たわったままで。リージンはふっと微笑み、膝をつくと、血で汚れるのも気にせず、アリスを抱き上げた。
「こんなところで寝ていたら凍えてしまうよ、アリス。さ、家に帰ろうか」
リージンは一人で帰って行く。俺たちは何も言えなかったが、リージンが心配で家までついて行った。
リージンはアリスをベッドに横たえ、身体に付いた血を拭き取っていく。そうしてきれいになると、清潔な服を着せた。血は止まっていた。
「ごめんね、アリス。君を巻き込みたくなかったから、追いかけてくる君に気づかないふりをして、逃げていたんだ。ごめんね。結局巻き込んでしまったね」
ベッドの側でアリスの髪を撫でるリージン。俺たちにできることはない。しばらくアリスの傍らで話し続けるリージンを見守っていたが、そっとしておいてやろうとマリオンと共にその場を後にした。
マリオンと別れ、リージンを見つけたのは真夜中のことだった。
そろそろ寝ようとしていたところ、遠くで絶叫が聞こえた。仲間たちの中には、己の性質で苦しむ者もいる。そんなやつの心まで助けるのはとてもじゃないが俺にはできない。そいつ自身が解決しなければならない。だが自らを傷つけるのを止めることくらいはできる。だから気づいたら様子を見に行くことにしていた。
声の聞こえた辺りは酷い有り様だった。樹にはえぐられた跡や穴、中には薙ぎ倒されているものもある。地面には血の跡がいくつか。さらに進むと、
「リージン……」
爪の伸びた手を赤く染め、髪を乱し、地面に座り込んでいる。
「アリス、もう少し待ってて。頑張るからね。あの忌々しい一族も馬鹿な魔術師も操り人形の住民たちも、全部全部っ! 楽には死なせない……。掃除が終わったら、すぐに君のもとへ逝くよ」
まるで迷子のように顔を覆って泣いている。
「あぁ、俺は死ねないんだ。まずは魔術師を殺らないと……、いや、解けた瞬間この身体が朽ちてしまうかもしれない。やっぱり、魔術師は後か。……アリス、アリス、アリスっ! 君の声が聞こえないんだ。異端の声が邪魔をするんだ。みんな君を隠してしまう」
身の危険を感じたのか全身の毛が逆立つ。アリスが死んで、リージンの心の奥に閉じ込めていた、自分をここへ追いやった者たちへの憎しみが放たれてしまったのか。きっとリージンは、異端も葬る気だ。
昔、リージンと話したことがある。
『ヒトと異端が対等になるにはどうしたらいいんだろう?』
こいつはこう言った。
『死は皆に対等だ』
殺される。
「みんな消してしまおう」
リージンがこちらを見た。
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