3.開幕の章 愛された記憶
この森でリージンさんに拾われる前のことは、今でも断片的に覚えています。決して綺麗ではないけれど、私が私であるために切り離せない記憶の欠片が、時折夢となって私に思い出させるのです。
私には血の繋がった家族から愛された記憶がありません。覚えているのは私を虐げる声と痛み。それは夢の中でも同じでした。でも、どんな言葉を投げかけられても、どんな仕打ちを受けても、到底彼らを憎み切れませんでした。
なぜだったのでしょうか、今でも夢に見ると考えてしまいます。
「君は、こんな化け物しか産めないのか? 私のために役に立とうとは思わないのか? あの時、君は今度こそと私に誓った。覚えているはずだ。にもかかわらず、今度はよりによって、こんな異端を産むとは。……余程私をがっかりさせたいらしい」
そう言って冷たく突き放すのは父の声。「ごめんなさい」「捨てないでください」と追いすがり泣くのは母の声。母はこの世の何より父を愛していました。私も他の家族もどうでも良くなるくらい、盲目的な愛でした。
私が生まれる前、私には何人かの兄や姉がいたらしいのですが、全員この世にはいません。一族の濃い血を残すために何代にもわたって近親婚を繰り返してきたせいで、生まれるのは身体の弱い子どもばかりになっていたようです。
父は血の濃さより一族の存続のため一族の者でない妻を望み、見合いで領民の母と結婚しました。しかし計画とは裏腹に身体の弱い子どもばかりを産む母に、父がたびたび罵声を浴びせていた、とメイドたちの噂話を聞いたことがあります。……使用人の又聞きの噂話ですから、どれほど信憑性があるかは分かりませんが、子供に関してはどちらかというと父の血に原因があった、というのは間違いないのではないでしょうか。
しかし父の中では、自分が一番正しく、その次が一族の者、それ以外は疑わしい、という公式が成り立っていたのか、夫婦であっても本来他人である母のことなど省みる余地もないようでした。
……ただ、母は一族に取っては不良品、であるにもかかわらず、離縁されることなく屋敷に留め置かれたのは、父の采配であることは間違いありません。父にとっては母は、一種の娯楽のようなものでもあったのではないかと思うのです。叩けば鳴る玩具のように、突き放せば必死に泣いて縋り、愛されようと努力する母は、父の目にはどう映っていたのか。
一度扉の隙間から見たのは、とても楽し気な笑顔でした。
そんな時に生まれたのが、生まれながらに異端の烙印を押された私でした。当然両親はもちろん、一族の誰からも愛されませんでした。そもそもその頃には母が産むへの周囲の期待もほとんど無く、私は誰にも望まれることなく生まれてきたのでしょう。母の立場はさらに悪くなり、八つ当たりのように毎夜私に憎しみのこもった言葉をぶつけていました。もし私が異端でない健康な子であったなら、今度こそ父から愛されるかもしれないという淡い期待もあったのでしょう。
私は幼いながらこの女を憐れに思いました。誰にも愛されないなら、私が彼女を愛し、全ての痛みを受けとめてあげようとさえ思いました。私の世界は彼女で出来ていましたから、彼女の盲目性が移ったのかもしれません。
果たしてあれは愛だったのでしょうか。
+++
「リージンさん、起きてください」
「ん~……あと1時間だけ……」
「長すぎです!! 早くしないと……」
可愛いアリスの声をもう少し聞いていたくて、起きられない人のフリをするのが最近の楽しみだ。今日も可愛い、と布団にもぐっていると、空を切る音と共に布団ごと脇腹を貫く激痛が……!
「いつまで待たせんだ、若作り野郎」
「だから言ったのに」
激痛の正体はマリオンの爪だったらしい。殺す気か、馬鹿猫め……、と悪態をつこうとしたが、後ろに冷ややかな目で睨み付けるギルディが見えたから引っ込めた。
「……で、こんな朝っぱらから何の用だ?」
「もう昼です」
「そうかそうか、もう昼か。アリスは可愛いだけじゃなくて賢いなぁ」
「馬鹿にしていませんか?」
「いちゃつくなら後にしろよジジイ。アリスにべたべた触んな」
猫が何か言ってら。ただアリスを膝の上に座らせて、嫌な顔をされても頭を撫で続けているだけだというのに。アリスだって顔を赤らめて少しも嫌がってなんて……、あぁ、降りてしまった……。
しばらくアリスとの関係についてあれこれ悩んではみたが、逆に吹っ切れてしまった。愛するなという方が無茶なんだ。手塩にかけて育てて、こんなに愛らしく育ったアリスを素直に愛せない奴は外道に違いない。色恋については保留とする。
朝の癒しの一時を名残惜しく思いつつ、アリスに遠くまでおつかいに行かせる。そろそろ客人たちの話を聞いてやらねば。
「月が太陽を覆う日か。今日だったな」
「あぁ。時は来た。お前が気休めにと、数年前にかけた結界の守りはまもなく破られる」
アリスを拾った頃のことだ。今でも覚えているさ。あの化け物は今でも結界の外から内部に入り込もうと傷つけ続けていた。いつか退治せねばと思っていたが、結界に隔てられては向こうもこちらも手出しはできない。
この結界を張ったのは太陽を力の源にする魔術師だ。経年劣化に加え、太陽の力が弱まればあの化け物にも破れなくはないだろう。だから堪えて、この月が太陽に勝る日を待っていたんだ。
ギルディの姿は大狼のかたちをとった。隣のマリオンもまた然り、巨大な猫の化け物に、本来の姿に戻っていた。彼らは異端と呼ばれた者。普段は人である自分を忘れないように人間の姿を取っているが、異端の中でも異形に近い者たちだ。
家の周囲に魔力が満ち、異端と呼ばれる者たちが集まっているのを感じる。
「リージン。アンタがここへ来た日、アンタは怒り狂っていた。アンタがここへ放り込まれたからじゃあない。人間とは何だと、異端とは何だと、怒り狂っていた。森を破壊しても、アンタはアタシらを傷つけなかった。アンタは気づいていなかったかもしれない。でも、アタシはあの日、アンタを主と決めた。アイツらも異端も変わらず、人間だと言ってくれたから。ここへ来てる他の奴らだってそうだ」
ずっと虐げられてこの森の形をした檻に捨てられてきた。ずっと一緒にいたのに、突然変異で異端になった者は、周囲のヒトから捨てられた。生まれながらの異端は実の親の愛も知らず、この世に生を受けてすぐにこの森へ捨てられた。
憎い。それ以上に悲しかった。
また一緒に笑い合いたい。
また一度でもいいから優しさがほしい。
一度だけ、それ以上は望まないから。
もう一度、もう一度だけ、愛を……
異端たちの嘆きの声。最早、人の声を出せない者もいる。鳴き声 泣き声 叫び声。それを目を閉じて聞いていた。
森の主になるつもりなどなかった。
魔術師――兄さんに呪いをかけられ、マジョランの洗脳で操られ、気づいた時にはマジョランの人間を何人も傷つけ、殺めた後だった。言霊のせいだと、かつて正気に戻った時の兄さんがしたように弁解はしまい。どうしても、この手が血染めになった事実は変わらないのだから。
当主と何度も面会していた兄さんは操られやすくなった。正気に戻ることもあったが、奴らがそれとなく望みを仄めかせば、それを何としてでも叶えようとする程に、盲目的に成り果てていた。実際、ここへ追放されたのも、反旗を翻した俺を兄自身の手で森へ追放するようマジョラン当主が願ったため。実の家族、しかもたった一人の双子の弟を手にかけようとした。幸い、俺たちの力に大きな差がなかったから死にはしなかったが、ぼろ雑巾のようにこの森へ捨てられた。
「貴様も異端か」
それが兄さんからの最後の言葉だった。
あの日、結界に吸い込まれながら、マジョラン一族も異端の檻を完成させた兄も、いつか全員滅ぼすと決めた。愛した者を己の意思に関わらず虐げる者と、愛した者に異端と蔑まれた者がこれ以上生まれないように。
……己の呪いで精一杯で、年月が経ち過ぎてしまった。それでも彼らは俺を望んだ。ならば今度は俺がそれに応えなければならない。
今も呪いはこの身を蝕む。
命も痛みも終わることはない。
だが、愛された記憶が消えこの檻が呪いに満ちる前に、全てを終わらせる。
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