7.因縁の章 ある夫婦

 美しい妻、この世の憂い、私の唯一。

 名を、ミリアという。

 彼女と出会ったのは子供の頃。屋敷を抜け出して遊びに行った街で、彼女は他の領民と変わらず慎ましやかに穏やかに暮らしていた。

 一目見た瞬間、彼女だと思った。懐疑的だった運命という言葉以外に表せない。私とミリアは手を取り合い、その事実を確信した。


 月日が経ち、結婚し、愛しさのあまりこの手で壊してしまったミリアは、壊れてもなお、私の愛を求めた。もう何が愛かも分からない憐れなその姿に、狂おしいほどの愛情が募る。

 私に対する彼女の愛を疑うわけではない。だが、どれだけ私を愛しているのか、どこまで私に従い応じるのか、試してみたかった。言霊を使うまでもなく、私が望みを口にすれば必死で叶えようとし、私の表情が少しでも曇れば捨てないでほしいと懇願するミリアの姿をもっと見ていたかった。


「あ、ァ亜あイしていマす! だかラあァ阿亜アナタの側にィ……!」


ミリアはずっと、結婚した頃から、自分は子を産む道具として不要になれば捨てられると思っているらしかった。十中八九一族の者、もしくは住民の妬みによる認識のズレだろう。

私は、我が子をミリアの愛を測る為の道具と見たことはあっても、ミリアを子を産ませる為の道具と見たことは一度もない。とはいえ、私も彼女の誤解を積極的に否定しなかった。彼女の中に生じた孤独が、我々の愛を深めると思ったからだ。

 歪んでいるのは百も承知。愛しているから愛しの女を誰にも取られないよう異端に歪めた。異端となってさえ切実に私を求めるミリアは、人間であった頃よりも美しかった。


 哀れな娘、アリスは、私は勿論ミリアからの愛情も知らない。あの子の兄姉は全てミリアの私への愛情を測る為に死んだ。そもそも彼女の愛を別の存在に分けること自体耐えられない。だから彼女に命じた。


「君の胎から出たそれは死んでしまった。そうなる。だろう?」


 ミリアは事故を装って子供たちを手にかけた。

 この秘密を知る者は他にいない、私とミリアだけの秘密だ。一族の者はミリアの不注意を責めたが、それで一層私以外の拠り所を失くすなら都合が良かった。

 ミリアは子を産んでは死なせを繰り返し、日に日に壊れ、一層私に執着していった。幼き日に掴んだ私の手以外に縋れるものは何もなかった。


 そうして産まれたアリスは、生まれつき背から羽根を生やしていた。

 白に近い灰色の羽根は、我が一族の破滅の象徴とされている。マジョランの純血の一族にしか伝えられない真実の伝承に登場する、この地の真の主のシンボルだ。主が持つのも灰色の羽根だと言われていた。

 まさかこのような形で、私の代で遭遇するとは思いもしなかった。残念だがこの子の未来には死しかない。マジョラン一族の存続のため、致し方ないのだ。

 私がそう決めた。


「ミリア」


 異形の身体を得てから彼女はこの本邸の自室から出たことがない。異端を否とする以上、彼女が一眼に触れてはいけない。自由に私に会うことができなくなり、いつも彼女は悲嘆の声を上げていた。

 その声も好きだった。


「あの異端の娘を殺せば、私の全てが君のもの、そして君の全てが私のものだ」

「ほんとう?」

「もちろん。この部屋からも出して、ずっと一緒にいられる。君の愛をやっと信じられる」


 ギチギチと音がして、彼女が笑っているのが分かった。今度こそ彼女の精神は壊れるだろう。我が子を取るか私の愛を取るかなんて、結果は既に分かっているようなものだ。彼女はきっとアリスを殺す。何がなんでも。


「待っているよ」


 ミリアは早速夜に家を出て、アリスを異端の森へ放り込んできた。しかし夕方の屋敷の閉門前にアリスは帰ってきた。その夜は屋敷中にアリスの泣き声とミリアの金切り声が響いていた。私の好きな音だ。ミリアの愛を感じる。

 ミリアがアリスに何を言ったかは分からない。翌朝、アリスの姿は屋敷のどこにもなかった。だが、あの子は生きているという確信があった。

 あんな小娘一人も殺せず、さらに逃がした。君にはお仕置きが必要らしい。私の望みを叶えられないなら、君の望みも叶えてやらない。

 そう言ってみせれば、とうとう、ミリアは異形のモノになってしまった。それでも私の愛を求め続ける。愛しくて愛しくてたまらない、醜く美しい怪物になった。


「さぁ、今度こそあの子を仕留めるんだ。そうすれば、私は君のもの、君は私のもの」


 森へ行ったミリアは帰ってこなかった。


 どれだけ経っても彼女は帰らない。愛しい愛しいミリアが帰ってこない。アリスの生死などもはやどうでも良かった。異端たちに殺されてしまったのだろうか?

 馬鹿な、彼女の身体は私の言霊も使って強化しているのに。アリスを憎み、私の愛が得られないのはアリスのせいだと、アリスが死ねば私の愛を得られると、……何が起ころうと私を愛し、私の元へ帰るようにと。

 言ったはずだ。


「御呼びでしょうか、旦那様」

「民に伝えてくれ」


 我が妻を殺した異端を殲滅すると。

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