第7話:赤根さんは怒る
◆◆◆
*
雨の日の翌日。天気はスッキリ回復していた。
登校して席に着いたら、机の中に何か物体が入っているのに気づいた。
昨日赤根さんに貸した折りたたみ傘だ。
きっと早く登校して、返してくれたんだ。
顔を上げて彼女の姿を目で追った。
何人かの女子が集まって雑談してる輪の中にいた。
相変わらず集団の中にいても存在感を放ってる。
赤根さんもこちらを見ていて目が合った。
ニコリと可愛らしい笑顔を見せてくれた。
傘のお礼に充分足るほどの可愛さだ。
いや、お釣りをたくさん返さなきゃいけないくらいだな。
一瞬、誰かに気づかれはしないかと気になったけど、特にそういうことはなかった。
学校一の美少女が内緒で俺にだけ向けてくれた笑顔……なんて考えると、背筋に電流が流れたようなゾクっとした快感が走った。ラブコメかよ。
待て。その発想キモいぞ。
自重せよ、
その後彼女はすぐに友達との会話に戻り、俺も視線をそらした。
教室内はいつもと変わらぬ空気が流れている。
しかし俺の頭の中は、まだ赤根さんの笑顔の残像に占められている。
「おはよ
うわ、びっくりした!
キモい笑いが漏れてたか?
ヤバ。
俺を大和と下の名前で呼ぶのは親友の
「別にニヤけてなんかない」
「ほう……いつもどおり変なヤツ」
「いつもどおりは余分だ」
ディスるようなことを言うけど、数寄屋とは仲がいいからこそのやり取りだ。
俺が机の中から半分取り出した傘をヤツはチラリと見た。
「そう言えばさ大和。お前昨日、傘を教室に忘れて帰ったんか?」
「なんで?」
「昨日駅から家まで帰る途中にさ、お前が雨ン中必死に走るのを見かけたんだ。だから傘持ってくるのを忘れたのかと思ったけど、机の中に傘があったからな」
見られてしまったのか。
「あ、そ……そっか」
「せっかく持ってきたのに教室に忘れていくなんて、お前バカだな、あはは」
「おう、バカだな。それは間違いない」
「駅から大和の家まで15分くらいかかるよな。ずぶ濡れになったろ。風邪ひいてないか?」
数寄屋のやつイケメンな上に、こういう優しいとこがある。
だから女の子から人気ナンバーワンなんだよなぁ。
俺とは同じ人類とは思えないくらい差があるな。とほほ。
「ああ、体調は問題ない」
「そっか良かった。……あれっ? どうしたの赤根さん?」
数寄屋が突然俺の背後を見て微笑んだ。
振り向くとそこには硬い表情の赤根さんがいた。
友達と喋ってるとばかり思ってたけど、知らない間に近くにいたんだ。
ヤバい。今の会話を聞かれたかも。
「いや別になにもないよ。たまたま横を通りがかっただけ。数寄屋君とガタニ君って仲がいいんだね」
数寄屋が不思議そうな表情で俺と顔を見合わせた。
そしてもう一度赤根さんを向く。
「おうそうだよ。中学校からの仲なんだ。大和ってすっげえいいヤツだからよろしくね」
ちょい待て数寄屋。
学校イチの人気女子にもスムーズにやり取りできるコミュニケーションだけでなく、その友達想いの発言はなんだ。イケメンすぎるだろ。
何から何まで俺なんか全然敵わない。
なんで俺とずっと仲良くしてくれてるのか不思議なくらいだ。
「うんわかった。よろしくねガタニ君」
赤根さんが俺に満面の笑みを向けてから、立ち去って行った。
見慣れた笑顔だけど、教室でみんながいる中で間近に見るのは初めてだ。
だからなのか、いつもより更に可愛いらしく見えた。
「なあ大和」
「ん? なに?」
数寄屋がなにか言いたそうな顔をしている。
「お前ら、どういう関係?」
「いや別に、どういう関係も何もあるわけないじゃん」
「ふぅーん……そっか」
数寄屋がこんなこと言うなんて珍しい。どうしたんだ?
俺と赤根さんが繋がりがあることを察した?
俺、なにか態度に出してたんだろうか。
いや、俺のポーカーフェイスは完璧だったはずだ。
その時始業の予鈴が鳴った。
数寄屋は背を向けて自分の席に向かって歩きだす。
その背中を見送っていたら、ヤツは少し首を横に傾けて呟いた。
「ガタニ君……?」
ヤベっ。赤根さんが言ったのをしっかり聞かれてたか。
鋭すぎるぞ数寄屋。もう少し鈍感になってくれ。
でもまあ数寄屋もなんのことかわからないだろうから、気にしないでおくことにした。
*
昼休み。いつものように赤根さんが校舎裏にやってきて、俺の顔を見るなり口を開いた。
「ガタニ君の家って、駅から15分かかるの?」
赤根さんの不意打ち攻撃。ヤバい。
やっぱり数寄屋との会話を聞かれてたか。
「あ、うん……まあね」
「なんでそんな嘘つくの?」
赤根さんの声はちょっと怒気をはらんでいる。
俺に嘘をつかれたことを腹立たしく思ってるんだ。
俺なりに赤根さんに気をつかわせないための『嘘も方便』だと考えたのだが。
やっぱり人気女子からしたら、俺みたいな地味男子に嘘をつかれたということ自体がムカつくのかもしれない。
謝って許してくれるかどうかわからないけど、とにかく詫びはしよう。
「ごめん。あれは……」
「ホントのこと言ってくれたら傘を借りなかったのに! 家に電話して車で迎えに来てもらうとか方法はあったのに! あんな嘘つくから、私、ありがたく傘を借りちゃったじゃん! そのせいでガタニ君がびしょ濡れになったなんて申し訳なくて、私涙が出るよっ! ガタニ君が風邪ひいたらどうすんの! そんなのイヤだよっ!!」
赤根さんの目には言葉どおり涙が浮かんでいる。
眉尻は下がり、とても悔しそうに泣き顔を浮かべている。
──俺ってバカだ。
赤根さんは俺に騙されたからムカついてるだなんて誤解してた。
だけど事実は違う。
俺の嘘を信じたせいで、俺をびしょ濡れにさせてしまったことを彼女は後悔してるんだ。
俺の身体を第一に考えてくれてるんだ。
──俺ってバカだ。
何度も赤根さんと会って話をして、彼女はすごく優しくて他人を思いやる気持ちを持ってる人だってわかっていたはずなのに。
なのに人気女子だからとか俺が地味男子だからだとか、だから彼女は俺にムカついてるだとか。
今まで赤根さんと接していて、決してそんな歪んだ目で俺を見ていないことはわかっていたはずだ。
なのに俺は自分のしょうもないコンプレックスのせいで、勝手に赤根さんの気持ちを誤解した。
──俺ってバカだ。
赤根さんってこんなに可愛くていい子なのに。
俺のせいで悲しい顔をさせてしまった。
──俺ってバカだ。
「赤根さん、ホントごめん!」
「ううん。怒ったような言い方して私こそごめん。ありがとうガタニ君。ホントは君の優しさにすっごく感謝してる。でもさ、一つだけ約束して」
赤根さんはとても美しい目をしている。
少し潤んだその美しい目でまっすぐに俺を見ている。
約束ってなんだろう?
赤根さんはすっと人差し指を伸ばして、俺の鼻の頭をきゅっと抑えた。
そして泣き顔のまま、ニコリと可愛い笑顔を浮かべる。
「もうそんな嘘ついたらダメだよ」
なんだこれ。
この世にこんなに可愛い顔ってあるのかな。
人の手により作られたイラストの女の子は、プロが卓越した技術で可愛く描くのだからとても可愛い。
だから俺の二次元の嫁、イチハさんはこの世で一番可愛い。
今までそう思っていた。
だけど赤根さんは神が作ったリアルの人間だ。
そんな完璧な美しさなんてあるはずはない。
リアルな人間だからこそ、きっと欠点もある。
だけどリアルな人間だからこそ、俺だけに向けた感情や態度や表情を見せることができるんだ。
そしてこんなに俺のことを真剣に思ってくれての言葉。
だから今の赤根さんは、この世で最も可愛い。
それは間違いのない事実。
「わかったよ。もう赤根さんに心配をかけるような嘘は絶対につかない」
「うん。お願いだからねガタニ君」
「うん」
「じゃあアニメの続きを観よっか」
赤根さんはとても嬉しそうにそう言った。
そしていつものようにイヤホンを共有して二人で動画の続きを観た。
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