第6話:赤根さんは間違える

◆◆◆


 放課後、校舎から外に出るとどんよりと暗かった。今にも泣き出しそうな空。

 今日は朝から天気予報で雨になるってわかってたから、折りたたみ傘はカバンに入れてる。

 だけど降られるのは嫌だ。急いで帰ろう。


 少し早足で駅までの下校路を歩いていると、途中で道路の端に、栗色の髪をしたびっくりするくらい可愛い女子が立っていた。

 遠目でもわかるキラキラした存在感。路傍ろぼうの石ならぬ路傍の宝石。


 ──赤根さんだ。


 どうしたんだろう。


「ガタニ君、一緒に駅まで帰ろ」

「え?」


 俺が石のように固まっていると彼女はニコリと笑う。


「ほら、そんな心配そうな顔しないでいいよ。帰り道ならたまたま一緒になったって言い訳できるから」


 俺が固まったのは、そんな心配をしたからじゃない。

 なぜ赤根さんがこんなところで俺を待ってたのか、不思議に思ったからだ。


「教室じゃなかなかゆっくり話せないからさ。たまにはお昼休み以外のところで喋るのもいいかなと思って」

「そ、そっか」


 あれっ?

 ホントに俺と喋りたいって思ってくれてるんだ。

 それは素直に嬉しい。


 だけど……


 まともなことを話せる自信がない!

 昼休みはスマホ動画があるから会話も続くけど、こんなシチュエーションで何を喋ったらいいのかわからない!


 おお神よ!

 我を救い給え!


 ──って、普段信仰心のない俺が吐く言葉じゃないな。

 ここはコミュニケーションモンスターの赤根さんに身を委ねるとしよう。


「あ……雨」


 突然の赤根さんの言葉に、俺は空を見上げた。


「痛っ!」


 雨粒が目に入った。

 くそっ、雨のやつめ。

 暴力反対!


「うわ、大変! すごく降ってきた!」


 突然の大粒の雨が、ざぁーっと音を立てて地面を打ちつける。濡れたアスファルトの匂いが辺りに漂う。


 赤根さんが焦って、通学リュックを背中から下ろした。

 中を探っている。傘を探してるんだろう。

 俺もカバンから折りたたみ傘を出して開いた。


「あっ、しまった!」


 赤根さんが焦ってる。なんだ?


「傘と間違えて自撮り棒を持ってきちゃった」

「……は?」


 理解不能、意味不明。

 なんで自撮り棒?

 なにが起きた?


 赤根さんの手元を見ると、携帯用袋から取り出したものは確かにスマホ用の自撮り棒だった。

 取手の部分が黒くて、折りたたみ傘に似てると言えば似てる。でも普通間違えるか?


「朝、バタバタしてて間違えた……あーん、私ってホントおっちょこちょいだぁ〜」


 頭を抱えて地団駄踏んでる。可愛い。

 でも確かにおっちょこちょいだな。


「仕方ない。濡れて行くよ」

「ちょい待って。俺の傘に……入ってく?」

「え?」


 赤根さんは固まってる。

 しまった!

 反射的に言ってしまったこととは言え、相合傘に誘うなんて、俺はなんてキモい行動したんだぁー!


「あ、ごめん。相合傘なんて嫌だよな」

「ううん、そうじゃなくて! 傘に入れてもらうのは嬉しいんだけど、誰かに見られたらガタニ君に迷惑がかかる……」


 確かに。後でその誰かに恨まれそうだ。

 それならば……


「じゃあ俺の傘貸すよ」

「え? ガタニ君は?」

「濡れても大丈夫。俺、雨に濡れても溶けない体質だから」

「へ?」


 一瞬きょとんとした後、赤根さんはプフっと吹き出した。


「なにそれ!? だったら私も溶けない体質だから大丈夫だよ。ガタニ君が使ってよ」

「いや、いいから。ほら赤根さんが使って」

「ガタニ君が使ってよ」


 俺が差し出した傘を、彼女は受け取ろうとしないで押し返してくる。このままじゃ埒があかない。


 さらに雨足が強くなって、既に赤根さんの制服はかなり濡れている。髪の毛も濡れてへばりついてる。

 赤根さんがかわいそうだ。


 ああっ、くそっ! 仕方ない!

 俺が後で恨まれるとか言ってられない。


「じゃあこうしよう」


 ドキドキしたけど、思い切って彼女に近づいて相合傘を差した。


「ダメだよガタニ君。後で君が……」

「いいよ。もし誰かから何か言われたら、『赤根さんが傘と自撮り棒を間違えて持ってきたんだ』って言うから」

「え? それって私がめちゃくちゃおっちょこちょいみたいじゃん!」


 頬を膨らませて可愛らしいけど、言葉の中身は何言ってんだって感じだぞ。


「みたいじゃなくて、めちゃくちゃおっちょこちょいなんだよ」


 あ、マズイ。

 最近赤根さんとは話す機会が多くて、仲のいい友達に言うようなノリで言ってしまった。

 もしかしたらバカにするような言い方に聞こえたかも。


 事実彼女はじっと俺の顔を見てる。怒ってる……よな? こわっ!

 オタク男子が人気女子に言ってはいけないセリフだ。そりゃ怒られても仕方ない。


「……ありがと」

「へ?」


 怒ってるかと思ったのに、なんでお礼を言われてんだ?


「変に慰められるより、そう言ってもらった方がスッキリするよね。私ってバカだなぁーって笑える。だからあえてそう言ってくれたんでしょ?」

「いや俺は別に……」

「やっぱガタニ君は優しいね。いい人だ」


 いやホントにそんなことまで考えてなかった。

 勢いで言ってしまっただけなのに。

 なんでもポジティブに捉える赤根さんこそ……


「いい人だ」


 無意識に言葉が漏れた。


「え? なんて?」

「いや、なんでもない。どんどん濡れてしまうから早く行こうよ」


 いい人だなんて、恥ずかしくて二度も人気女子には言えない。聞こえなくてよかった。

 だけど、また一つ赤根さんのいいとこを見つけてしまった。




 大雨の中、駅まで早足で歩いた。

 景色が白くけむるほどの雨。これなら俺と赤根さんが相合傘してることに気づく人もいないだろう。


 ところで。

 さっきからやたらと赤根さんの肩が俺の二の腕に当たる。


 近いっ!

 近すぎるよ赤根さん!

 君みたいな可愛い女子に触れられてる俺の二の腕の身にもなってくれ。


 まあくっつかないと身体の半分以上が濡れてしまうからな。彼女も仕方なく身体を寄せてるのだろう。


 でもドキドキしすぎて、駅までどんな話をしたか全く覚えていない。


「ありがと」


 駅舎に入って傘をたたみ、ようやく赤根さんと少し離れた。


 雨粒がしたたる髪と顔。額にへばりついた髪も、艶っぽい唇も、なんだか色っぽい。

 制服もびしょ濡れだ。上着の胸元の白いブラウスから、ブラジャーが透けてるのが目に飛び込んできた。可愛いピンク色だ。レースの柄までわかる。


 うわ、学校一の美少女のこんな姿。ヤバっ!

 いやいや、俺はイチハさん一本だ!


 二次元の嫁であるイチハさんの可愛さに比べたら、所詮三次元の女子なんて。

 三次元の女子なんて……


 ごめんイチハさん。

 目の前の赤根さんはめっちゃ可愛いし色っぽい。


「ん? どうしたの?」

「ややや、何でもない! 何でもないから!」

「もしかして見とれてた……とか?」

「ふぐぅっっ……」


 図星を突かれた。

 なんで俺が考えてることがわかるんだ?

 赤根さんはエスパーか?


 ──ってか顔が熱いし、きっと今の俺は真っ赤な顔してる。

 そしてこんだけボーッと見てたら、そりゃ見とれてたってわかるよな。


 これはいくらなんでもキモいって思われてる!

 スケベな目で見てたって思われてるよな。


「顔が赤いよ。ふふ、どうしたの?」

「気のせいだ。そんなことない」


 うわ、説得力のない言い訳だ。

 俺ってホント、話すの下手だな。


「そんなことよりガタニ君、身体が半分以上びしょ濡れだよ!」

「あ、大丈夫だから気にしないでいいよ」

「ごめんね。私に気をつかって、傘を寄せてくれてたんだね。ありがとう。やっぱりガタニ君って優しいね」


 え? なにこの笑顔。

 キモいじゃなくて感謝されてる?

 俺がちょっと気遣ったのを、しっかり感じ取ってくれる人? そして感謝できる人?


 ヤバ。またまた赤根さんのいいとこ見つけてしまった。


「あ、ところで赤根さんちって、駅からどれくらい?」

「歩いて10分くらいだから近いよ。なんで?」

「だったらこの傘貸すよ。この雨の中10分も歩いたらずぶ濡れになるよ」

「だってガタニ君は?」

「俺の家は駅前ロータリーのすぐ目の前なんだ。だから大丈夫」

「そっかぁ。じゃあ借りて行こうかな」

「うん、そうして」

「ありがと。またまたガタニ君の優しさ、いただきましたー」

「あはは何それ?」

「なんだろね、あははー」


 赤根さんの笑顔って、まるでキラキラした光が放出されてるように見える。

 そんなのってアニメの視覚表現だけかと思ってたけど、リアルにそう見えるなんて驚きだ。


 底抜けに明るい子だな。

 傘を貸すって言ってよかった。

 こんなに喜んでくれるなら貸し甲斐もある。


「じゃあね、また明日」


 俺と赤根さんは別路線の電車に乗る。別のホームだ。

 だから改札口を抜けたところで手を振って別れた。


 電車のドアにもたれて、車窓を眺める。

 強い雨で視界が遮られ、景色はほとんど見えない。

 雨足はまったく弱まる気配がない。


 この感じだと、駅から家までずぶ濡れになるな。

 赤根さんには駅前に家があると言ったけど、あれは嘘だ。ホントは歩いて15分くらいかかる。


 他人のために自己犠牲を払うなんて、全然俺の柄じゃないのに。

 だけど今日の赤根さんの笑顔を見たら──


 そういうのもちょっといいかもな。

 なんて思った。

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