第23話 家族

楓「泉ちゃん走るの?暑いよ?私しんぱい。」


泉「もーね。癖になったの。最初はさ、パトス退治だったけどね。もうそれはいいんだけどね。へへっ♡」


楓「うん。なんで照れたのか分からないし、パトスも意味分からないけれど、癖なら仕方ない。気をつけるんだよ?何かあったらすぐ連絡するんだよ?」


泉「おねーちゃん。30分、いや、45分あげる!何をあげたかは、分かるよね?」


楓「マジか。朝から?チャンスくれるの?フフッでも大丈夫よ!ありがとう!」


泉「アハハッ!そっか、おねーちゃんは別に焦らなくていいもんね!あっ!お兄ちゃんなら今頃洗濯機見てるからよろしく。昔からグルグル回るのジッと見てるの好きなんだよね。その時はね、だいたい『分かった』しか言わないから気をつけてね。じゃね!」


楓「アハハハハなにそれー!分かったー!気をつけてねー!」


泉「ってきまー!」


そう言って泉ちゃんは颯爽と玄関を後にした。残った私は朝食の準備をしようと思ったが、洗濯機グルグルか…と夕君の日課が気になってそっと脱衣所まで忍び寄った。

(やだ…ほんとに見てる。)足を肩幅に開き、難しそうな顔をして右手で顎をさすっている。さしずめ科学者が実験の反応を確かめているようだ。洗濯機だけど。可笑しくて肩を震わせて笑って見ていると、不意に「なるほど」とか言い出した。何がだよ!って思わず爆笑する私に気がついて「あ、ごめんごめん見たかった?」とか言って!!とか言ってー!!立っていられない程に爆笑する私に「え、脱水派?」とか畳み掛けてくる!もーやめてーヒー。

あーでもなんだろ、そんな彼がかわいい、幸せ。とか思っちゃう私は病気かもね。でもいいや、治らなくて。こんな素敵な病気なら大歓迎です!


かくして、彼からキッチン使用の許可を得た私は簡単な朝食を作っている。目玉焼きと、ベーコン、オニオンスープ、サラダそしてトーストだ。いかにもなメニューだけど、結局こんなのが美味しいし、飽きない。それに、メニューはさておき、彼や妹に作ってあげられる事が嬉しい。それから、リビングと対面式のキッチンだから、テレビを見る彼を見ながら料理出来るし、合間合間で目が合うのがめちゃくちゃ嬉しい。こんなステキッチンを考えてくれた人には感謝だわ。

丁度作り終えた頃に泉ちゃんが帰ってきた。


泉「ただいまー!」


楓「おかえりー!」


すかさずコップにスポーツドリンクを注いで持ってくる夕君。さすがね。


夕「おかえり。暑かったろ。」


泉「まーねー。ふぅ疲れた。あーいい匂い!おねーちゃん作ってくれたの?」


楓「うん!でもまずシャワーしといで?」


泉「うん!ありがとうね!」


と、そのまま泉ちゃんはお風呂場へ、夕君は2階から着替えを持ってきてあげていた。躾けられた犬みたいで面白い。


夕「そういえば楓ちゃん。学校って行くの?」


楓「あ!そうそう!夕君の学校受けるよ。来週試験だよ。」


夕「えー?!青校に?すごい。嬉しい。すごい。」


楓「実は春くらいにリサーチしました!由佳ちゃんに聞いたんだー。」


夕「山岸さんから?うわー。すごい。」


楓「語彙力落ちてるけど大丈夫?ま、受かるかどうかは分からないけれど。受かったら嬉しい?」


夕「すごい!嬉しい!……すごい!」


楓「ふふっ♡変な夕君♡」


昨日今日と浮かれ過ぎて学校のことはすっかり忘れていた。語彙力が底辺まで落ちた夕君はきっと色々と想像しているのだと思う。登校、昼食、部活、放課後、イベント等々、私もどんだけ想像した事だろう。気持ちは分かる。後は受かるかどうかだな。あと一週間は勉強頑張らないとね。夕君に教えて貰いながら頑張るんだ。


泉「タオル係ー!」


ふいに、お風呂場からそんな声が掛かると、心ここにあらずだった夕君がハッと我に返り、バッと立ち上がって脱衣所へ行った。私も後を追うと、バスタオルを広げて待ち構える夕君がいた。


楓「夕君、それ、タオル係ってやつ?」


夕「そうだよ?プロのな。」


こちらには目もくれず、迅速に、かつ丁寧に妹の体を拭きながら答える夕君。泉ちゃんも手を上げたり、クルクル回ったりして拭きやすいように体を動かしている。何この連携、何この兄妹…あまりにも自然にそんな事をするもんだから、可笑しくて笑いがこみ上げてくる。


楓「プロのタオル係って…アハハ!おっかしー!それってさ、私にもしてくれるの?」


夕「まぁ、呼ばれたらね。仕事ですから。」


楓「プライドが凄いね!」


泉「私も毎回呼ぶ訳じゃないけど、2階にいても来るよね?」


夕「プロだからな。」


楓「プライドが凄い。」


家庭での夕君を見るのは新鮮だ。学校では明るくて、爽やかだった夕君。私には甘えたりもしてくれる夕君。2年前の濃ぃ一週間でも大分彼を知る事が出来たけれど、昨日今日の夕君は知らない顔ばかりだった。知れば知るほど面白いし、好きになる。ま、これは惚れた私の病気みたいなものだろうけれど。真剣な面持ちで妹の体を拭く兄なんて、世間一般からしたら変よね。丁寧にドライヤーまでかけるプロのタオル係を微笑ましく見ながらそんな事を考えていた。


泉「ママが13時に帰ってくるよ。駅弁買ってきてくれるって!」


夕「お母さんはフランクな人だから緊張しなくていいよ。そっけないけど、すぐ泣くよ。」


楓「さすがに緊張はするよー。伝えたいことも上手く言えるか分からないしさ。」


泉「でもおねーちゃん。私達がいるから安心して?」


楓「だよね。ありがとう頑張る!」


朝食を食べながそんな話をしていた。朝食後、夕君は蛍光灯を買いに行き、私と泉ちゃんは食器を片付けていた。

キッチンで横に並んで作業する泉ちゃんが「なんかしっくりくるね!違和感ない。」と言ってくれて嬉しかった。お母様の許しが出たらちょくちょくお邪魔するだろうし、いずれ同棲するようになればここが私の家になる。緊張するけれど、早くお会いしたいな。何より、私は謝りたかった。


その後は、帰ってきた夕君と3人でゲームをしたり、アルバムを見せてもらったりして過ごした。あっという間にお昼を過ぎていたので、私はお土産を手元に用意して、ソワソワしながら待機していた。そんな私が気になったのか、夕君が私の膝に頭を乗せて横になった。特に何も言わずにただスマホをいじっている。なんだか…落ち着くな…彼の頭を撫でているといつの間にか穏やかな気持ちになっていた。数分後、ガチャりと玄関を開ける音がした。


翠「あっちーー。ただいまー。」


お母様だ!


泉「おかー!ママー!楓ちゃん来てるよ!」


翠「うんうん。今行くね。」


そんな会話が聞こえてきたので、動かない夕君の頭をガッて持って無理矢理にどかす。「どわっ」とか言っている。ごめんね夕君、後で謝るから今は待ってね。心でそう言って玄関まで駆ける私。


楓「お、お母様!高い所から申し訳ございません!私は向井 楓と申します!2年前、夕君に辛い思いをさせてしまった犯人は私です!最低の事をしてしまいました。ごめんなさい!本当に本当にごめんなさい!ごめんなさい…ごめんなさい…」


びっくりした。靴に手をかけて脱ごうとしていたら、凄い勢いで現れ、急に土下座をされた…

そして、謝っている。涙を流しながら、一生懸命謝っている。


何かの事情でフランスへ行ってしまった事は知っている。暫くして急に連絡がつかなくなり、あからさまに夕が心配していた様子も見ていた。そんな夕がいたたまれなくて、私も悩んでいたけれど、彼女を恨んだ事はなかった。夕の彼女と言ってもまだ子供だったし、向こうでの慣れない生活に苦労したり、心変わりがあったとしても何ら不思議ではなかったからだ。

なんなら、夕の成長のためには良かったかな、と少し感謝もしてもいた。

「違うの!楓ちゃんは重い病気だったの!仕方がなかったの!ねぇママ、許してあげて?」

唖然と立ち尽くす私に、泉が泣きながらフォローをしている。彼女は床に頭をつけながらごめんなさいを繰り返している。

さて、このままじゃいけないね。やってみるか、私なりの親ってやつを。

私は玄関から上がり、私に合わせて土下座の向きを変える彼女に向かって正座をした。


翠「はじめまして。私が夕、そして泉の母の神田 翠です。まずは、顔を上げて、私にあなたの顔を見せて貰える?」


そう言うと、ゆっくりと彼女は顔を上げた。涙で頰を濡らしながら、困ったような顔をして私を見ている。

可愛らしく、けなげで、まだまだ子供っぽい顔立ちだ。


翠「楓さん。おかえりなさい。大変だったよね。よく帰ってきてくれたね。ありがとう。そして、あなたが謝る事は何にもないの。夕に会いに来てくれたんでしょ?それで十分。それでも、もし許しが欲しいのなら、今、全てを許します。」


そう言うと、また彼女は泣き出した。ありがとうございますと何度も頭を下げながら。私は、膝と膝がくっつく程に近づいて、彼女の頭を撫でながら問う。


翠「さて、楓さん。あなたは夕の何なのかしら?」


楓「!!っ私は…夕君の彼女です!しょ、生涯を伴に出来たらと思って…思っています!」


翠「…そう。ならば今日からフィアンセと名乗りなさい。ただ、まだまだあなた達は子供です。結婚は追々の話です。だけど、今から私はあなたを家族同然と思うこととします。楓ちゃん。私は家を留守にする事が多いです。夕と泉を宜しくお願いします。私の事はママでも、翠さんでも、お母さんでも好きに呼んでね。あと、本当の親と思ってもらえるように、私も頑張るからね。」


楓「ありがとうございます…。ありがとうございます…」


翠「よし、じゃご飯にしよー!ってそこで土下座してるおバカさん。そんな奥で、隅っこで、何してるの?靴下まで脱いで…」


夕「誠意だ。」


翠「キリッじゃねーよ。アハハ!楓ちゃん、こんなんでごめんね。」


楓「夕君…私は、私は嬉しいよ!靴下脱ぐのは分かんないけど、うん、でも嬉しい!」


泉「お兄ちゃん。たぶん間違ってるよ。それ。らしいけどね。」


夕「…ムズいな。ま、いいか。楓ちゃん!こっち来て!お父さんに紹介する!」


楓「う、うん!ありがとう!」


2人が仏壇に向かって手を合わせている。私も、泉も並んで手を合わせた。(楓ちゃん。素敵な子だな…。まずは謝る所からって…普通は思えないよね。あの年で、凄いな。しかも、誠心誠意、心の篭った謝罪だった。大人にありがちな打算がない純粋な謝罪。感動すらした。楓ちゃん。ありがとう。夕のフィアンセと認めるような、上から発言しちゃったけれど、本当はこちらから土下座してでも頼みたいくらいよ。まだ嫁って言うより娘が一人増えたって感じだけど、嬉しいな。夕がヘマして愛想尽かされないといいけれど…。ねぇ、あなた。羨ましいでしょ?ふふっ♡)


この日は、お昼を食べて、ママン(フランス語でお母さんの意、翠さんだと他人みたいだし、ママだと家とカブるので、お母さんと悩んだ末、本人がママンがいいと言ったのでそう呼ばせて貰う事にした。)と泉ちゃんと夕食の買い出しに行ったり、夕食を作ったり、だいぶ打ち解ける事が出来たと思う。昼に闘病の話になったらめちゃくちゃ泣いてくれて、凄く心配してくれた。『家族同然と思うこととします。』嬉しかったなぁ。2年前、夕君を苦しめてしまった負い目をずっと感じていたから、許して貰えるかは分からなかったし、最悪交際を認めて貰えないかもしれないと思っていたから…。夕君へ告白した後、渡仏の事を打ち明けた時と同じように、まるで私を包み込むような言葉をくれた。親子なんだな…って思った。


今は、夕食後に泉ちゃんと夕君が自宅の近所まで送ってくれて、先程またねをしたばかり。明日からも通い妻をしたりお泊りしながら試験に備えるつもり。昨日と今日で、仮ではあるが母と夫と妹が出来た。友達も一気に3人出来た。凄いな…怖いくらいに幸せだ。


家に入ると、ママもパパも笑顔だった。どうやら、私がニッコニコしていたからみたい。眠りにつくまで、昨日と今日の話を2人にした。そしたら、私があまりにも嬉しそうに話すものだから、まるで口から幸せが溢れてきているみたいだよってママに言われた。ちょっと照れた。でも、2人は夕君がいたから私が頑張れたことを知っているので、私の話を涙を流して喜んでくれた。パパも、紹介が済んだら、同棲でも何でも好きにしなさいって言ってくれた。生きてて良かった。産まれてきて良かった。思わず、2人に産んでくれたことを感謝した。


頬が紅く染まったモミジのようで、楓と名付けた愛しい娘。病気が発覚してからは、丈夫に産んであげられなかった自分達を呪った。すがる思いで、他者に頼る事しか出来ない事を悔やんだ。けなげに、気丈に振る舞う娘を見ては心が叫んだ。命だけは、命だけはと願った。たとえ眠ったままだとしても、このまま命さえ無事ならそれで良かった。


来なかったかもしれない未来の上に立ち、さらにその先を見る事の出来る幸せ。


今、娘が笑い、未来を語った。

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