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 背後、音にもならない、だけど肌で感じられる低音の地響き、同時に去来する風はヤバさの証明だった。


 そちらへ向かうは愚策、しかしこの地下通路、歩いて見てきた限り左右への道はなく、上下のハシゴも降りてきたところ以外にはなかった。


 ならば愚策を犯してでも戻るべきか、逡巡の間にチラリ、向こうで動くものがあった。


 現れてはすぐに日陰に隠れ、けれども確実に近づいてくる何か、必然身構える。


 そして視認できる距離となった時、先に声をあげたのは向こうだった。


「あ! いた! ショートなんとかアイスティのお客様! お会計お忘れですよ!」


 状況が見えなさすぎて逆に恐ろしい感じになってるあの使えないウェイター、この状況で代金に執着する点だけは見事ではある。加えてここまで無事に来られてるあたり、実はやればできるやつだったのか、思い直してたらコケて潰れた。


 ボギボギゴキブギョゴボボキボキゴガァベキベキ。


 最初は傾斜の勢いに躓いて、だけど踏みとどまって、けれども残った後ろ足の踵から足へ腰へ背中へ首へ、そして伸ばした手の指先まで、丹念に平らにしながら転がるはドラム缶だった。


 赤錆色の表面、人二人は入る大きさ、人一人轢き潰せる重量、中身がなんなのかはわからないが、こんな地下に貯蔵されてる段階で危険物質なのは間違いない。それがこの傾斜でゴロリゴロリ、小音にて迫っていた。


 一つの高さは膝あたり、飛び越えることもできなくはないがその数、膨大、重量含め轢かれたウェイターはぺしゃんこになったか、赤い血だまり以外は見えなくなっていた。


 あぁはなりたくない。


 ならばと能力発動、ドライアイスを展開する。


 技名もない物量ゴリ押し、ありったけを作り出して地下通路を埋め尽くし壁とする。流れる冷たい空気、曇ってるけれども透明な結晶、光の乱反射の中で激突の瞬間が見えた。


 ゴス、という音、ゴゴンという音、そしてギギギギギと響き渡る金属の悲鳴、急激に冷やされたドラム缶が軋む音が地下に響き耳に刺さる。


 それでも止まらない。


 減速こそしたが次々追加されるらしいドラム缶の勢いに、ドライアイスの壁自体が押され、同時に亀裂が走る。


 ここまま壁ごと押しつぶされるか、砕かれて押しつぶされるか、どちらにしろこのままでは押しつぶされる。


 ならば道はひとつ、敵を倒して先へ進むのみ、判断より先に体が動いていた。


 ドライジャベリン乾冷槍、腕一本入るかという中空の円錐に粉のドライアイスを詰めて具現化、気温との温度差により粉が気化して体積を膨張、その圧力を持ってして推進力とする。遠距離貫通の打撃技、視認はできても回避は困難な速度で飛来する飛び道具に、しかし作業員は動揺もしなかった。


 ただ下げてた頭を上げて、手にしてる赤い棒を振るうやドライアイスは軽々粉砕された。


 ドライアイスのモース硬度は2、石膏と同程度、人の爪が2.5なのと比べればかなり脆い方、重さも水に沈む程度でしかない。それでも慣性乗った一撃を片手一振りで砕かれるのは、実力の高さを思い知らされる。


 手強い相手、それでも道はない。


 構え、次の一手を選ぶ刹那、背後より転がり足元に落ちたのは、ドライアイスの欠けらだった。


 そうすべきでないとわかっていても、振り向かざるをえなかった。


 低温の壁、曇った透明、そこにピシリピシリ、音はなくとの伝わる亀裂、そして崩壊は一瞬だった。


 ドフゥ、襲いかかる冷風、地震がごとき地響き、そして殺到する破片とドラム缶、真っ平ら確実、即死確定の事故を前に、俺は保険をかけておいて良かったと微笑んでいた。


 迫る脅威がドゥ、と落ちた。


 続いて一瞬の静寂、それから弾けるはドドドという轟音、まるで滝のようだった。


 ……例えが陳腐になるほど、俺は驚いていた。


 いや誰だって驚くだろう。


 迫るドライアイスとドラム缶、押しつぶされるかもという大ピンチ、物語としてはクライマックス、なのにそのオチが伏線も布石もなく、いきなり床が抜け、差し迫る脅威の全部が下へと落下して難を逃れただなんて、誰に言っても信じはしないし、シナリオとしては最底辺だ。


 それが、目の前で起こった。起こってしまった。


「……これは」


 全部が落下し終わり、何もかもが突如の穴の底に消えた後、作業着姿が、初めて感情を込めた声で呟く。


「これも、事故か?」


 一言、全部がわかった。


「これは、お客様には適用できないと思うのですが、ここからでも入れる保険があるんです」


 口から出るのは職業病、相手が敵であり、人でなく、客になり得ないとわかった上で、説明をしてしまう。


「ZAP保険と言いまして、一種の死亡保険です。死んだら保険が出るやつなのですが、これを本人が受け取ることができるんです。どういうことかと申しますと、万が一死亡してしまった場合、我がpwcの最新技術によってその記憶をサルベージし、新たなクローンの体に移植、復活できるというサービスなんです。オプションとして美容整形や各種治療、若返りに性別の変更、さらにはステータスの振り直しも行えます」


 自然と浮かぶ営業スマイル、滑らかに回る舌、並べられる美辞麗句に、これまで何も読み取れなかった作業着の姿からほんの僅かな揺らぎが感じられた。


「つまり


「正しくは予測、ですが、そうです。その通りとも言えます。そして私は焼け太り損ないました」


 これは、定義というか概念の問題だった。


 そもそも事故とは、予想外に起こる良くない出来事、と言える。


 例えばカフェで注文を間違えられるのも事故の一種と言えるだろう。


 だけど、それが結果良いものだったならば、上質の豆だったりサイズが大きかったりケーキが付いていたり、注文以上が来たのなら、そして支払いが変わってないのなら、それを幸運とか奇跡とか呼んで、少なくとも事故とは言わない。


 逆もまた同じ。


 一見すれば転がるドラム缶に阻止しきれなかったドライアイスの壁、押しつぶされることは良いことではないけれど、そこにpwcの保険が入れば逆転する。


 潰れて痛いのは良くないが、その後の保険金等を考えれば何度でも経験したくなるラッキーイベントだった。


 つまりここで心身にダメージを受けることは事故とはならない。むしろ高い保険入って何もないことの方が事故だった。


 目前まで事故りかけてたのは保険加入の手続きによるタイムラグか、あるいは諸共落ちていったウェイターの事故がたまたま目の前で起こっただけなのか、兎にも角にも事故は起こらなくなった。


 ならば次は儲け話だ。


 俺は改めて作業着姿へ身構える。


 事故を誘発する能力、あるいは存在含めてそういう現象なのか、何にしろ利用価値は高い。兵器にも商品にも保険金詐欺にも使える。


 これを捕獲ないし篭絡できれば今年一杯のノルマは考えなくて済みそうだ。


 ダメ元で言葉を選び、声を作る。


「あな」ガッゴン!


 音、振動も風もなくただそれだけの音だけで、またも床が抜けた。


 まるで切り取ったかのようにマンホール状の丸い穴、作業着の足元くるりと囲って、ボッシュートされってった。


 言葉も余韻もない退場、一瞬遅れて慌てて追いかけ穴を除くも、今度はあの赤い棒の光すら見えなかった。


 一人、残されて、なす術なく、何か叫びたいのに声も出ない。


 ただ頭の中は冷静に、やるべきことだけがくっきり残っていた。


 即ち保険の解約、こうなった以上かけ続けるのはコストでしかない。それも、社員割引だから一日耐えられるが、二日目は絶対に無理な金額、請求される前に手続きしなければならない。


 ため息。


 やること、やるべきことは全部頭に入っているが、それ故にその量の膨大さも入っている。間違いなく徹夜、それもミスなく完遂できたとしてもプラスにはならずただマイナスにならないだけの作業が待っていた。


 ……まぁ、それでも、逆バニーよりはマシだろう。


 自分を鼓舞しながら、俺はタバコを取り出した。


 全部折れてて吸えたもんじゃなかった。

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