第8話 魔王は町に、勇者は家に

「なぁユウよ、われは野菜を欲している」



 この日は魔王のそんな一言から、一日が始まった。

 

 

 勇者は「野菜」という言葉にビビっと反応する。要は「えっ!? オレもっ! オレも食べたいっ!」と思ったのだ。

 


 二人の日々の食卓に並んでいるのは、森の恵みが中心である。かつて『ネメア』というおぞましい化け物だったもの――通称メアちゃん(勇者命名)が狩ってきてくれる動物と、魔王が時折ときおり採集してくる野草やそうがその恵みの詳細だ。

 確かに野草も野菜に限りなく近いものではあるが、食してみれば別物べつものであると思えてしまう。現にこの二人はそう感じているのだ。



「初めてです、マオさんの気まぐれに共感したのは」



 例によって、くつろいでいた勇者がグッと体を起こす。



「余計な言葉はいらぬ」



 勇者の小言こごとに苛立つというよりも、面倒くさそうに反応し受け流す。

 


 ここは人間界。『野菜を手に入れる』という問題は、悪魔である魔王には解決するのは難しい。

 よって魔王は人間である勇者に策を求めた。



「で、ユウよ、どうする?」

「どうしましょう。どうしますか?」



 勇者も悪魔である魔王に策を求める。



「……少しは考える所作しょさを見せろ。ふむ……。ここはいさぎよふもと青果店せいかてんを利用するのはどうだ?」



 魔王が提案するのは、二人が住んでいる山の麓にある町の青果店の商品を買い求めるというもの。

 ただ、勇者は否定する。



「それはダメです。知ってますよね? オレたちには確かにお金はありますが、そもそもの収入源がゼロなんです。つまりお金に頼る策は、愚策ぐさく以外の何物でもありません」


 

 勇者はまるで歴戦の知将ちしょうのような面持おももちで「収入源がゼロ」というおろか過ぎる事実を述べる。



「そうか。では、われら二人で畑を営むのはどうだ? もちろん私用しようの、小規模のものだ」



 実に現実的な策である。すぐに手に入れることはできないが、長い目で見れば、非常に経済的な提案。小規模ならば、初心者であろうと取り組みやすいはず。

 魔王はそう考えた。

 


 しかし、その軽はずみな発言を勇者は許さなかった。



「――それは却下だ」



 勇者は凄み交じりに拒否する。一体全体、いつ以来の『凄み』だろうか。

 もちろん魔王も凄みを返す。



「――ほう。なぜだ?」

「畑づくりを……農業を……舐めちゃあ、いけません。相手にするのはこの世の何よりも恐ろしい『自然』……そのものなんです。夏は暑さにもだえ、冬は寒さにこごえる。たった一日の自然災害で全てが……本当に全てが無駄になることだってある。そして何よりも……腰が終わる。父さんが身をもって教えてくれたことです……」



 勇者は身を震わせながら語る。

 おびただしい数の魔族を目の前にしても、神話級の魔獣に襲われても、最強の魔王を相手取っても、一度としておびえることはなかったのに。



「そ、そうか。……ん? ぬしの父は農家だったのか?」

「はい。そうです。オレは農家の息子です」



 ユウはとある王国にある小さな村の農家の息子。一体なぜ彼が勇者になったのか。

 


 勇者の言葉を聞いて、魔王はあることに気づいた。



「ならばぬしには農業の経験があるのではないか?」



 農家の息子ならば当然、将来は農家になるべく育てられ、相応そうおうの教育を受けたはず。経験があれば畑づくりの難易度も下がる。

 そう魔王は考えたのだ。



「いえ全く。遠目に見てただけです」



 勇者はほうけた顔で答えた。



「……は? なぜだ。手伝うことはなかったのか?」

ことごとく断りました。逆にオレがそんな大変なことすると思うんすか? まだ全然オレのこと分かってないですね」


 

 魔王は勇者の何故か上からの発言に頭を抱えるが、同時に新たなことも見えてくる。

 勇者はいわゆる『燃え尽き症候群』が故に無気力なのではなく、ただの根っからの『怠惰たいだな人間』であるということ。

 しかし、そんな魔王の冷静な分析もむなしいものである。



「もうよいっ! われが一人で畑を営む。農業の経験すらない貴様に『畑をめるな』などと言われて誰が鵜呑うのみにするものか。我は最もしたたかで、最もさとい悪魔だ。我に不可能なぞないっ!」



 そういって魔王は行動を開始した。

 勇者は自らの価値のある忠告を聞こうとしない魔王に苛立いらだちを覚える。

 


「へーい。そうっすかー。せいぜい頑張ってください、強くて賢い悪魔さん。オレはオレでもっと画期的で安定的な方法を探しておきますよー」



 勇者は魔王をあおあおる。

 魔王は「フンッ!」と強く鼻息を吐いて、外へ出て行った。



 家に訪れる静寂。ぽつりと一人残るは勇者。



「あれ? 大丈夫だよな? あの人」



 彼女は一応、魔王。泣く子も黙るというより、泣くことも黙ることも許さない、恐ろしき魔王だった。

 そんな彼女が町の一般人と深く交わるようなことがあっていいのか、と勇者は不安に、疑問に思う。



「んまぁいいや」



 しかし、ただ思うだけである。何も行動することはない。


 

 魔王は情報集めのために山をくだり、勇者は昼寝のためにベッドに入ったとさ。

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