15分で読める淡い百合両片想い

水色桜

第1話

セミロングまで伸びたうねりのない黒髪。くるりんぱハーフアップという髪型が彼女の性格をそのまま表しているようだった。常に背筋の伸びた姿勢、ふとした時に現れる嫋やかな指運び。そのすべてが私の視線をつかんで離さない。まるで同じ世界に生きていないような彼女に私の心は張り裂けそうなほど高鳴っていた。これは彼女と私のひと夏の思い出のお話。

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 夏休み初日、じりじりと照り付ける日差しにうんざりしながら学校へ向かう。まだ歩き始めて5分だというのに前髪は水分を含んで重くなっていた。左手でなんとか前髪を戻そうとするが、もうすでに直る気配は全くなかった。夏は苦手だ。前髪は朝どれだけ綺麗に整えても乱れるし、自分が汗臭くないか終始気になって仕方ないから。なぜ夏休み初日に学校へ向かっているかというと、それはこの前の期末テストで数学と英語で赤点をとってしまったからだ。きっとテスト前に好きな冒険RPGが出たのが原因だろう。勉強時間を極力減らしてゲームに夢中になってしまった。要するに自業自得なわけである。学校につくと、職員室に向かう。教室はエアコンが入らなく暑いからという理由で、河合先生が職員室で補習をしてくれることになったのだ。職員室のドアを横にスライドすると、一気に冷気が体全体に押し寄せてきた。河合先生の教卓は左の列の一番奥。職員室の扉の近くに立てかけられていた折り畳み式の椅子を手に取り、河合先生のもとに向かう。

「おはようございます。職員室はいいですね。教室にもエアコンつきませんかね。」

「おはよう。まあ予算の関係上難しいだろうな。ところで宿題にしてたプリントはどのくらい解いてきた?」

「あーえーと…一問目は解きました。でもちょっと難しくて…」

「まあそんなことだろうと思ったよ。それじゃあ一緒に解いていこう。」

半ば呆れながら河合先生が言う。河合先生は私のクラスの担任兼数学の先生だ。生徒に対してはいつも優しく、いつも笑っている印象がある。今もプリントをほとんど何もやっていないのにも関わらず笑って許してくれた。補習の先生が河合先生だということが唯一の救いだ。

「じゃあまずこの因数分解の問題から…」

みっちり一時間補習を行い、どうにかプリントが解き終わった。どっと疲れた気がする。どことなく頭が痛いのはきっと気のせいではないのだろう。今日は補習以外に予定はないが、せっかく学校に来たのでヴァイオリンの練習をしようと楽器を持ってきていた。予め音楽練習室3(ピアノが備え付けられていない部屋のため人気がなく、空いていたのだった)を予約しておいたので、音楽練習室3のある第二校舎に向かう。階段を一つ下がり地下一階に差し掛かると、どこからか歌声が聞こえてきた。音楽練習室があるのだから歌声が聞こえてくるのは決して珍しくない。しかし、今日聞こえてきた歌声は600Hz(高いレの音を超えるくらい)を超える高さにもかかわらずどこか奥行きのある声で、透き通るような音色だった。こんなに上手な生徒がこの学校にいたなんて。私はこの声の主にすでに心をつかまれていた。よく耳を澄ますと声は音楽練習室6から聞こえてきているようだった。音楽練習室の扉にあるガラスの部分から中をのぞくと、声の主が目に入った。彼女はセミロングまで伸びたうねりのない黒髪で、背は多分160cm後半くらいだった。顔立ちは目鼻立ちがしっかりしていて、はかなげな印象があった。きっと100人いたら99人が美人だというだろう。くるりんぱハーフアップという髪型が彼女の性格をそのまま表しているようだった。常に背筋の伸びた姿勢、ふとした時に現れる嫋やかな指運び。そのすべてが私の視線をつかんで離さない。まるで同じ世界に生きていないような彼女に私の心は張り裂けそうなほど高鳴っていた。

「誰?さっきからのぞいてたみたいだけど。」

どうやら気づかれていたみたいだ。

「私は2年の三島由紀。とってもきれいな歌声だったからつい気になっちゃって。あなたは?」

「私は望月奏。同じく2年。のぞき見はあまり感心しないわね。それはヴァイオリンそれともヴィオラ?」

「それはごめん。これはヴァイオリンだよ。室内楽部に所属してて、時々コンサートもしてるんだ。もしよければ奏の歌もう少し聞いていてもいい?」

そういうと奏はすこし眉をひそめて言う。

「人に見られながら歌うのは苦手だから。それにあなたも練習しに来たのでしょう?だったら練習すべきだと思うのだけど。」

冷たく言い放つ。どうやら不快にさせてしまったみたいだ。もう少し聞いていたかったが、断られてしまって仕方ない。素直に引き下がり、私は音楽練習室3で練習を始めた。次のコンサートまではあと約1か月。課題曲はライネッケの作品83第四楽章だ。ヴァイオリンは高音が主題で頻出するため、高音をどれだけ綺麗に弾くかがカギになる。その点先ほど聞いた奏の高音は私の理想そのものだった。もちろんヴァイオリンと声楽では違うということも分かっているのだけど。その日はみっちり2時間ヴァイオリンを練習し、帰路についた。

 次の日、河合先生に奏について聞いてみることにした。あれだけ上手なのだ。きっと校内では有名に違いない。

「河合先生、望月奏さんって知ってますか?歌がとても上手な生徒なのですが。」

「奏は知ってるが、歌が上手なのは知らなかったなぁ。奏は勉強はできるが、常に一人でいる生徒でな。ちょっと心配ではあるかな。もし奏が気になっているようなら仲良くしてやってほしい。」

「任せてください!私人と仲良くなることとヴァイオリンは得意分野なので!」

「もう少し数学のほうも頑張ってほしいがな。」

また半ば呆れたように河合先生が言う。その日も音楽練習室3で練習しようと第二校舎に向かうと、あの歌声が聞こえてきた。私ははやる気持ちを抑えながら音楽練習室6に向かう。

「おはよう。今日も練習?今日は聞いててもいいかな。奏の歌綺麗だから聞いていたいんだけど。」

「だから人に聞かれるのは好きではないのだけど…」

「ダメなの?ちょっとへこむな~。せっかく今日も会えたのに!」

仕方ないので引き下がることにした。私もヴァイオリンの練習をしないといけないのだ。

 次の日も補習終わりに第二校舎に向かうとあの歌声が聞こえてきた。三日連続となるといっそ運命なのではないかと思えてくる。今日こそは奏の歌を聞いてやると決心する。音楽練習室6に向かい、奏に声をかける。

「おはよう!今日こそは聞いていい?」

「毎日毎日飽きないわね。聞かれるのは好きじゃないって言ってるのに。」

「もう三日目だよ!今日こそは絶対聞いてやるって思ってるんだから!」

「あーもう!そこまでいうなら聞いてたら。」

「ホント!?ありがと!」

音楽練習室の入り口近くに立てかけてあった折りたたみ式の椅子を広げ、腰かける。音楽練習室から漏れ出た音ではなく、生で聞く奏の歌はいっそう美しかった。それだけではない、息遣い、姿勢、指の動き、目線、そのすべてが嫋やかで美しい。ほんとに見とれてしまうとはこのことをいうのだろう。ふいに歌声が止まる。

「あなたもヴァイオリンを持ってるなら一緒にやらない?」

「いいの?やったー!何を演奏すればいい?」

「あなたに任せるわ。」

「えーとじゃあ最近人気のシャドウハーツの『涙の後に』とかはどう?」

「いいわ。それにしましょう。」

シャドウハーツは女性4人組バンドで突き抜けるような高音が特徴のバンドだ。絶対に奏の歌声に合うはずだと思った。演奏が始まると私はヴァイオリンがあまりに大きく共鳴していることに驚いた。そして、私が想像した以上に奏の歌は素晴らしかった。

「ねえ今度一緒に文化祭に出ない?私奏の歌すきだなぁ。」

「そっそう。ありがと。」

奏が顔をそらしながら言う。また怒らせてしまったのだろうか。

「でも出ないわ。私の歌を聴くのは由紀だけで十分だから。」

その日以来、定期的に奏とあって演奏をするようになったのだった。

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