第12話 悪役令嬢だけど原作開始前だから準備したい!


 一人の少女が机にかじりついていた。

 首をかしげ、時に何かを書き込み、また思い悩み。


「え~っと、ヒロインは私のひとつ下で五歳だから、今のアリザリンの動きは……」


 真剣に何かを書いている彼女がただの少女でないことは、使っている机だけでなく、他の家具や部屋の内装の上質さからも明白だった。

 もちろん家具だけでなく、彼女が身に付けている部屋着用のドレスも、最高級の布が当然のように使われている。手に持つ万年筆や、真っ白な紙が惜しげもなく使われている帳面も、平民が見たこともないような品々だ。

 それもそのはずで、王家に男子しかいない現在、彼女はこの国で最も高貴な姫君と言って良い少女だった。


 王国宰相と王妹の娘。公爵令嬢にして、未来の王太子妃たるアリザリン・エルメリア・フォン・フォニーレン。

 いまだ六歳の少女ではあるが、その価値ははかり知れぬほど。現王の息子は二人いるが、彼女を娶る方が王太子でなければならないとまで言われている存在だ。

 しかしその高貴なる少女は今、机に向かってうんうんと唸っていた。


「お母様が亡くなるのが、私が七歳になった頃だから次の秋でしょうね。たぶんそれを阻止できればオフィーリオが養子入りしなくても、そのうち実の弟か妹ができるかもしれないわ。物心つくまで他人だったオフィーリオより、産まれてから優しくしてあげた子の方が扱いやすいはず」


 そう、彼女は普通の公爵令嬢どころか、普通の人間ではなかった。

 六歳にして異世界の記憶を思い出した、いわゆる転生者と呼ばれる存在だったのだ。

 しかもそれだけではない。

 彼女の前世が生きていたのは魔法の代わりに科学が発達し、平民が主権を握る国。そして貴族なぞおとぎ話のような感覚だった彼女が、文字通り絵空事として楽しんでいた電子遊戯ゲームは、略して『キミカガ』というタイトルだった。

 このゲームこそが、この世界でアリザリンが関わる出来事を描いたもの。

 つまり彼女の持つゲーム知識は、未来予知や千里眼に等しいのである。


「婚約破棄……は下手したら貴族における破滅だから、せめて穏やかに婚約解消ルートを開拓したいところね。悪役令嬢わたしじゃあ恋愛面でヒロインちゃんに勝てる気はしないし」


 しかしその知識は、アリザリンの約束された輝かしき未来が崩壊する可能性を強く示していた。


 いわく、アリザリンはこれからどんどん積み重ねていく己の悪行の結果として、数年後には婚約者の王太子に嫌われることになるそうだ。

 しかし彼女は行いを改められず、悪心のまま行動する。そしてヒロインちゃんルビア・アルギムを苛め倒し、最終的に王太子から婚約破棄されてしまうのだ。

 解消ではなく破棄。それが認められてしまえば貴族社会では死んだも同然だ。だからなのか、ゲームのアリザリンは自分に付けられた瑕疵に我慢ならなかったようで、大人しく反省するどころか敵国と通じて侵略を手引きする始末。

 挙げ句に魔女を名乗り、この国ソルシエラの全てを破壊しようと猛威を振るうのだから恐ろしい。

 しかし恐るべき魔女アリザリンは、聖女ヒロインや他の主要キャラの抵抗により、打ち倒されるという結末を迎えてしまうのだ。

 いやまあ、打ち倒されなければ国が滅び、大陸も滅ぶだけなのだが。つまりゲームオーバーかゲームクリアか、という話だな。


 以上が前世いわく、アリザリンの辿る運命の中で最も可能性が高い未来だという。


 成人していた前世の人格から言わせてもらえば、そんな未来はお断りである。正直に言えば、自分の破滅や国の破滅でまともな生活ができなくなるのも、王妃になっていらぬ気苦労をするのも嫌だった。

 別に、主人公に何かしら思うところはない。この国が不安定にならない程度に活躍し、もし恋愛するならば好きなキャラと結ばれ、勝手に幸せになってくれてもかまわない、という考えだ。

 自分に迷惑が掛からなければご自由にどうぞ。


 やり込んでいたゲームとは言え、彼女は主人公やキャラクターより世界観の方を好んでいたようなプレイヤーだったので、人物に対してはその程度の思い入れしかない。

 それどころか、なりたいものは高等遊民ニートとまで言い切る、ものぐさな性格の前世だ。しかしそんな性根でも、ゲームをやり込んでいた記憶は今や千金にもまさるもの。

 予告された破滅を回避し、この世界で最もその立場ニートに近い『王妃ではない高位貴族の奥様』を目指して、彼女は頑張ることにしたのだった。

 今どき聞かない言葉だが、つまり有閑マダムという存在である。娯楽と社交で生きていたい。いや、社交もいらないからニートが良いです。


「再度婚約するにしても、親の協力は不可欠だわ。やっぱりお母様には生きていてもらわないと。そうなると義弟はできないから、最初に関わる主要キャラは従者のルディになるのかな?」


 そんな彼女はまず、自分の知識を前世の言語で書き記すことにした。

 それは荒唐無稽な内容がバレても夢日記と誤魔化すために、鍵付きの日記帳まで入手してから取り組むほどの本気ぶり。


「たしかルディは、九歳の誕生日プレゼントとしてお父様がアリザリンに与える平民出身の従者……人権の概念が見事に死んでるわね」


 さっそくとある主要キャラの、原作における情報を記憶から引っ張り出す。


 ルディ。フルネームはルドルフ・ミュラーだが、設定資料でやっと出てきた名前であるため、ほとんどのファンはルディを名前だと思っている。

 ポジションを簡潔に言えば、公爵令嬢の従者奴隷

 そして黒い髪と金の瞳をしていることから、黒猫不吉の異名を持つ暗殺者でもある。


 彼はゲームの主要キャラのひとり。

 しかしシナリオの展開において、ヒロインルビア・アルギムが恋愛対象にする確率が低いキャラである。

 だが彼女が結ばれる確率が最も高い王太子シルヴィールと関わる過程で、王太子の婚約者アリザリン・フォン・フォニーレンの従者である彼もヒロインと接触することになる。

 冷酷な暗殺者でもあるルディの攻略は大変だが、友好度を上げたヒロインが彼のトラウマを癒すイベントをこなしてしまえば話は変わる。その後にヒロインが誰と結ばれようが関係なく、彼はヒロイン過激派の男になってしまうのだ。

 そして彼女の味方としてその有能さを発揮し、アリザリンの邪魔をしてくる獅子身中の虫となる。


 ヒロインからすれば掛けた手間に見合うメリットのある良いキャラだが、悪役令嬢アリザリンからすれば奴隷紋に繋がれた狗の癖に、優しくしてくれただけの女に尻尾を振って頭を擦り付け、挙げ句に本当の主人の手に噛みついてくる厄介な男と言えた。


「扱いが難しいのよね」


 もはやアリザリンは本来の人格ではなく、日本人の前世を持つ成人女性の『彼女』に成り果てている。ならばルディがヒロインに癒される前に、まずトラウマを作らなければ良いのではないか。

 ……そうは問屋が卸さなかった。

 まず彼のトラウマは、悪役令嬢アリザリンだけが作ったものではない。そもそも彼女の元にやってくるまでに、彼はトラウマをこさえていた。

 それこそゲーム開始の時点で、死んだ目で暗殺任務すらこなすようなキャラクターになってしまうほどの。


「でもそんな暗殺者のガワが剥がれて出てくるのが、不憫な過去と献身的な性格……人気にならないわけがないのよね。ルディは沼が深すぎて、夢とか腐とかキャラ救済とか、二次創作がかなり多かったもの」


 流れるように、その半生を記した設定資料集のページが頭に浮かぶ。


 そもそもルディもといルドルフ・ミュラーという少年が平民でありながら名字を持つのは、その出自が関係していた。

 彼はもともと、王都に住むミュラー騎士爵の息子のひとりだった。騎士爵は世襲できない準貴族の階級だが、騎士本人が生きている限り、その家族も準貴族として名字を名乗ることができる。

(正当な貴族は騎士の職に就いていたとしても、準貴族である騎士爵は持たない。つまり血筋はないが有能な者が貴族社会に身を置くための爵位でしかない。)


「けれど彼は三歳でお金のために売られ、借金奴隷となった」


 騎士ミュラーには三人の息子と一人の娘がいた。

 上の息子二人は騎士となれる才能を持っていたが、ルドルフは年齢にしては小柄で、魔力はあれど騎士に必要な剣の才能がなかった。

 そんな時、ルドルフの妹が病気になってしまう。

 妹はミュラーの一人娘であり、彼は昇進のためにも上司である男爵の息子に、第二夫人として自分の娘を嫁入りさせたいと思っていた。

 つまりミュラーにとって、みそっかすにしか見えない末息子より、ささやかながらも政略結婚に使える娘の方が価値があったのだ。

 だから治療費のために売られた。


「そして彼を奴隷商人から購入した男は、空き巣のプロだった」


 彼はまだ三歳のルドルフを助手と呼び、様々な技術を教え込んではこき使った。しかしこの後を思えば、まだ良心的な持ち主だと言える。

 助手と呼ばれていたのが弟子と呼ばれるようになり、ルドルフは男から才能があるとまで言われた。そして彼が空き巣の技術をあらかた習得したのが五歳の頃。

 そのタイミングで、空き巣の男は捕まって縛り首となった。

 本来なら反抗防止のため、借金奴隷は主人が死ぬと同時に死亡する。しかし男は自分の死後、ルドルフを解放するように首輪の設定を変更しておいたらしい。

 ルドルフは解放され、さ迷っていたところを保護されて孤児院に入れられた。


「たしか一年くらい、孤児院にいたのよね」


 ちなみに、偶然にも同じ孤児院にいたヒロインと、この時点で何かしらの関係が発生するのはルドルフのルートのみ。

 彼のルートに入らなければ「関わりがあった過去」そのものが存在しないことになる。


「まあ、過去関連で起きるのも小さなイベントだから、ヒロインがルートに入っても入らなくても本編に影響はなかったはず」


 さて、孤児院に入ったルドルフだが、二年間も空き巣に育てられていた才能ある少年が普通に暮らせるわけがなかった。


「まず彼は空き巣の男に、教養や技術があればお金を楽に稼げるし、お金があれば幸せになれると教えられていた」


 そして治療費のために売られた自分は、お金さえあれば家族と共に幸せに暮らせたはず、と考えた。

 だからルドルフは空き巣やスリを繰り返し、お金を貯めて王都にいる家族の元に帰り、学校に通ってマトモな職で稼げるようになる、という将来を描いていた。


 しかしとある商会に忍び込んだことで、彼は再び不幸の坂道を転がり落ちることになる。


「ノベライズされた時の過去編、全年齢版オ◯ガキ分からせ短編や、モザイク付きショタリ◯ナ小説なんて言われてたっけ」


 その日、ルドルフが侵入したのはフィカス商会の支店だった。

 フィカス商会は貴族とも繋がりを持つ大商会である。

 また違法行為により新魔法『隙間スリット(魔力で包んだ物を異空間に収納する)』を開発し、報告義務をおこたり秘匿しているような店でもあった。

 そんな場所に忍び込んだルドルフは『隙間スリット』の魔法習得紙カンニングペーパーを見付け、金貨をより多く盗み出すために自分に対して使い、魔法を習得する。

 そして金庫がある場所に向かい、厳しい警備をどうにかするために、自作のマジックアイテムを囮にして隙を作り出そうとした。

 しかし囮作戦は失敗し、ルドルフは警備に捕まってしまう。


「普通なら殺されるところだったけど、新しい魔法が使える貴重な人材だからと、彼は生かされることになった」


 訓練なしで魔法をすぐに習得できるのが魔法習得紙カンニングペーパーというマジックアイテムだが、使う人間に充分な適性がなければ魔法は習得できない。ただアイテムを消費しておしまいとなる。

 そして『隙間スリット』は高い適性だけでなく魔力量も必要になる魔法だった。

 魔力量が乏しい平民では適性があってもろくに使えず、魔力量が高い貴族でも適性がなければ習得できない。開発したフィカス商会でも、使用できる人間はルドルフを捕まえるまで皆無だったほどである。

 だから魔法を習得した彼は殺されず、フィカス商会に所有されることとなった。


「公認の犯罪奴隷と同じく奴隷紋で支配された彼は、様々な汚れ仕事をさせられるようになる」


 それだけでなく、成長期前の魔力量を無理やり押し広げるような違法薬物の投与。マジックアイテムによる洗脳と虐待による洗脳の繰り返し。その他様々なエトセトラエトセトラ……。

 ノベライズはゲームの脚本家が担当したという話だから、公式がアレな性癖の限りを尽くしたと大変話題になっていたのを覚えている。


「そうして半年ほど経ち、商会は違法行為があかるみとなって潰された」


 潰したのは宰相……フォニーレン公爵だ。

 そして押収された魔法『隙間スリット』は危険視され、この魔法を知る商会の人間は全て処分。魔法自体は国の暗部にて秘匿されることになる。

 なにせこの魔法、使いこなせればちゃちな窃盗から密輸、犯罪の証拠隠滅から要人の暗殺まで可能にしてしまう厄介なものだったのだ。

 有用な魔法だが、野放しにできるはずもなく。

 当然この魔法を使える人間も、決して自由にはできなかった。

 商会も同様に考え、魔法を習得した者は全て奴隷紋で縛っていたほどだ。そして公爵は奴隷たちを丸ごと手に入れ、使えない者は処分し、使える者は諜報部員として鍛えることにした。

 その中から年齢を理由に選ばれ、公爵の愛娘アリザリン護衛肉壁を兼ねた小物入れスリットとして教育されたのがルドルフだった。


「そしてルディの心を根元からブチ折り、完璧な人形に仕立てるために、公爵は彼を家族と引き合わせた」


 奴隷は命令されれば嘘をつけない。

 記憶力が良かった彼は、もちろん家族の名前も居住地も覚えていた。

 そして彼が盗みをしてまでも、家族の元に帰りたがっているという望みすら、しっかりと聞き出されていた。


「家族が引き取りたいと言えば、奴隷紋は外せなくても成人するまで家で暮らせるようにする……なんてお父様公爵は言っていたけれど、そもそも彼の家族は初めから買収されていたのだから、彼自身に家族から捨てられたという事実を刻み込む儀式みたいなものだったわけで」


 ルドルフは家族の前に連れていかれた。

 家族は彼を引き取らず、絶縁を宣言した。

 ゆえに彼は寄る辺をなくし、目論み通りに公爵家の忠実な人形となった。

 そしてルディという名前は、公爵が気に入ったペットの完成を祝い、付けた愛称である。

 設定がやべぇ。


「……二年後と言っても、そんな状態の子供がやってくるなんてどうすれば良いのよ。カウンセリングなんてできないし、いっそ必要ないと言ってしまえば、お父様自身の従者にしてもらえないかしら」


 かわいそうがかわいいのは、それがキャラクターだからだ。

 リアルで悲惨な目にあった子供が死んだ目で自分に仕えてくるなんて、精神的な負担が大きすぎる。

 ただでさえアレなルドルフの精神を追加でリョ◯れるのは、サイコパス疑惑のある悪役令嬢であって、前世日本人だった『彼女』ではないのだから。


「そもそもルディが精神的に病んでいる原因のひとつがフォニーレン公爵家なのよ。何かがきっかけで正気に戻ってしまえば、公爵家の人間である私が恨まれるのは当然なんだから、まず関わりたくないのよね。愛称まで付けたのだし、お父様にしっかり手綱を握っていて欲しいくらいだわ」


 少女は冷めた目で紅茶をすすり、ため息をつく。


「キャラ救済なんてリアルにできるわけないでしょう。そんな暇があったらまず私を救わないでどうするのよまったく……」


 近い未来に地獄へ落とされると分かっていても、少年を救おうなんて面倒で危険なことをしようとは思えない。

 少女の前世はそういう人間でしかなかったが、誰がそれを責められようか。

 なにせ彼女もまた、自身の地獄行きを避けるために必死なのだから。



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悪役令嬢モノのヒロイン()はもうソイツが悪役令嬢 きょうまひらふじ @Kyouma_H

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