第8話

先輩は気に入ってくれるかな。昨日、美容院で髪を染めた。大人っぽい、暗めのアッシュブラウン。今朝は早起きして、YouTubeを見ながら髪を巻いた。失敗して大ハネもしたけど、理想の髪型になれた。変だって笑われたらどうしよう。残暑で頬に汗をかく。


「早いな、天野。って、え!?」


「武田先輩が遅いんですよ」


「髪変わったな」


「可愛いでしょ」


「似合ってるよ。見慣れないけどな」


息が止まるかと思った。


「とか言って、長い髪の子が好きなんでしょ。もうちょっと伸ばしますから待っててください」


「今のままがいいと思うぞ。天野らしくて」


「...さあさあ!ちょっと並びそうですし、早くチケット買いに行きましょう」


暑い、汗をかいてきた。臭くないかな。


「ああ、それなら昨日予約して、さっき取って来たからもう入れるぞ」


さすがと言うか、女たらしと言うか。慣れた様子の先輩の後に続き、列に並ぶ人たちの横をグングンと進んで、何不自由なく中に入れた。


「武田先輩って水族館みたいなところ行くんですね」


「どう言う意味だ」


「こういう所よりに行くより、御朱印とか集めてそうですし」


「髪型だろ」


「伸ばさないんです?」


「料理に入っちゃまずいからな」


「初耳ですよ」


暗いエスカレーターの天井を、ブルーライトに照らされた魚たちが優雅に羽ばたく。


「先輩!ここやばいっす!お魚天国っす!」


「ん?」


「綺麗なお魚ですね」


危ないところだった。今までずっとムズムズと押し殺して来たアドレナリンが爆発するところだった。


エスカレーターを登り切ると、洞窟のような場所に出た。エイやサメなど、なんでもありの水槽だ。でも、この大集合って感じの一番大きな水槽が昔から好きだったっけ。


「先輩、見てください!ふぐがこっち見てプクッてしてますよ!かわいい」


「いいサイズだな」


「職業病ですね」


フグは逃げてしまった。


「あ!あっちにはサメがいますよ!」


「サメって食べれるんだぜ」


「ほんとですか...?」


「少しクセを取ればトロぐらいの旨さらしいぞ」


「最高じゃないっすか!一匹パクりましょ!」


「いいぞ、お前餌な」


 

  薄暗いトンネルを色彩豊かな魚たちが照らす。俺は今、自分の気持ちが分からない。昨日、国見に復縁を申し込まれた。理由も聞いた。誰かを守るために俺と別れたらしい。しかし、誰とは教えてくれなかった。先月の気持ちなら、すぐに復縁したと思う。俺は最低なのだ。たった一ヶ月で他の女性に傾いてしまった。だからすぐに返事を返せなかった。その延長線に今がある。天野と話す時間は楽しい。明るい気分になれる。


「先輩、ペンギンショーがあるらしいですよ!行きましょ!」


秋に合わせた赤茶色のカーデガン。淡い石けんのような柔軟剤の香り。普段と違って前髪が降ろされており、横はグニャグニャに巻かれている。慣れてないのだろう。


「ああ、すぐ行く」


天野は今日も、俺の前を行く。満面の笑みではしゃぎ倒す。こんなに楽しい水族館はいつぶりだろうか。無理していたのは俺だったのかな。ペンギンは思ったよりも高く飛んだ。水飛沫が俺たちの列にまで散り、服が少し濡れた。天野はそれをゲラゲラと笑い、ハンカチで俺の顔を拭いた。


「あーあ、ビチャビチャじゃないですか」


「ありがとう」


「今日はもう帰りますか。外ももう暗くなりそうですし」


「ああ、そうだな」


俺たちは水族館を後にした。6時過ぎには山の奥に沈んでいく夕日に季節を感じる。俺たちは大きな泉のある公園のほとりを寄り道した。周りには誰もいない。チカチカと意味深に消える街灯と草むらで歌う鈴虫の鳴き声。秋だ。


「楽しかったです」


「そうだな」


色々と考えた結果、会話が途切れた。次の言葉が見つからず、頭を白い霧が包み込む。それを晴らす方法は一つしかないのだろう。覚悟を決めて、歩くのをやめた。


「天野」


先に行く彼女を呼び止めた。大きな目がこちらをじっ、と見る。


「俺もお前が好きになった。俺と付き合ってほしい」


告白なんて何年ぶりだろう。顔が爆発してしまいそうだ。


「はい...!」


今になって顔を見た。天野は頬を緩めて泣いていた。


「あと、変に丁寧な敬語はやめろよな。違和感で痒くなる」


「うるさいっすよ。ばか」


手を繋いだ。昔に言われた、手が好きという意味が分かった気がする。天野の手は小さく柔らかい。そして繋いだ時にしっくりと来た。


「先輩って、こんなに手が大きいんすね」


「天野がちっさいだけだろ」


これが正解なのかは分からない。けれど、今、幸せだ。






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