鬼の腕に抱かれて

マ・ロニ

鬼の腕に抱かれて

「憎いのです」


 だから殺してくださいませ。女は静かに言葉を続けた。


 暫くの間、路頭にさまよい歩き続けたのであろうか、着物はほころび、髪もほつれて、痩せこけてはいるが、こちらを臨む芯の通った佇まいと美しく気品を感じる面立ちから、良いところの娘なのだろうと思う。


 夜更けに森の奥にある、あばら家のような木こり小屋を突然訪ねてくるものなど、ろくなものではないとは思ってはいた。戸を静かにたたき、か細い声で尋ねる声は女のものであったため、用心をしながらも戸を開けた。


 何者かと、月明りを頼りに相手の姿を見抜こうと目を凝らせば凛とした立ち姿の娘であり、何用かと訊ねれば、供をしている小男を殺してくれと唐突に頼んできたため、何故かと問いただせば、一言だけ「憎い」と答えた。


「人、一人、殺したいほど何を憎むのか」


 男は、ただ憎いの感情だけで人を殺せなどと、たまたま見つけた、あばら家に住む、体格だけはいい、みすぼらしい若者に貴人のような娘が頼みに来ることなどありえないだろうと訝しく思っていた。


 ――狐狸の類が化かしに来たのか。


 用心のために手にしていた木づちに、自然と力が入る。隙を見せたところで叩き殺して、汁物の具材にしてくれようか睨みを利かせる。


「あの小男は、わらわが寝ているすきに米粒を口に付け、自分の飯をわらわが食んだと吹聴したのです」


 父は小男の求婚をわらわが受け入れたと呆れて怒り、わずかな路銀を与えただけで屋敷から追い出されたのだと娘は震えながらに語った。


 生まれてこのかた、森で暮らし、木を切ることで生計を立てるだけであった若者に娘の言うことが真実かどうかは分からない。

 

 ただ、娘が本当に――小男を殺しても飽き足らないのではと思うほどに、怒りに震えているのだなというのは感じ取れた。


 雲間から差してきた月の明かりに照らされたとき、痩せてはいても、きれいで静かな娘の面立ちに、鬼のごとき形相が垣間見えてしまったから。




「さあさあ、姫様、ご安心召され。この私、一寸法師が、この先の安全を保証いたしますぞ」


 鬱蒼として、日中においても薄暗い森のこみちを、跳ねる様な陽気な足取りで先導をする小男、一寸法師は、悪びれる様子もなく、嬉々として姫のお供としての役目を全うしようとしている。


 お前が余計なことを実践しなければ、このような旅をすることも、京の都のお屋敷を追い出されることもなかったのにと、内心で臍を噛みながらも平静を装い続ける。


 この小男が策謀したことを、愚かな父は疑いもせずに信じ込み、実の娘である姫を手討ちにしようとした。

 その場に控えていた小癪な男は、何食わぬ顔をして、まるで何も知らぬかのように、怒りに震える父と姫の間に割込んで、その場を取りなしつつ、いけしゃあしゃあと恥知らずな申し出を語り始めた。


「殿、姫を何時ぞやにお聞かせ下さった、お宮の使いへ出されませ。大事な姫君を遠出の旅に出すことはご不安でございましょうが、私、一寸法師が護衛としてともに参りましょうぞ」


 だから、ご安心召されと、下卑た笑いで、父に媚び諂うような姿は滑稽を通り過ぎて醜悪に感じた。

 そして、父は厄介払いをするかのように、小男たる一寸法師の願いをかなえ、わずかな路銀を与えるだけで、見送りもせずに屋敷から追い払ってしまった。


 始めはこんなことになるとは思いもしなかった。


 どこの果てから来たかもしれぬ、童のような背の高さしかないくせにがっしりとした体躯をした風変わりな小男が屋敷を訪ねてきた。


「役に立つから雇ってくれ」


 笑いながら小男は己を売り込みに来た。襤褸にちかい衣服に、やたらと細見の刀をみすぼらしい鞘に差して腰に佩き、一寸法師と自らを名乗った。

 興味半分、物珍しさ半分といった具合で父は小男を雇い入れた。役に立たなねば、直ぐに追い出せばよいと思ったのだろう。

 だが、意外にも頭が回り、まめに働くため、周囲の評判は良いものになる。父も気を良くして、供回りに連れて歩いていた。


 そして、なにより、一寸法師の話を父の友人たる公家の男達が、面白がり聞き望んでいた。


 曰く、住吉の神に祈った老夫婦の間に生まれた子供だ。

 曰く、生まれた時は一寸しかなかったから、一寸法師と呼ばれた。

 曰く、ここに来るまでにお椀を船に川を下ってきた。


「山の森の中で、鬼に出くわしましたが、この針の刀で追い払ってくれました」


 面白おかしく、出生の話や、旅の話をする物珍しい小男の喋りに人々は興味を示しはしていたが、半ば信じてはいなかった。だが、ある日のある夜、最近、都で噂となっていた「目玉取りの一つ目座頭」を一寸法師が討ち取った。


「この化け物は眼病を治すふりをして、人の眼を喰う外道でありますぞ」


 片目から頭部を針の刀で貫かれた座頭の懐からは、河原に打ち捨てられていた乞食達の遺体から、くり抜かれたであろう腐った目の玉が布に包まれ仕舞われていた。

 

「天晴、一寸法師褒めて遣わす」

 

 父は気を良くして、何か望みはあるかと小男に尋ねると、


「姫のつまにさせて頂きたく」


 平伏する一寸法師の申し出に、父も言葉を飲み、他にはないかと訪ね返すが、他にはないと言い、ならばなにも恩賞は必要ございませんと言い切った。

 

 だが、頭を下げる小男の邪な笑みを、父の傍らに控えていた姫は見て取った時、背筋を凍らせ感じ取った。――この男は、邪悪だと。




「だから、姫様。ご安心召され。……山奥に住む、名も知れぬ、得体も知れない山男に助けを求める必要なぞ御座いませんから」


 そんな、憎しみの発端となった時のことを思い出していた姫に対して、先導をしていた一寸法師がくるりと振返り、瞬く間で腰に佩いた針の刀を抜き、姫の両足に突き刺すのは造作もないことだった。

 

 何が起きたかは一瞬解らなかったが、直ぐに両足が熱くなり激痛に変わり、その場で蹲ってしまう。


「ほら、姫が気にしている私めの体躯もこれで気にならなくなるでしょう」


 小男は嬉々として姫の苦しむ顔を見下すように覗き込む。痛みに耐えて、怒りに任せて憎しみの眼で射殺すように睨みつける。


「ダメですぞ。高貴なるお方がそのような眼をむけては。京の都に住む乞食達の眼よりも始末が悪い」


 そう言うと、針の刀をヒュウと捌けば、姫の片目をくり抜いてしまう。余りの出来事に呆気にとられるが、新たに訪れる激痛と、余りの仕打ちにくり抜かれた方の眼を片手で押えて泣き崩れてしまう。


「ほらほら、このような眼は無いに限ります。姫様は、この、一寸法師の妻となったのです。他の男に色目を使うようなことはしてはなりませぬぞ」


 この、一寸法師が必ずや幸せにして差し上げますからと狂ったような笑みを浮かべて語る小男の後ろの藪から、一人の男が現れて手にした木づちを振り下ろした。


 男が振り下ろした木づちは地面を叩く。小男は素早い動きで危なげなく躱していた。針の刀を構えて、目にも止まらぬ速さで刀を突き繰り出す。


 男――昨夜、姫が訪ねて殺しを頼んだ若者は瞬く間に血に塗れて赤く染まった。


「貴様のような、山男が武士たる一寸法師を捉えることができるものかよ」


 小男は、身の丈が六尺を越える様な、精悍な若者を一目見て、嫉妬に駆られ、嬲り殺そうと心に決めていた。


 姫に見せつけたかった。見ろ、例え立派な体躯をしていようが、この一寸法師には手も足も出ずに無様に殺される。ただの、矮小な小男と見損なうなと。


 男が崩れる。今まで、太い両腕に阻まれて与えられなかった致命傷、この針の刀で臓腑を掻き混ぜてくれようぞと、突き出した針の刀が、長年、樹を切り倒し続けて膨れ上がった肩で受け止められ、深く突き刺さる。


 ――抜けない。


 一寸法師が思った時、男が片手で大きく振り上げた木づちが勢いよく、頭を打ち付けて、自分の膝が崩れ落ちることを悟った。




「このご恩に報いるものが御座いません」


 血まみれになった柄のへし折れた木づちを手にした男に向かい、娘は平伏し、涙ながらに詫びてきた。傍らには、踏みつぶされた蛙のごとき小男の骸が転がっている。


「いらん。なにもいらん。そのまま去れ」


 自分が追った怪我を気にもしない様子で、娘の両足の傷を布で覆った男は、これ以上係わるのは御免だと言いたげに娘の言葉を聞き捨てた。だが、娘は食い下がる。


「この脚では去りたくとも去れませぬ。屋敷がある、京の都までお連れ下さい」


 さすれば、望むものを差し上げましょうぞと娘は申し出た。


「都へは送る。だが、何もいらぬ」


 男は無愛想に娘の申し出を断るも、背に担ぎ、山を下り、言われるがままに都の方へと足を歩み続けた。



「では、この男が山の鬼を追い払い、落とした小づちで身体を大きくしたと」


 京の都につくと娘は男が一寸法師であると偽り、山の奥で鬼に襲われたところを返り討ち、鬼が所持していた打ち出の小槌で背を高くしたと語り始めた。

 娘の話は瞬く間に伝え広まり、噂は宮中にまで届き、興味を示した帝から呼ばれると、事のいきさつを語る。娘が語る、男の勇ましい働きに帝は大いに若者を気に入り、中納言の位を授けると言うものの、周囲からは素性も知れぬ輩に位を与えるのは如何なものか囁かれるが


「ならば、この男、朕の所縁、無実の罪で流罪となった貴族の遺児とすればよい」


 周囲の噂に対して、取り繕いがされ中納言の位を授かれば、宰相たる父のもとに帰りたくはないと申し出る娘の願いを聞き入れて、別の屋敷を授かり、更には鬼退治の報奨金まで享け賜わることとなった。


 風がすすき野を薙ぐ、満月の夜。周囲の後押しもあり、遂には断り切れずに夫婦となった片目の姫の膝を枕に、頭を優しく姫の腕に抱かれて、優しい微笑みの眼の奥を見る一寸法師に成り代わった男はふと思う。


 ――いずれが鬼であったのであろうか



                               いちがさけた

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