閑話 暁光⑥[完]

 返事のない扉の前で立ち尽くす響之介。


 葵は寝ているのかもしれない、それとも……。


 色々な考えが響之介の脳裏をよぎる。

 途端にどう声を掛けていいのか分からなくなる。

 こうなると、預かっていたスペアキーも意味を成さなくなってしまう。


『きっと、色々あって疲れて寝ているのだろう』


 結局、響之介はそう自分に言い聞かせるように結論付け扉の前から離れる。


 自分の無力さを痛感しながら、響之介が部屋に戻る途中だった。間違いなく自分の名前が呼ばれた気がしたのは。


 そして、その声の主は葵のもので、助けを呼んででいるかのように聴こえた。


 響之介は急いで葵の部屋に戻ると、躊躇うことなく、持っていたスペアキーで部屋の鍵を開け中に踏み込む。


 部屋の中には、葵がベッドから這い出るようにして、そのまま床でうつ伏せで倒れていた。


「葵」


 響之介は慌てて駆け寄り抱き起こす。

 葵は苦しそうな表情のまま目を覚まさない。


 響之介は一度葵を抱き上げベッドに寝かせる。

 その時、魔力が乏しい響之介にも見えた。葵を取り巻く黒い渦を。


「これは、いったい」


 呟く響之介の疑問に答えてくれそうな人物は、残念ながら自分達の宿へと戻ってしまっていた。


 しかし、そこで帰り際に聞かされたメルの言葉を思い出す。


『響之介君、葵さんの体には問題ありません。しかし精神面が不安です。特に葵さんは術士なので、精神的な負担が大きくなった時、ナイトメア症候群を引き起こす可能性があります』


 そう言って説明されたのは、魔力の高い魔術士に起こりやすいく、魔力が負の感情により浸食され、暴走した際に発症する病の事だった。

 

 響之介はその上で、葵の症状を聞いていたものと比較する。ひと目見て分かるのは、葵を取り巻く黒いモヤのようなモノ。これが聞いていたナイトメア症候群の症状とほぼ間違いなく一致する。


 響之介はすぐに渡されていた魔力制御の薬を葵に飲ませる。 


 薬は即効性らしく、葵を取り巻いていた黒いモヤが霧散し、苦しげに呻いていた葵の目がパッと見開かれた。


「キョウ、キョウ、キョウ……」


 葵は涙を浮かべながら響之介の名前を連呼しながら抱きついてくる。


 響之介は少し驚いたが、しっかりと葵を受け止めると優しく抱きしめる。


「キョウが来てくれた、助けに来てくれた、こんな私を」


 ひたすら響之介の胸で泣きじゃくる葵。

 響之介は、そんな葵を慰めるよう頭を撫でる。


「大丈夫だよ葵。どんなことがあっても俺が守るから、もう二度とあんな男を近づけさせなりしないから」


 少しでも葵を安心させようと、響之介が力強く宣言する。

 しかし、葵は泣き止んだばかりの悲しげな目を響之介に向ける。


「ごめんなさい。私にそんな資格なんてないのに」


 葵はそう呟いて、抱きついてきたときとは一変して響之介から離れようとする。


 しかし、響之介がそれを許さなかった。

 逃れようとする葵を抱きしめたまま、むしろより抱きしめる力を強める。


「葵は悪くない、悪いのはアイツで……」


 信じなかった自分だと響之介は言いそうになった。メルに言われていなければ間違いなく言っていた。


「違う、確かに私はあの男に騙された。でもキョウの気持ちを傷付けたのは間違いなく私で、下手したら貴方を死なせたかもしれなかったんだよ」


 葵は何より自分が許せなかった。


 響之介をラードと比較してしまった事。

 あまつさえ、ラードの方が上であるような言い方をしてきた事。

 そのことで響之介よりラードの方が好きだと勘違いさせてしまった事。


 何より、ラードから幸運のアミュレットと言われたものを疑いもせず、能天気にプレゼントしてしまった。それが響之介死をもたらしたかもしれない呪われた品であるとも知らずに。

 

「それだって原因はアイツで」


「うん、でも、でも、私がもっとしっかりしていればこんなことには、あんなヤツを信用して、よりにもよってキョウと比較するような事を言って、最低だよ私」


 正にメルが言っていたように、葵が自分と同じように罪悪感に苛まれているのが、同じ気持ちの響之介には良く分かった。


「……うん、確かにアイツと比較されるのは気分が良いものじゃ無かった」


「うっ、ごめん、ごめんなさい」


「だけど、それってさ、よく考えるとただの嫉妬だったんだよね。みっともない男の嫉妬さ」


「それは私がそう思わせたからで」


「うん。そうだね、だから葵に全く責任が無いわけじゃない。だから謝罪は受け入れるよ」


 響之介はそう言って子供をあやすようにポンポンと撫でる。


「キョウは、そんな簡単に許せるの?」


「ん!? だって葵はアイツを褒めてた訳じゃ無いだろう、悔しいけど本性を現す前のアイツは先輩冒険者としては優秀だったから、ただ俺にそうなってほしかっただけだろう」


「うん、今は絶対に嫌だけど、あのときはひとつの目標としてキョウには上を目指して欲しかったから、でも、あんなヤツだって、分かってたら絶対に……でも、やっぱりキョウにとっては酷いことで」


 普段の強気な態度が嘘のように弱々しいな葵の姿。


「あー、だから謝罪は受け入れると言っただろう。葵は俺の言葉を信じられないか?」


「そんなことない。キョウの事は誰よりも信じてる。でも、許してもらったとしても……わたし、わたし、穢れちゃってるかもしれないんだよ……穢れた私なんて、そんなの、キョウの彼女として相応しくないよ」


 葵は再び涙ぐみ響之介を見上げる。

 そんな葵に響之介は……。


「てい」


 チョップをした。


「あぐぅ」


 痛くはないが反射的に頭を押さえる葵。


「はあ、葵は頭は良いけどバカだよな……いいかよく聞け、俺に相応しいかどうかなんて勝手に決めるな。そもそもなんの権利があって俺に相応しくないだなんて決めつける。それを決めるのは俺だ」


「うぐっ、だって嫌でしょう。無理やりとはいえ他人に抱かれ女なんて」


「だから勝手に俺の気持ちを決めるな! それこそ釣り合うか、釣り合わないかで言えば。美人で頭も良くて、魔術も使える葵に比べれば、俺なんて剣の腕はまだまだ三流もいいところだし、顔だって普通だ。そんな俺の方こそ、葵に相応しくないだろう」


 響之介は気落ちした表情で思いを告げる。

 そんな響之介を見て、葵は慌てて否定する。


「そんなことない、私にとってキョウは一番カッコよくて、いつも側にいてくれて、守ってくれて……さっきだってそうだし、あの時だって……たからキョウが私に相応しくないないなんてあり得ない」


 葵の言葉を聞いた響之介が意味ありげに微笑む。


「なら、同じだろう。俺がいつも側に居たくて、いつでも守ってやりたいのは……葵、お前だけだ。だから勝手に相応しくないとか自分で決めて、俺から逃げるな」


「うっうっ、でも、でも、わたし、こわくて」


 葵も頭では分かっていた。響之介が自分をどれだけ思ってくべているのかを。

 しかし、あのときの朧気な記憶が、先程まで見ていた悪夢が葵を苦しめる。

 そして、響之介が自分を抱いたとき、穢されてしまった事実を知ってしまった時、失望と侮蔑の視線を向けられるのでという恐怖に。


「なあ、葵。俺はお前が好きだ。愛してる。お前が自分を穢れたと思っているなら、そんな穢れたお前だろうと愛してみせる。だから、自分の中の作った俺ではなく、目の前の本当の俺を信じてくれ」


 そんな葵の憂いを払拭しようと響之介は拙い言葉をつくして伝えようとする。ただひたすらに葵を深く想っているという気持ちを込めて。


「うん、キョウ……貴方の言葉を信じたい。いや、信じさせてほしい……だからお願いがあるの」


 そんな気持ちが微かに届いたのか涙ぐみながらも顔をあげて響之介の目を見て訴えかけてくる。


「ああ、任せとけ。葵の願いなら、何でも聞いてやるから!」


 少しだけ、いつもの葵らしさを取り戻した瞳を見つめ返して響之介は嬉しそうに答えた。


「……うん、だったらお願いします。これからちゃんとキョウを信じていけるようにさ……私を抱いて、言葉通り穢れた私でも抱けるって証明して、あの悪夢を塗り潰して欲しい。そして、出来るならメルさんの言葉が正しいと証明してほしい」


 全く予想していなかった葵のお願いに響之介の思考が一時停止する。

 それを見た葵は再び悲しそうに俯く。


「ごめん、やっぱり嫌だよね」


 葵はそう言って、今度こそ響之介から離れようとする。

 しかし、響之介はそれを許さなかった。


「だから、勝手に決めるな。少し驚いただけだから……その、本当はこんな心の隙をついて抱くのなんて間違ってるかもしれないけど、それで葵が安心するなら、俺を信じてくれるなら……抱きたい……抱いてやる? いや、抱かせてください、お願いします」


 完全に動揺が隠せていない、そんな響之介素の様子に、葵は思わず口元が緩んでしまう。

 ぜんぜんスマートでもなく、ムードも無いお誘い。でも、そんな、好きな人とただ抱き合いたいという、葵の懸念なんて全く感じさせない、純粋な欲望が今の葵には嬉しかった。


「こちらこそ、ふつつか者ですが宜しくお願いします」


 だから葵も顔をあげて、笑ってそう答えることが出来た。


 その後二人は、お互いを言葉なく見つめ合う。すると引かれ合うように、自然と唇を重ね合わせる。


 そして葵は理解する。

 自分に触れる愛しい人の感触は、あの時感じた嫌悪感とはまるで真逆の感覚なのだと、その温もりだけで、心が満たされていくことを。


 二人は何度も見つめ合い、唇を触れ合わせ、睦み合う。


 葵の初めて感じる痛みが懸念を払拭させ。

 痛みが喜びに変わる。


 二人は愛を囁やき合い、情を交わす。


 感極まり、熱にうかされる二人はお互いを求め合うことを御することが出来ず。


 気付けば外は暁色に照らされていた。





 ―――――――――――――――――――


読んで頂きありがとう御座います。

そして評価して頂いた方には感謝を捧げます。


作者のモチベーションにもつながるので、

☆でも☆☆でも構いませんので少しでも面白いと思って頂けたら評価してもらえると嬉しいです。もちろん☆☆☆を頂けたらもっと喜びますので、どうかよろしくお願いします。




 







 

 

 


 

 

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