第6話 逃亡〜誓い


 真紅郎とメル。

 その二人が時を忘れる程夢中になり、愛を育んで暴走させていた頃。


 アデル達はようやく一日掛かりで地上へと脱出する。

 昨日までなら転移で簡単に入口へと戻れていた。

 しかし今は戦闘で魔力を使い果たしたリリアンヌにそんな余力など無かったからだ。

 それでも何とか逃げ延びたアデル達は、あろうことか夜逃げの準備をしていた。

 

 本来これが普通の冒険者であれば直ちにギルドに報告していただろう。

 そうすれば速やかに討伐隊を組織してオロチの早期の鎮静化を図る事が出来るからだ。


 だが、アデル達はカレイジャスの称号を得ているパーティだった。

 自らの手で封印を解除し、蘇ったオロチ相手に無様に敗退した。その挙げ句に聖女を対価に見逃してもらったという始末。

 だからこそ、自らの醜態を報告出来るはずがなかった。


 彼らはここに来てなお、周囲に及ぼす危険性よりも、自らのプライドを取った。

 逃げるという最悪の愚行を選択し、過ちを繰り返すのだった。


 冷静に考えれば分かることだったのに……。

 例えここをやり過ごしたとしても、ダンジョンの入出記録からオロチ塚からの帰還記録がない状態だとバレる。そうなれば次のダンジョンに潜ろうとすると明らかに不信がられてしまう事や。

 なにより聖女を失った事に関して、聖教会に対して報告しないといけない義務もあった。

 そんな多くの問題が残るにも関わらず、アデル達は、今の危機的な状況をやり過ごす事しか考えていなかった。


「ねえ、アデル本当に良いのですか?」


 オロチから逃げてきたものの恐怖が収まらないのか、カトレーヌの声は震えていた。


「なに言ってるんだ、馬鹿正直に報告してみろ、そのまま捕まって、良くてオロチ討伐の先鋒を務めさせられるか、犯罪者として投獄されるぞ」


「私は嫌よ、折角あのバケモノから逃げてこられて助かったのに、また命懸けで戦うなんて……どうしてもと言うならアナタ一人で報告してきなさいよ」


 アデルに同調するリリアンヌが弱気なカトレーヌを睨みつける。


「そんな、なんで酷いこというのよ姉さん。私はただ……」


 二人が言い合いになりそうだったのでアデルは慌てて止める。

 

「やめろ、喧嘩するな、俺達は仲間だろう。カトレーヌも今は深く考えず俺を信じろ」


 こうして逃げ出す事態になっておいて信じろと言われても普通は難しい。しかし元からアデルに依存気味だったカトレーヌはアデルを信じて従うことにした。


 そうして三人はオロチ塚から街に帰ることなく、日の落ちた闇に紛れるようにして他の街へと逃走する。


 もちろん、彼らは知りようがなかった。

 自分達が見捨てて残してきた二人が、オロチを再封印していたこと。

 ゆえにもし、ここで正直にギルドへ報告していれば厳重注意はされただろうが、予想よりも事が大きくなることは無かったということに。






 メルは真紅郎の上で抱きしめられて眠りについていた。

 先程までの乱れっぷりが嘘のような穏やかな寝顔。

 初めて好きになった最愛の人と求めあった至福の時。

 今迄抑圧されてきた部分が解放されたことも、より激しく真紅郎を求める要因となっていたのだろう。


 そんなメルの頭を優しく撫でながら、真紅郎は心の中で呟いた。


『いやー、それにしても、凄かったで御座る』


 真紅郎としても先程まで間違いなく生娘だったメルと、こんなにも激しく愛し合うことになるとは思わなかった。

 勿論、禁術の影響も有るだろうがメル自体の資質もあるのだろう。

 もし遊郭に彼女が居たのなら、容姿と相まってあっという間に伝説的な太夫になれたかもしれない。

 そんなことを考え、自分以外の男に尽くすメルの姿を想像し、盛大に精神的な自爆をする真紅郎。

 思わず浮かんだ嫌な妄想を振り払う意味でメルをより強く抱きしめてしまう。


「んっ、んんっ?」


 その感覚からメルが目を覚ましてしまう。

 寝ぼけまなこで真紅郎を見つめてくるその一切の敵意ない無防備な笑み。

 

『……これは、もう無理で御座る』


 完全に心を撃ち抜かれ、心身共にメルへの愛おしさが限界突破する。


 今の真紅郎ならば、仮に帝がメルを見初め召し上げようとするのなら、謀反人と罵られようとも国と戦うだろう。


 そんなメルへの愛が溢れ出す真紅郎。

 もっと強く抱きしめたい気持ちを我慢し、メルが苦しくないよう抱きしめる力を緩める。


「済まない、もう少し寝てていいで御座るよ」


 真紅郎はそう言って優しくメルの頭を撫でると、再度眠るようにと囁きかける。


「ふみゃぁ、シンクロウ様……そっその旦那様は苦しくないでしょうか?」


「だっ旦那様?」


 真紅郎はかしこまった呼ばれ方に戸惑いを感じてしまう。そんな真紅郎にメルは不思議そうな顔をする。


「あの、こちらの地方では夫の事をそう呼ぶのではないのですか?」


 真紅郎はメルの言葉に合点がいき、改めてこの美しく、愛らしい人を妻に迎え入れることが、畏れ多い事だと感じる。

 ゆえに、つい気後れしてしまう。


「その、間違いでは御座らぬが、その……本当に良いので御座るか、拙者のような刀を振るうことしか出来ぬ武骨者に輿入れなど……正直に申せば釣り合わぬも道理。今なら魔術の反動として、一瞬の気の……」


 真紅郎が言葉を言い切る前に、メルは『かぷっ』と甘噛して遮る。


「はうっ」


 男でも敏感な所を甘噛され思わず意図しない言葉を発してしまう真紅郎。

 そんな彼に甘噛するのを止めたメルが少し怒った表情を向けて話す。


「旦那様、それ以上言ったら怒りますよ…………確かに禁術の影響も有りましたし、共に死線をくぐり抜けた吊り橋効果的な感情の高まりも後押しになりました。でも、それでも……緊急措置だとしても、愛してもいない男に抱かれるほど聖女という立場は軽くありません」


 真紅郎はメルの言葉を黙って聞いていた。

 そして自分の不甲斐なさを痛感する。


 メルは真紅郎と共に歩む道を選んでくれた。


 それは長年聖女として育てられ生きてきた立場を捨てないと得られない重い決断だった。


 それを『一瞬の気の迷い』などと言うのは、余りにも軽率過ぎた。


 真紅郎はメルの覚悟を踏みにじる最低の言葉を告げようとした自身を恥、改めて決意する。


 この先どんなことがあろうと自分がこの愛しい元聖女を守っていこうと。


「済まなかったで御座る。確かに特殊な状況下での決断とはいえ軽んじて良いものでは無かったで御座る」


「……旦那様」


「故にこれは再確認の為の言葉。拙者松比良真紅郎マツヒラシンクロウはメルセディアの名を捨て、ただのメルとなったそなたを妻として迎え入れ、生涯守り抜くことをここに誓う……メル、そなたを愛しているで御座るよ」


 真紅郎は自分の想いをメルにしっかりと伝える。 

 少し角ばった不器用な言葉として。

 真っ直ぐ瞳を逸らすことなく。


「うっ、うっ、うぇぇぇん、うれしい、うれしいれしゅ、だんなしゃまぁぁあ」


 真紅郎の優しい眼差し、メルの瞳から自然に涙が溢れる。嬉しさに泣きじゃくるその姿は聖女などではなくただの一人の女だった。


「拙者、二度とそなたの手を離さぬぞ、覚悟するで御座るよ」


「ぐしゅ、それはこちらのセリフです。絶対逃しませんからね旦那様」


 そう言って真紅郎を見詰めるメルの瞳には聖女だったときには見られなかった仄暗い炎が灯される。

 それは人を好きになることで生じる執着や嫉妬といった負の感情の素。

 これによりメルは聖女を卒業し、晴れて真紅郎を愛するただの女になったのである。



 


 


 

 

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