2時間目
彼女は一年のほとんどの時間を過ごすであろう教室でそういった類いの動画を見ていたのだ。
こんな非日常に遭遇するとは思っておらず、硬直してしまい、なんて声をかけて良いのか分からなかった。
白すぎるわけでも、日に焼けすぎているわけでもない健康的な肌。
太っているわけでも、痩せているわけでもない健康的な体つき。
長いまつげとぱっちり二重の大きな瞳。
笑ったときに生まれるえくぼ。
正直、全部が好みだ。そんなアイドルとも言える人が涙目になりながら、口をへの字にしてこちらを見つめている。
とりあえず、この教室に戻ってきた目的を達する為に机のフックにかかったままの巾着袋を取り上げ、鞄の中に詰め込んで立ち去ろうとすると、後ろからの牽引力によって足が動かなくなった。
あの細い腕にそんな力はないはずなのに一歩も動けない。
「な、なに……? だれにも言わないよ。えっと、普通だと思う。そう、普通のことだと思うから」
「えっ」
振り向くことも腕を振り解くこともできず、震える声で必死に訴える。
「じ、じゃあ。そういうこと、したことがあるの?」
「えぇぇ!? な、ないよ! いや、ないって言うか。違うって! そういうのを見ることがってこと!」
「え、あ。……そっち」
僕の知っている彼女はこんなことを言わないし、こんなことをしない。
でも、制服の裾を掴んで離さない彼女は間違いなく恥ずかしそうにそう呟いた。
本当に彼女のことをなにも知らないのだと打ちのめされた気分だった。
彼女の指が制服から離れる微細な感覚は背中から脳へ伝わる。
しかし、解放されてからもその場から動くことはできなかった。
「その、イヤホンは使った方がいいと思うよ」
「見るの?」
「え?」
「そういう動画を見るの?」
信じられない事態が起こっている。
これまでの人生で気になる女子と教室で二人きりになったこともないし、背中越しに会話をしたこともない。
ましてやこんな男子とも真面目に語らないような質問をされるなんて思いもしなかった。
無言の時間に耐えられなくなったのか、またしても彼女の指先が僕の制服の裾を揺らす。
「……見るよ。たまにだけど。その、スマホで。少しだけ」
この返答が正解だったのかは分からない。
精一杯の見栄がかえってダサかったかもしれないが、教室に入った瞬間からまともに働いていない頭ではなにも考えられなかった。
「ふぅん。想像する?」
「は?」
「わたしでそういう想像したことある?」
思考が停止しかけている頭に鐘を打ちつけたような衝撃がはしる。
さっきまでうろたえていたはずの彼女から、やけに冷めた声で挑発するような質問を投げかけられた。
僕はなぜこんな話をしているんだ。頭ではそう思っていても口は勝手に言葉を紡いでいく。
「……うん。その、たまにだけど」
「ふぅん。そうなんだ」
それはまるで獲物を見つけたライオンのように鋭く、ねっとりと絡みつくような声色だった。
背中越しでは彼女がどんな顔をしているのか見えないし、見る勇気も出ない。
今の彼女は嫌悪感から顔を歪めているのだろうか。
いじりがいのあるのネタを仕入れたと小馬鹿にして笑っているのだろうか。
あるいは気持ち悪さから泣き出しそうになっているのだろうか。
いずれにしても彼女の声から表情は読み取れなかった。
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