1875

 まっさらな原稿を前にして、ニーチェは一人、悩んでいた。なぜなら、自作を発表するにあたり、ワーグナーに関する評論を書く必要があったからだ。

 ニーチェの思想は変化した。だから、あのときのようには書けない。“Die Geburt der Tragödie”のようには、彼を評価できないのだ。

 しかし、書かなければならない。ワーグナーへの不安を抱きながら、彼の芸術を綴らなければならない。ニーチェは腕を組んでは考えて、足を組んでは考えた。


 ――私はどのようにして、彼の芸術性を語るべきか。


 ニーチェは熟考した。ワーグナーの音楽には、確かに輝きがあったはずなのだ。しかし、今の彼には、それを感じることができない。

 ワーグナーは、変わってしまったのだろうか。美しい芸術世界を抜けて、俗物に成り果ててしまったのだろうか。観衆の期待の中に堕落し、崇高さを欠いてしまったのだろうか。

 ……それとも、ニーチェの方が、ワーグナーから離れてしまったのだろうか。かつて、あの偉大なベートーヴェンが、ナポレオンに失望してしまったように。


 ニーチェは逡巡に逡巡を重ね、扉と机の間を行ったり来たりした。まるで、落ち着きのない振り子のように。「苦悩」と「退屈」の間を行き来する、人間の一生のように……。


 ――ああ、あの頃は楽しかった。


 「人生は『苦悩』と『退屈』を往復する」と言ったのは、かのショーペンハウアーだった。音楽の本質へと到達し、音楽を愛した哲学者。

 ニーチェはワーグナーと語り合った。芸術を理解する者だけが成しうる、俗界を超えた会話だった。一切の喧騒は消え去り、穏やかな風だけが流れていた。

 あの頃の彼は、もういない。それと同時に、あの頃の私も、もはやどこにもいないのだ。二十三回ほど部屋を行き来して、ニーチェはようやく、その結論へと至った。


 彼は原稿に向き直った。今までとは違う、明確な批判の目を持って。




 ――彼の故郷は、ここではない。未来の人間が過去に立ち返ったとき、彼は初めて凛とした姿を持って、彼らの前に現れるだろう。しかし、彼は「未来の預言者」ではない。「過去の解釈者」なのだ。この時代の人々には、それを理解する術はない。

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