1870
“Appassionata”、第三楽章。ベートーヴェンの最高傑作。その内の、一つ。
トリプシェンにあるワーグナー邸で、ニーチェはワーグナーの演奏を聴いた。そして、感嘆の声を漏らした。一体、どのような人生を辿れば、彼のような音楽が紡げるのかと。
「ワーグナー」という実に個人的な内体験が、ピアノの演奏を伴って現れる。彼の音楽が素晴らしい理由は、そこにあるのだ。
熱情。ベートーヴェンにも、ワーグナーにも、そしてニーチェにも、等しくある感情。それなのに、ワーグナーは決して、ベートーヴェンのそれに同化しない。同じ譜面をなぞっているはずなのに、作曲家に取って代わられることがない。毅然として、彼は彼なのだ。
いや、この説明では物足りない。ワーグナーの芸術は、熱情といった「概念」よりも、遥かに遠い場所にあるのだ。それすらをも凌駕する、実に形容しがたい何か……。
……そう、「言葉にできない」のだ。彼の世界は。言葉に置き換えられないからこそ、尊敬するに値するのだ。
「本当に、素晴らしいです。私などには、決してこのようには弾けません」
演奏会が終わると、二人はいつものようにテーブルを囲み、コーヒー片手に語り合った。真ん中には花を飾って、実に優雅な様子だった。
「君の賛辞は清々しい。きっと心の底から、そう思ってくれているのだろう」
「そんなの、当たり前じゃないですか! 私は貴方に、心ある称賛しか贈りません!」
談義は決まって、ワーグナーに対する賛美から始まった。晴れも雨も、夏も冬も。ニーチェはワーグナーを褒めそやした。
ワーグナーの淹れるコーヒーは、とても深い味がした。それは、コーヒーそのものが持つ美味しさだろうか。それとも、親友と談義を交わす、特別な時間のせいだろうか。
しばらくののち、会話は演奏の内容から、作曲家の話に移った。ワーグナーは目を瞑り、自分の意見を語り始める。
「ベートーヴェンは、我々の音楽を解放したのだよ。『こうでなければならない』という、一種の支配のようなものからね」
「ええ、私もそう思います」
ワーグナーの言葉に、ニーチェは賛同の意を表した。やはり、こういった営みこそが、我々の楽しみであると言うかのように。
「ベートーヴェンは、当時の変革の風を、身をもって感じたのでしょう。それこそ、ナポレオンが封建体制を打ち砕き、人々は今までの『幸福』を捨て、新しい『自由』を手にした時代ですから。あのヘーゲルも、ナポレオンの姿を見て、『馬上の精神世界』と評したそうですし……」
彼は一度、言葉を切った。「ヘーゲル」という名前を、舌の上で溶かすように。
「……そうです、あのヘーゲルも生きた時代なのです。だからこそ、ベートーヴェンの音楽は、我々に激しく訴え掛けてくるのです」
少し苦々しくなった彼を、ワーグナーは見逃さなかった。興味を全く隠すことなく、彼は言葉の先を促す。
「ヘーゲルという言葉に、何か引っかかるところがあるようだね。良ければ、君の思うところを、私に聞かせてくれないか」
ワーグナーは音楽家であった。それと同時に、哲学を嗜む音楽家でもあった。彼は尋ねた。彼の知的好奇心を。
「……ヘーゲルの言う、歴史が進歩するという考え方が、どうにもしっくりこないのです」
「つまり、歴史の捉え方に、納得がいかないと?」
「ええ、そうです。私は何故だか、歴史が直線的に進んでいくとは思えないのです。歴史はただ、前に向かって動いているのか? いや、違う……。こう、上手く言葉にできないのですが……」
ニーチェがワーグナーと親しくなれたのは、そこに哲学があったからだ。彼らは暇さえあれば、ああだこうだと語り合った。カント、ヘーゲル、ソクラテス。そして、二人がともに愛した、ショーペンハウアーのことを。
「やはり、ショーペンハウアーの“Die Welt als Wille und Vorstellung”は傑作だよ。彼は音楽の本質というものを、実によく分かっている」
「ええ。本当に、その通りです……」
――貴方の芸術も、ショーペンハウアーをよく理解した上で成り立っている。私はそれを、直接的に知っている。そう、魂の震える感覚で……。
ワーグナーと話していると、時間はあっという間に過ぎていく。ニーチェには、それが何よりも愛おしかった。
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