第19話:隠忍自重
ビルバオ王国暦199年4月18日:ダンジョン都市プロベンサーナ
「いいな、絶対に勝手な真似をするんじゃないぞ!」
「お兄様、毎回同じ事を言って飽きませんの?
ねえ、マクシミリアン様」
「マリア、ディランは君の事が可愛くて仕方がないのだ。
美しい妹を持つ兄が、妹離れできないのは仕方がない。
ここは寛大な心を持って我慢してやらなければいけなよ」
「まあ、それでは仕方がありませんね。
私、寛大な心でお兄様のお小言を聞かせていただきますわ」
「おまえら、いいかげん俺を揶揄うのは止めろ!」
「うふふふふふ」
「ワッハハハハ」
俺達は、傭兵ギルドの宿泊所に借りた部屋で、出発前の最終チェックをしていた。
このような状況になるのには紆余曲折があった。
婚約破棄に続いて自分を狙うルチアーノによる襲撃を二度も受けたマリアは、心に大きな傷を受けていたのだ。
また自分が狙われる事で、家臣領民が死傷するのではないかと心を痛めていた。
俺はその事に気が付いてやれなかった。
だからマリアが何度も領地を抜けだして王都に行こうとするのを、単にマクシミリアンを慕っての事だと、軽く考えてしまっていた。
そんな俺の濁った眼を覚ましてくれたのは、マリアの侍女達だった。
ロドリゲス伯爵家に嫁ぐマリアについて行く予定だった、騎士家から選抜された武芸と行儀作法に優れた者達だ。
王都に向かおうとするマリアを四度捕まえた後で、侍女のリーダー格であるカタリーナがそっと教えてくれた。
俺は自分の至らなさに、ハンマーで頭を叩かれるような思いを味わった。
胸に大剣を突き立てられたような自省の痛みを感じた。
情けなくて申し訳なくて、穴があったら入りたい思いになった。
女心も繊細な気持ちも分からない俺では、マリアの苦しみや哀しみを癒す方法など思つけるはずもなかった。
長年マリアの側近くに仕え、母にも相談しなかった苦しみと哀しみを察する事ができた三人の侍女と、母上に相談してみた。
母上と三人の侍女が出した答えは領地を出る事だった。
だが幾ら何でも王都に行かせるわけにはいかない。
何処で誰が繋がっているか分からない状態で、どのような危険があるか分からない他領に行かせるわけにもいかない。
俺が安全だと言えるのはダンジョン都市だけだった。
だが、あそこは俺やマクシミリアンのような武骨な男だから安全なのであって、絶世の美少女であるマリアが安全だとは思えない。
とは言え、このまま領地に残したらマリアの心が壊れるとまで侍女達が言うのだ。
領地に残しておくわけにもいかない。
仕方なく傭兵ギルドのマスターアイザックに伝書鳩を送って、マスターアイザック経由で王都の父上とマクシミリアンに連絡を取ってもらった。
「マリア、今王都に行かせるわけにはいかないが、父上とマクシミリアンが戻ってきたら、ダンジョン都市に行こう。
俺とマクシミリアンは軍資金を稼ぐためにダンジョン都市に行く予定だったのだが、マリアが一人で追いかけて来るようでは安心して行けない。
だったら最初から一緒に行こうという話になった。
父上と母上にも許可を取ったから、それまでは領地にいてくれ、いいな」
俺はマスターアイザック経由で伝書鳩による緊急連絡を取った。
そのお陰で大まかな方針だけは決める事ができていた。
「はい、そういう事なら我慢します」
待てば必ずマクシミリアンが戻って来てくれて、一緒に領地を出て行けると思ったのか、それ以降は独りで王都に行こうとはしなかった。
俺は安心してしまっていたのだが、実は違っていた。
二三日して侍女達が教えてくれたのだが、陽が沈むとマリアが落ち込み、ベッドに入ってからもすすり泣くのだそうだ。
マリアが受けた心の傷を想うと怒りが湧き上がってくる!
ルチアーノの腐れ外道は処刑されたが、まだゴンザレス子爵本人が生きている。
宰相は処刑されたが、黒幕であった王都貴族の大半が生きている。
マリアとの婚約を破棄したロドリゲス伯爵家のフェリペがのうのうと生きている!
できるだけ早く連中をぶち殺す。
そのためには連中を迎え討てる軍事力が必要だ。
この手でぶち殺す事ができるだけの実力をつける必要もある。
俺は父上とマクシミリアンが戻ってくるのを、首を長くして待った。
その間、侍女達とできる限りの事をやった。
マリアが疲れて眠れるように、ダンジョン都市に行った時に一緒に潜れるようにと、とても厳しい鍛錬を課した。
俺も疲れたが、マリアも精魂尽きるくらい疲れたようだった。
三人の侍女の話しでは、ベッドですすり泣く事もできなかったようだ。
父上とマクシミリアンが戻ってきた日は、無事に帰って来られた事を祝った。
翌日も引き続き祝いの宴となった。
だが翌々日の早朝にはダンジョン都市に向かって出発した。
俺とマクシミリアンとマリアだけではない。
男爵令嬢を護り世話するための侍女が必要だ。
ずっとマリアに仕えてくれている三人の侍女も馬に駆ってついて来てくれた。
俺に女性の気持ちは分からない。
マクシミリアンも分からないと言っていた。
だから女性の同行者がどうしても必要だった。
カタリーナ、アントネラ、ヴァレリーの三人が同行を申し出てくれたのは、本当にうれしくありがたい事だった。
もっと年長の侍女もマリアとの同行を申し出てくれたが、母上や他の妹達の世話をする侍女の数が足りなくなっては困る。
何よりある程度の武芸ができる侍女でなければ、ダンジョンに入れる訳にはいかないし、そのような侍女を全員連れて行っては奥の護りが無くなってしまう。
マリアを含めて女性四人が加わった騎行だったが、男性騎馬と同じように五日でダンジョン都市に辿り着く事ができた。
その日から毎日ダンジョンに潜っているのだ。
ただ、マクシミリアンと二人だった時ほど深くは潜れない。
金になる深層の魔獣を狩る事は大前提だが、二十九階層までは潜らない。
深層でも一番浅い二十層で狩りをする。
俺とマクシミリアンが強敵を狩る。
マリアは基本見学だけだ。
どうしても魔獣が狩りたいと駄々をこねたら、十階層の魔獣を狩らせる。
今もダンジョン都市の傭兵は九階層までしか潜らない。
絶対死ぬ事のない浅い階層でしか狩りをしない。
俺達が二千人もの傭兵を労働者として雇ったから、弱い傭兵が大量に減り、競争しなくても狩りができるようになっている。
ほとんどの孤児や寡婦も雇ったから、目的の回復薬や治療薬の原料となる魔獣以外の弱小魔獣を狩っても、運ばせる事ができなくなっている。
美味しい猟場を独占できない傭兵も、弱小な魔獣の湧く狩場なら、争う事なく狩りができる状況になっていた。
食べて小銭を稼ぐだけなら十分な状況になっていた。
マリアが十分発散できるまでは注意深く見守る。
心の傷が再びマリアを苦しめる事にないようにする。
万が一にも身体に障害残るような傷を負わせるわけにはいかない。
武門のガルシア男爵家令嬢として鍛えられ、十九階層までの魔獣なら狩れるだけの実力があっても、油断するわけにはいかないのだ。
マリアが発散できて、俺達の狩りを見学できるだけの余裕が生まれたら、二十階層まで一直線に潜る。
狩った魔獣は全てマクシミリアンのアイテムボックスに放り込む。
俺とマクシミリアンが広いダンジョンを並んで先を進む。
その後ろに三人の侍女に護られたマリアが続く。
左右にアントネラとヴァレリー、背後にカタリーナだ。
男性が近づく事を許されない所用の護りは、三人の侍女達だけになる。
三人の侍女が所用を済ますのも同じタイミングになっている。
俺とマクシミリアンが最初に周囲一面の魔獣を狩る。
所用の間は魔獣が沸く場所で待ち構えて狩り続ける。
だから誰か一人でも体調が優れない時は狩りが中止になる。
ダンジョンから戻ってくるタイミングも女性に体力と体調が優先だ。
例え二十階層まで辿り着けていなくても、女性陣の体力が無くなったり体調が悪くなったりしたら直ぐに地上に戻る。
だが、そのような事が起こった事は一度もない。
マリアに仕える侍女達の体調管理は完璧だ。
マリア自身も狩りが中止にならないように体調を管理している。
愛するマクシミリアンと一緒に領地を離れる事ができたマリアは、ここ二年で最高の精神状態で、体調も万全だと侍女達が言っている。
女心に鈍感なのだと思い知らされた俺でも、マリアの精神状態と体調がいい事が分かるくらい、ご機嫌に過ごしている。
これまでのように三日に一度ダンジョンを往復する生活は終わった。
女性陣の体力と体調が悪くならない限り、二十階層に居続ける。
別に一度に大量に魔獣を換金したいわけではない。
そんな事をしてしまったら、マクシミリアンがアイテムボックスを装備している事が明らかになってしまう。
地上に戻って換金する魔獣の数はこれまで通りだ。
ただ今回はダンジョンに潜り続ける正当な理由がある。
婚約破棄で人間嫌いになったマリアのためにダンジョンで過ごすという理由だ。
労働傭兵二千人の報酬は、二度の襲撃で得た賠償金二万七千枚で支払える。
領地の安全も、二千人もの労働傭兵が居たら、採算を考えて襲い掛かってくる者がいなくなる。
俺達がダンジョンで最優先しなければいけないのは、マリアの健康と安全だ。
ダンジョンにいる方がマリアの健康にいいのなら、ダンジョンに住んでもいい。
それに、領地よりもダンジョンの方がマリアの安全が確保できるかもしれない。
ゴンザレス子爵が領地にいるマリアに復讐しようと思えば、大陸でも一二を争う刺客を雇うしかない。
もしそのような刺客を雇う事ができたとしたら、領城の中に隠れていたとしても命を奪われてしまうかもしれない。
彼らの変装潜入の技術は人間離れしていると噂されているからな。
だがダンジョン都市なら、先ず都市内に入る事が難しい。
ダンジョンに潜ろうと思っても、傭兵ギルドに入会しなければいけない。
その全てを偽装してダンジョンに入れたとしても、人とは全く違う魔獣を斃しながら二十階層まで潜らなければ、俺達に近づく事もできないのだ。
広く見通しの良いこのダンジョンで、俺達に気付かれずに近づくのは不可能だ。
まして十階層よりも深く潜る傭兵は一人もいないのだ。
見つけたら即ぶち殺してやる。
「お兄様、父上と母上が心配になりました。
一度地上に戻って連絡を取りましょう」
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